●藤川和尚が語る旅の予備知識 その2 「インパール作戦」
『…前の戦争では、旧日本軍が無謀に手を広げ過ぎ、弾薬や食料の補給が
追いつかず、東南アジアや南太平洋の島々など、どの地域でも悲惨な戦いを
強いられた事は、戦争を知らない世代の人達でも、多少は知っておられる事と
います。
特に、タイから出発してビルマのジャングルを通り、インド北東のインパール基地
(インド・イギリス連合軍が中国の蒋介石軍に武器弾薬を補給するための基地)
を落とすべく行われた「インパール作戦」は…前の戦争の数々の戦いの中でも、
その無謀さと言うか…その無計画的さ、悲惨さにおいて、右に出るものは無い
でしょう。
最初から「弾薬・食料は、敵軍もしくは地元民から奪う事」という作戦で、後方部隊
からの補給は一切無く、雨季の山岳地帯の熱帯ジャングルの中を自給自足(?)で
進軍しろ…という、なんとも乱暴で無謀なものだったらしい。
この作戦が悲惨なのは、その戦死者の80%以上が、戦闘で死んだのではなく、
この作戦に投入された最前線の少年兵たちは、南方の雨季の熱帯ジャングルを
敵軍の追っ手を逃れながら、友好国タイ国境を目指し敗走に次ぐ敗走の途中で、
マラリヤと飢えと栄養失調でバタバタと死んでいった…ということです。
今回の旅で訪れる国境線から見える、ミャンマー/タイ国境の山中の獣道は、
「白骨街道」と呼ばれる程、日本兵の骨で埋め尽くされていたと言われています。
「インパール作戦」については多くの本が出ていますが、遠藤周作の「深い河」
(講談社)をご一読される事を奨めます。
「第5章 木口の場合」という章に、インパール作戦敗走の様子が書かれています。
この「インパール作戦」では、ごく少数の日本兵が、山岳地帯に住む少数民族、
「シャン族」や「カレン族」の人達に助けられて生き残り、年老いた今も現地で
暮らしています。
今回のツアーでは、この生き残った元日本兵の方たちを訪問し、お話を伺う事で…
平和ボケした今の日本人(私を含め)に活を入れ、平和の大切さに気づく機会に
なれば…と考えています。』
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