活動報告 |
| ミャンマー・ミッティーラの日本語学校教室作り |
2002年4月
藤川和尚の発起のもと、ミャンマーのメッティーラに、日本語学校の教室を作りました。
と言っても、簡単なレンガ作りのものですが。(下の写真)
現地の学生さんなんかが、熱心に勉強している姿、
心温まる歓迎ぶりに、いわゆる国際交流ですか、
地元の連中と話していると本当に面白いです。
![]()
太平洋戦争末期のビルマ戦線で、インド攻略のためにミャンマー領土から攻め落とす「インパール作戦(インド東部)」が決行されました。
しかし、この戦いはミャンマーの風土、雨季をも敵に廻しての戦争でした。 約30万人にも及ぶ日本兵が送り込まれたが、多くの日本兵が、マラリア、黄熱病で倒れ、最後は栄養失調による餓死をするものも多かったといいます。
この激しい戦いで日本軍は敗退。約19万人が戦死しました。
この戦いでミャンマー中部の街・メッティーラは市街戦となり現地の人も犠牲となりました。
それでもミャンマーの人々は傷付いた日本兵士を助け、手当てをしたといいます。
戦争が終わり、半世紀以上が過ぎましたが、日本の遺骨収集団は必ず、このミティーラにあるパゴダにやって来て、慰霊碑に線香を奉納するとの事です。
藤川和尚がミャンマーを旅行中に知り合ったゼゴン僧院に住む30代後半のビルマ人僧侶・ダマタラ師が、
古くからこの地で英語と日本語の語学教室を開いているときき、胸を打たれました。
なにか、この子たちのために何かできることはないだろうか?
そうして、この日本語学校のための計画が持ち上がったのです。