8月6日
さまよえる人間−7 心の動きが止まるのをまつ


「不浄であるものを浄となし、
苦であるものを楽となし、無我であるものを我ありとなし、
無常であるものを永遠として生きるものは
死から死へ無明の輪廻を繰り返す」、とブッダは説きました。

しかし、浄であるものを不浄となし、楽であるものを苦となし、
我ありと思う妄念を無我となし、永遠であるという錯覚を無常であると正しい思念によってみるものは
真理の世界を見、安楽の境地に達し、無想・無欲・純粋に成り覚者・アラハンになり
ブッダの境地に到達するであろう、とブッダは修行僧に業の功徳を説きました。

行の基本は、意欲をおこすことと、一心に精進すること、
心に集中すること、そして主観を捨て、対象を観察することが最も大事なことです。
座禅をするとよく分かるのですが、眼を半眼に開いて座っていると
意識は荒馬のように動き回ります。
一瞬の間でさえ一つの場所に留まっていることがありません。
意識は光速度で自分の経験した過去の世界を飛び回り、時折は屈折し
自己の経験した世界を飛び貫き、数百年前のこの生命の経験した事実や
さらに数千年前、数万年前の生命世界の中を飛び貫けていったりすることもあり、
数万年前の経験から昨日会った人のこと
数日前に食べた食事のことなど、心は実に自由奔放に動き回るのです。
この心の動きを止めること、それが座禅の最大の目的なのです。

「悟った人は夢をみない」といいます。
もう心が動かないからです。
私たちは過去に成した業の成熟した因果の現象体なのです。
業のことをインドの言葉でカルマといいます。
このカルマというインドの言葉を中国の翻訳仏教僧は'業'という中国語に置き換えたのです。
本来、カルマの意味は日本語に訳すと作意(さい)、あるいは行為という意味なのです。
英訳仏典ではアクションと訳してあります。
業とは生命が行為した経験の集約体のことをいうのです。
計り知れぬ過去の行為の成熟した集約体として私たち一人一人はこの現在に存在しているのです。
その過去の生命の行為を読み解く行為が座禅なのです。
威儀をただし、衣服を整え、背を直立させて座ることによって
脳裡に心が動き始めます。
その心の動きを動いたままに認識していくのです。
心が別の世界に移ったら、またその世界を認識し続けるのです。
この繰り返しを心の動きが止まるまで続けるのです。心の動きが停止したとき、
その生命が幾兆億の業の結縛(けつばく)から解放されたときなのです。
業の結縛から解放された人のことをブッダは清浄の人と言いました。




(次回は15日の更新予定です)

>>さまよえる人間−1.アジア型思考様態
>>さまよえる人間−2.食と病の文明
>>さまよえる人間−3.「人間はなぜ生まれたのか」
>>さまよえる人間−4.「人間の身体こそが全宇宙の集合体」
>>さまよえる人間−5.「無明のうちに生命は再生を繰り返す」
>>さまよえる人間−6.「未来という幻想」


囲む人々「一話一言」

疋田千秀「さまよえる人間」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

第1回は、北茨城・佛等庵の疋田千秀さん。
タイやスリランカでの出家経験を持つ疋田さんから見た
最近の日本や世界の情勢を、落ち着いた目で描いていただきました。

全8話を順次、お届けします。