タイで三日坊主!
平穏な日々!
12月29日この三日間で日本に送る年賀状を書き終えた。
全部で35枚。
郵便局で9バーツの切手を一枚づつ貼りながら、
「黄衣をまとった坊主頭の私を見て
正月から腰抜かす奴がどれぐらい居るだろう。
私がとうとう頭おかしくなったかと思うだろうか。」と思った。
笑っていただければそれでいいのだが。
この年賀状を出し終えると
今年の自分の仕事は全て終ってしまった。
また来年に向けて目標持って頑張らねばならない。
ラオスの旅から帰ってからはもう還俗後のことが気になりだしていた。
あと30日あまりをどうやって過ごせばいいのか、
この寺では退屈な日々となりそうだった。
藤川さんは当初、私を連れてタイ国内の
いろいろな所に巡礼の旅をしようと思っていたらしかった。
しかし、それをさせなかったのは和尚さんの頑固な意志だったようだ。
「修行はウチの寺でも出来る。
外に遊びには行かせない。」
と思っているかはわからないが、
そんな風に感じる和尚さんの言動である。
私も得度当初はどこにも行きたくなかった。
何が起こるかわからない旅は不安である。
しかしラオスから帰ると、旅に出る冒険も面白いものだと思った。
無事に帰って来れたからそう思えるのかもしれないが。
12月30日
今日の朝はまた一段と寒かった。
ノンカイほどではないが体感的には寒いと“一番寒い”と言いたくなる。
11月初旬に還俗したインドくんが寺の近くでサイバーツした。
髪も結構伸びていた。
「二ヶ月経ったね。あとどのぐらいやるの?」と聞かれた。
「もうちょっと、一月末!」と言って来る。
朝食後、コップくんが珍しく外の長椅子に一人で座っていた。
私が「還俗したらテープレコーダー持って来るから
コップくんの読経を録音させてくれないか」とお願いした。
ニコッとして喜んでOKくれた。
彼が一番いい声で聞き取りやすいのである。
お経を覚えるにはちょうどいい存在だ。
しかしコップくん少々元気が無かった。
昨日1000バーツあまりが無くなったと言う。
私は「えっ!部屋の鍵は掛けたの?」と聞くと
「忘れた」と言う。
「それじゃぁしょうがないなあこの寺じゃぁ」と思ったが、
疑ってかかれば五人ぐらいの顔が浮かぶのが情けない寺である。
見かけで判断は危ないことだけど、疑われるのも普段の行ないの結果である。
ノンカイ・ビエンチャンでの寺の品位ある
坊主たちのことも話してみた。
それはコップくんもこの寺の品位の無さはわかっていたようだった。
あと「この寺にはなぜ朝夕の読経が無くて大工仕事があるのか」と聞いたが
「ワット・マハタートは発展したから儲かっているが、
この寺はまだ発展してないから建設中なんだよ」と言うことだった。
ワット・マハタートとはペッブリーの中でも有名な大きい寺。
“銀座”に行く途中にある。
←95年1月上旬 土木作業
建築・左官が得意のコップくん
12月31日藤川さんの携帯電話にネイトさんから連絡あったようだ。
「今は忙しくて来れんと。1月25日に来ると言うとった」と言う。
特に還俗までの目標のなかった私の目先の目標は、
ネイトさんを向かえてお互い坊主としての立場で過ごすこととなった。
ノンカイでの坊主としての付き合いは六時間しかなかったからだ。
夕方の掃き掃除は年末最後として、
結構広い範囲をいつもより遅くまでやった。
数日前から外のトイレが完成していたみたいだが、
使っていいものかはわからない。
しかし古いトイレが修理に入ったから使わざるをえない。
飯で同じ輪になるイアットさんとノーイさんに聞くと
使っていいと言うから新しいトイレに入った。
タイ語で“ホン・ナーム”と言うとおり、
水の部屋というシャワールームであり、トイレでもある。
だがユニットバスではない。
完成した新しいトイレはタイル張りの清潔感あるきれいなものである。
大晦日といっても何にもしない寺の中だった。
比丘同士寄り集まってニーモンでもやっているかはわからない。
そんな雰囲気はなかった。
夜10時を回って寝たが、
日本は新年を迎えた時間であった。
日本のみんなはどういったドンチャン騒ぎをやっているか
考えながら眠ってしまった。
1995年1月1日
今年は寺で新年を迎えてしまった。
しかし藤川さんとは新年の挨拶は無い。
今日も普通にビンタバーツに出る。
いつも5時30分に寺を出るが、いつもどおり外はまだ暗い。
乾期だけに雨が降ったことは一度もなかった。
寺を出た路地ではいつも空を見たが、星が綺麗である。
そしてある星を中心に周りの星が徐々に移動しているのがわかった。
特にラオスから帰ってからは大きく移動していた。
星座のことはよく知らない。
どれが北斗七星でどれがカシオペア座か位置がはっきりわからなかった。
空を見ながら歩いていると自分らもこの宇宙空間のひとつの星に居て、
この星から滑り落ちるような、
歩いている足取りが心許無い錯覚を起こすのだった。
新年だからか今日のサイバーツは多かった。
頭陀袋はいっぱい。
バーツもフタが浮くほどだ。
いつもの御菓子おばさんもお姉ちゃんも居なかったが、
葬式撮影を頼まれたおばさんが居てサイバーツされた。
聞かれることが多い言葉だが
「ラオスにはどれぐらい行って来たの?」と聞かれて
「14日間です。」と答える。
藤川さんがタンブンされたスナック菓子をひとつ落とした。
お互いしゃがむのも困難な状況である。
しかしクソジジィは私に拾わせた。
手渡しするとクソジジィは礼も言わずにトットと行ってしまう。
「おい、ちょっと!」と言っても聞こえないフリして行ってしまった。
お陰で私はバランスを崩し、尻餅ついてしまった。
スリップダウンである。
バーツから御飯はこぼれ、
拾えるものではないから足で掃いて路地の隅に追いやった。
元旦からムカついた。
このクソジジィめ。
朝はニーモンで大多数の比丘がどこかへ出掛けて行った。
私もその予定は聞いていたが、私の名前は書かれていないということで
行く準備はしなかった。
朝食は私とサンくんと一日一膳おじさんの三人のみ。
静かで食べやすかった〜!
新年であるが普段と変わりない日課に入った。
特にすることはないが、やっぱり掃除しかなかった。
午後には何かと読経が増えた。
葬儀場での“マティカー”があるという。
葬儀ではなかったが“クサラータンマー”で始まるいつもの読経があった。
新年の儀礼と言ったところか、
初詣の雰囲気ではないが信者さんが数人参列していた。
信者さんが要請したお清め儀礼であろう。
それが終るとケーマー寺に行っての葬儀。
狭い車にいっぱい乗り込むのはきつい。
ヒベと肌が触れるほど狭い。
ああ気持ち悪い!
車が二台ならいつもヒベと逆の方へ乗るのだが、
今日はやむを得なかった。
ガタンと車
が揺れるとヒベが俺の手をつかみやがった。
こんな所で何するんだ〜!
全く元旦からぁ!!
※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い
>第2回・得度の決意
>第3回・修行に向けての準備
>第4回・人生最後の式典・得度式
>第5回・苦痛の日々
>第7回・慣れた頃
>第8回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(前編)
>第9回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(後編)