タイで三日坊主!

藤川さんとの出逢い
私はどうして藤川さんと出逢ってしまったのか。
どうして得度に至ってしまったのか。
永い人生を振り返ると過去のいろいろな人との出逢いや
社会の情勢や偶然性を伴なって、知らぬうちにそこに至っていた。
藤川さんがあの時期にあそこで店を開かなければ、
日本の知人にその店に行くことを誘われなければ、
元々バブル景気など起きなければ(藤川さんの運命も違っていたろう)、
タイの知人があの近くでムエタイのジムを起こさなければ、
それ以前にその知人が日本に来てキックボクシングのジムで出逢わなければ、
その全ての縁となるキックボクシングがかつてのブームを起こしてなければ、
或いは私が賢くてビジネスが順調だったら暇など無くて
タイには来なかっただろうに。
それらのいずれかの歯車がちょっとでも狂っていれば、
私は得度には至っていなかっただろうと思う。
私が藤川さんと初めて逢ったのは1993年7月。
藤川さんがタイで経営していた「M&K食堂」である。
表にはお祭りで見るような「たこやき」、「やきそば」、「お好み焼き」といった
日本語の幟が立っていた。
私は何日間かはその店の前を通りかかっていたが、
「タイに来てまで日本料理は食いたくない」と思っていたので店に入る気もなく、
日本人にも逢いたくはなかったのである。
当時、私が泊まっていたのはその近くにあるムエタイのジムで
3ヶ月ほど滞在していたのだが、
そこへある日本のキックボクサーがムエタイ修行にやって来たのだった。
以前から面識ある立嶋篤史選手(習志野=当時)だったので
仲良く過ごしていたのだが、
「あそこの日本食堂行ってみましょうよ!」と誘われて
お付き合いで行くことになった。
行ってみれば日本食などひとつもない普通のタイ料理屋だった。

そしてそこにいたのが経営者の社長・藤川清弘氏であった。
逢った矢先からやたら京都弁でよくしゃべる。
ツバ飛ばしながらよくしゃべる。
一緒に行った立嶋くんも活発な青年で二人は意気投合してしまった。
おとなしい私は特に必要のない存在だった。
「日本食は無いのにあの幟は詐欺じゃないか」と言ったところで
反省する人ではない。
「幟はタイ人には珍しいやろ、飾りでええんや、タイ人にはわからへん!」と言って
笑っていた。
何日間かはこの店で食事する日が続いていたが、
立嶋くんは8月下旬にバンコク市内で試合が決まっていたので
通うのは私一人になっていた。
そんなある日一人通う私と藤川さんとの間に仏門の話が出始めたのである。
藤川さんはその年の1月から6月まで僧侶をやっていたという。
「またいつか仏門の世界に戻って一生仏門で過ごそうと思っている。」
というようなことを言われたのを覚えている。
その時は「私も得度させてくれませんかねえ。藤川さんのいらっしゃるお寺で!」と
軽〜い気持ちで言ったのを覚えている。
藤川さんは反対するでもなく、「厳しい世界だぞ。」というわけでもなく
「ぜひ経験してみたらいい、面倒みてあげるから。」という有難い返事だった。
その時は本当に軽〜い気持ちだった。
本当にその日が来るとは考えにくかった。
日本で働いていたらそんな時間無いだろうと。
そして9月に入った頃、M&Kから藤川さんの姿が見られなくなっていた。
従業員の女の子に聞くと「社長は出張に行っている」とか「旅行に行っている」とか。
いつ戻るのか聞いても「わかりません」と言われるのみ。
まだ8月中でも私らがバイクタクシーでお店の前を素通りした際も、
藤川さんが客の居ないテーブルの椅子に座って煙草を吸いながら
遠くを見て何か考え込でいるような姿を見かけたことがあった。
その時すでにある決断していたのだろうか。
後から思えばだが。そうして、そんなまま私も帰国する日となっていた。
写真撮っておけばよかった。長髪の藤川さんを見たのはそこでだけだった。

囲む人々「一話一言」

堀田春樹「タイで三日坊主」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

新連載は堀田春樹さんによる、「タイで三日坊主!」
堀田さんは現在、ボクシング中心に撮影しているフリーカメラマン。
9年前に行った3ヶ月間の出家体験記を連載します。
実は、この話、出家前(正確には、一時出家後、
本格的に出家をするべきか悩んでいる)ときの藤川さんと
出会ったことから始まります。

そこから始まる長い長いストーリ。
第1回は「藤川さんとの出会い」からはじまります。