7月28日
さまよえる人間−5 無明のうちに生命は再生を繰り返す
ブッダはただ一心に自己を見つめ続けました。
自己とは何かについて、多くの修行者を訪ね歩き
数々の苦行を行い、禅定(精神をある対象に集中させ、宗教的な精神状態に入ること)を
重ね自己を追及し続けました。
29歳の時に国を捨て、妻を捨て、子を捨てて出家しました。
そして、苦行、修学、禅定の末に35歳にして目覚めた人・ブッダになったのです。
ブッダは何を悟ったのでしょうか?
生まれてくることは苦しみである。
この世に存在する一切のものは消滅する。
そして、自我というものはない、という
苦・無常・無我、というブッダの教えの、いわゆる仏教の最も根幹をなすところの「法」でした。
「法」のことを「ダルマ」と呼び、今日の言葉で、「真理」を意味します。
喜びに包まれ生まれてきても、やがては老い病にかかり、死んでいくことは絶対の真理である。
いとおしいと思う人も、刻一刻ととどまることなく物質的要素は変化し消耗し、萎えて消えていってしまいます。
もし、我というものがあるのならば、このおのが生命の老化現象を止めることもできるでしょう。
しかし、自然的法理は自我を離れて運動する無常なものである。
これらはあらゆる民族を超えた真理です。
ブッダはこの事実を自覚した上で、どうしたらこの「苦・無常・無我」の生物の苦しみを克服することができるだろうか、と考えました。
そして生み出された仏教は、この克服の合理的な方策なのです。
この克服の方策を輪廻からの解脱の方法としてブッダは八万数千の法を説いたのでした。
これを対機説法といい、その人その人の能力に応じて苦しみや不安から解脱の法を説いたのでした。
私たちは輪廻する生物の事実を日常生活の中でいつも経験で知っているはずなのに、
いとしい犬が死んでも猫が死んでも、美しい花が数日にして枯れて消えていってしまっても、
嘆き悲しんでばかりいるのです。
犬や猫が確実に輪廻して、この世にふたたび再生してくることを考えずに
ただ悲しむことだけで終わってしまうのです。
根を大地に据え花を咲かせる草々は、毎年毎年、咲いては枯れるサイクルを
繰り返しているではありませんか。
人間も同じなのです。
生命はどこから来るのでしょうか?
ブッダは無明(理に暗いこと。根源的な無知)のうちに生命は再生を繰り返す、と明言しました。
生命は無明のうちに生き生き生き生き死に死に死に死んで再生を繰り返し
生きながらえている渇愛の現象体なのです。
この事実を悟った人に、この国では宮沢賢治という詩人がいました。
この人は身と心でこの事実を実践した、希少の仏道の人でした。
「わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
一つの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体) 「春と修羅」の序より」
(次回は6日の更新予定です)
>>さまよえる人間−1.アジア型思考様態
>>さまよえる人間−2.食と病の文明
>>さまよえる人間−3.「人間はなぜ生まれたのか」
>>さまよえる人間−4.「人間の身体こそが全宇宙の集合体」




「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。
第1回は、北茨城・佛等庵の疋田千秀さん。
タイやスリランカでの出家経験を持つ疋田さんから見た
最近の日本や世界の情勢を、落ち着いた目で描いていただきました。
全8話を順次、お届けします。




