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12月15日
初めての四国遍路一人歩き・2001年5月の日記から 5月25日 大日寺で 大日寺で“ビルマの竪琴”のお坊さんに出会う。 言葉の分からないお経らしきものを唱えていらしたし、 肩に青いインコを乗せれば「水島!」と呼びたくなる格好なので、 例の映画を連想したのだが、若い人には分かるかな? 山門を出たところで托鉢をしていらしたので、 ほんの僅かばかりお接待をすると 「歩きですか?」と関西なまりの日本語。 「すわ! 偽者!?」用心、用心、 こういうのに引っ掛かると危ないのよね。 そのまま黙って行き過ぎようとした。すると、 「私も2カ月かけて歩いたんですよ。 これから1番まで行って、そして(お礼に)高野山ですう」 「どちらからいらしたんですか?」 と聞きながらも腰が引ける私に、人なつっこい笑顔で、 「タイからですう」 ゲッ! 本物だ! ホッ。しかしタイのお坊さん??? 日本人で??? そういえば四国に来る前に読んだ朝日新聞(だと思う)に、 記者が出家を経験する話が載っていたが…。 「どちらの方ですか?」 としつこく身元調査をする私に 「京都ですう。タイに行って13年になりますう」 「あちらは如何ですか?」 「いいですよ、タイには本当の仏教がありますう」 「本当の仏教って何だ?」と思ったが、 それをどう聞けば良いかも分からず、 それに、私の知識ではそれ以上会話が深まる訳もなく、 そのあと2、3の会話をし、結局15分くらい話をしていたようだったが、 宿で読んでくださいと小冊子を頂いて、大日寺を後にする。 何となく後ろ髪をひかれる気持ちで歩き始めたが、 先ほどのお坊さんの様子と会話が頭から離れない。 お坊さんは、四国でもはじめはタイと同じように素足で歩いていたが、 4、5番目のお寺あたりから膝の関節を痛めてしまって、 とうとう地下足袋を履いたという。 そうだ、あのお坊さんは少し足を引きずっていらした・・・ ・・・「タイでは坊主のことを比丘といいます。 こうして(托鉢して)いることを“こつじき”というのです。 お釈迦様は托鉢をしなさいとおっしゃっています。 だからこうして私は托鉢をしているのです。 しかし四国の寺では、門前で托鉢はしないでくれ、 と言う寺もあります」 お坊さんとの会話が頭をよぎるうち、 あっという間に次の地蔵寺に着いてしまった。 ここで足休めの大休憩、 というより、頂いた小冊子が気になってどうしても読みたかったのだ。 読み始めてすぐに引き返したくなる気持ちになった。 あのお坊さんはまだあの門前だろうか? もう少しお話すれば良かった。 そして私のシップ薬も差し上げれば良かった。 気づかなかったなんて、 あの時まだ私の心が開いていなかったのだと思うと残念で悔しい。 しかし、女性の一人歩き遍路は、 そのくらい周りに対して警戒心を持ってしまうものなのだ。 境内の片隅には涼しい風が通り過ぎて行く。 そして、私の心の中にも爽やかな風が吹いてきた。 小冊子には私にもよく分かる言葉で、 宗教について書かれてあった。 なかでも宗教は哲学で、生き方の指針になるものなのだという考え方が、 私の宗教観と生意気にも一致すると思った。 私は今までこれといった信仰は持っていなかったし、 今でもその気持ちに変わりはないのだが、 生きることについて、 現代人にとって宗教とは、ということについていつも考えていた。 そのヒントを、あの眼光鋭いお坊さんが与えてくださったような気がした。 そこで私のとった行動は・・・と次回へとつ・づ・く。 ←お遍路の時のスナップより(好評? の裏遍路食日記は、今回は残念ながら次回のお楽しみということで!)! |