[2]仕事は生きがいか?私は昭和16年、あの真珠湾攻撃の年、 即ち第二次世界大戦開戦の年に、京都に生まれました。 いわゆる高度成長時代を生きてきた私と同世代の方々は、 ほとんどが『私の生きがいは仕事だ(あるいは仕事だった)』と 考えておられるのではないかと思います。 『私は一生懸命努力し、勉強し、有名大学を卒業し、 優良企業といわれる今の会社に就職し、 妻子を養い、 子供に高等教育を受けさせるために、 自分の我を犠牲にして働いています。 これが私の生きがいです』と・・・。 しかし、考えてみてください。 私たちは何かを食べなくては生きていけないし、 他の動物と違って毛皮などで保護されているわけでもないので衣服が必要、 さらに露地で寝るわけにもいかず住居も必要となります。 ご飯を食べたり、服を買ったり、家賃やローンを払ったりするために、 それらを得るお金欲しさに、仕事をしているとは言えないでしょうか? もっと煮詰めれば、 『己の欲を満たすために働いている』とは思いませんか? 食欲も性欲も満たしたいし、 財も名誉も地位も欲しいし、 子孫も残したい。 それに何よりも死にたくない。 そのために働き、結婚し、子供を育てているだけではありませんか? それが証拠に、もし有り余るほどの財産と名声に恵まれ、 なんら経済的にも社会体面上も困らないとしたら、 それでも上司や得意先の顔色を窺うために、 朝早く起きて、朝食もろくに食べずに家を飛び出し、 通勤ラッシュにもまれて仕事に行くでしょうか? 『疲れた、疲れた。たまにはゆっくり休みたい。自由な時間が欲しい』 などと常日頃ぼやいている人ほど、 暇な時間ができると退屈に耐えられなくなり、どこへ行こうか、 何をしようか考えあぐね、『温泉にでも行くか』とか、 『テレビを見てゴロ寝するのも芸がないから、ゴルフにでも行くか』と 時間をつぶすために右往左往しているのが実情だと思います。 これでなぜ、『仕事が生きがいだ』と言えるのでしょうか? 何もすることがないのは退屈で、かつ世間的にも恥ずかしいからという理由で、 仕事をしているだけではないでしょうか? 私たちの心は退屈には耐えられないのです。 常に刺激が欲しいのです。 だからおしゃれをしたり、テニスやゴルフをしたり、 野球やサッカーなどスポーツ観戦をして勝った、 負けたと騒いだり、芸術や文化を創り出したり、 哲学や宗教を生み出したりするのです。 『ボランティア活動が私の生きがいだ』と言っても それは自分の心に刺激を与えるため、 そして仕事をするのも刺激が欲しいためと言っても過言ではありません。 『死ぬのは嫌だ。だからといって退屈も耐えられないし、刺激も欲しいし、 欲望も満たしたいから働く』 では、決して『仕事が生きがい』ではないし、 ましてや『人生の目標』などであるはずがないと私は思っています。
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