道徳を考える〜次世代を担う子供たちのために〜


   

[4]道徳と利他の心

動物の世界にもその世界の秩序を護るために、掟があります。 たとえば、犬同士が激しい喧嘩をしても、 相手の前に腹を見せ、仰向けになって負けを認めれば、 もうそれ以上攻撃はしないのです。  人間も動物も、単独で生きていけるなら掟もいらないでしょう。 しかし集団でしか生きていけない動物にとっては、 掟が存在してはじめて秩序が保てるのです。 我々人間社会も『これを犯したらこの罰を与える』という法以前に、 社会生活を円滑にし、皆が安心して生きていけるための道徳が必要です。  では、『道徳』とは何でしょうか? 私はこの問いに対する明確な答えを持っていません。 しかし仏教でいうところの『利他の心=他の人に利益を与えたいという心』、 これが『道徳』とは何かということを考える時の根源だと思っています。  ブッダは、
『あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生きるものどもに対して無量の慈しみ心を起こすべし。また全世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし』
と説かれています。(経集第一章149・150)。
 また、
『どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりさらに愛しいものをどこにも見だせなかった。そのように、他人にとってもそれぞれ自己が愛しいのである。それ故に、自分のために他人を害してはならない』
という言葉も残されています。(ウダーナヴァルガ第五章18)。
 つまり、 『母親が我が子に抱くような慈しみの心を持って他人と接する。 自分が言われて嫌な言葉や、されて嫌なことは他人にしない。 自分が言われて嬉しいことや喜ばしい言葉を他人に施す』 ということではないかと私は捉えています。  哲学者の梅原猛さんや、京セラを産み育て上げた稲盛和夫さんは、 『宗教的な裏づけのない道徳はありえない』と、その著書で主張されています。 私は、『ブッタの説かれた人生の指針・哲学としての真の仏教』を学ぶことで、 『道徳』を考えるようになりました。  だからといって、私は『仏教徒になれ』と強制するつもりは、毛頭ありません。 ただ『宗教はチョット・・・』と毛嫌いせず、 世界の多くの人々が『人生の指針・日々の生活の中での判断基準・拠りどころ』としている 世界的宗教(キリスト教、イスラム教、ヒンズー教や、葬式や観光仏教でない真の仏教、 それに中国や韓国の人々の心の底に今も生きている儒教など) と言われるものを学び、その教えの中から何かを掴んでもらえればと思っているのです。  世界の人たちと仲良く肩を並べ、日本人ではなく世界人として、 世界に通じる未来の日本人を育てるために・・・。 『ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。 もし汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。 ………車を引く牛の足跡に車輪がついていくように』法句経第一章の1 『怒りやすく怨みを抱き、邪悪にして、見せかけであざむき、 誤った見解を奉じ、たくらみのある人、 ………………………かれを賎しい人であると知れ』経集第一章116 『みずからは豊かで楽に暮らしているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる、 …………………………これは破滅への門である』経集第一章98 『父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱さぬこと、 ……………………これがこよなき幸せである』経集第一章262      『生きとし生きるものが幸せでありますように』   合掌。 泰国 ポムケウ寺 比丘 藤川(チンナワンソ)清弘 E-mail prakiyo@yahoo.co.jp
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