タイで三日坊主!

平穏な日々!

1月5日
朝食が終る頃、イアットさんが
「還俗のことを和尚さんに言ったか?」と聞かれて
同じ輪を囲む比丘にも知られてしまった。
ヌゥンくんは「還俗しなくていいよ」と言ってくれる。
ヒベは「ハルキも行くのか」とは言わないが
「ホーッ!」と意外なこと聞いたかのような返事。

朝食後、和尚さんに頼まれて外の道路を撮影に出た。
そうすると私の姿を見た信者さんに呼ばれて
夜の葬儀を撮影して欲しいと頼まれた。
もう私がカメラマンであることは知る人ぞ知る存在のようだった。
そしてフィルムが無いことを言うと「用意するから」と言われた。
「じゃあOK!」と言うことで
「フジカラーフィルム買っておいてください」と言っておいた。
夜になって受取ったフィルムはコダックのフィルムだった。
フジカラーと言ったのにコダックを持って来る。
藤川さんが言っていた話に
「タイ人は高級感あるのはコダックやと思っとるから
色の良し悪しはわからんで買うてくる」
と言っていたのは当たっていた。
葬儀は棺桶を外の安置所に運ぶところまで撮ってフィルムを渡した。
お布施200バーツとリポビタンを頂いた。
何か撮影がビジネス感覚になっていて嫌だった。



1月6日
この二ヵ月あまりのビンタバーツで
朝、必ず見かけるのは野良犬である。
見かけるのは朝だけではないが、野良犬は多い。
サイバーツされた白米や惣菜はビニールに入っていても香りは漏れる。
臭覚のいい犬は我々と並んで歩いたり、
立ち止まったり追い越したりしていた。
そんな中の今日、寺に帰る路地で後ろから犬が二匹、
吠えながら走って来た。
僧侶が托鉢中に犬に噛まれる話も聞いたことがあった。
怖かったがゆっくりと自然に歩くことを心がけたところで、
その犬は私を追い越し、前を歩く藤川さんの前に回り凄い勢いで吠えた。
何か藤川さんに恨みでもあるかのような吠え方だった。
頭陀袋を振り回して追い払う藤川さん。
お互い噛まれる危険は避けられたが、
藤川さんが悪い人で私がいい人というのがわかるという犬は
賢い動物なんだなあと思った。
後に藤川さんに聞いたところでは以前、
その犬を殴り飛ばしたことがあるらしかった。
それを覚えている犬はやっぱり賢い動物である。
私もジジィに向かっていつかは吠えて噛み付いてやろうと思った。
せめて犬には勝たねば。

1月7日
深夜凄く寒い。
こんなに寒いのはここでは初めてだ。
鼻水は出るし詰まるし、トイレ行くのも億劫である。
毛布まだあるのに気づかず、もう一枚使えばよかった。
朝のビンタバーツでは、
暗い中に立っている信者さんを見つけるのがうまい藤川さんが道路を渡って行く。
私なら見落とすところである。
帰り際、バイクで来たおじさんが、
私に話出して延々続いてしまった。
3分ぐらい話してたろうか。
私はどうしていいかわからなくなっていた。
聞いてあげるべきか、托鉢中だからと断るべきか、
嫌な顔も出来ないし藤川さんの姿はもう見えないぐらい先に行っているし、
私も困った顔になったのだろうか、
おじさんはワイして「ニーモンカップ」と言って去って行った。
本当は心良く聞いてあげたいのが本音である。
もう少しタイ語がわかるなら会話のキャッチボールもしてあげたい。
私は一方的に投げ続けることはしない。
だが路上ではなあ。
それも托鉢中ではどうするべきなんでしょう。
御菓子おばさんとは時折話すものの、
そこは路上といってもほぼ民家の敷地と私道である。
まあその後はジジィに追い着かないといかんと思って
小走りになりかけた。
すると道路の向かい側で「ピー、ニーモンカー」と言う声が聞こえた。
若い女の子が二人居た。
また見落とすところだった。
いや、すでに見落としていたのである。
声掛けられなかったら気がついていなかった。
更に僧侶は走ってはならないという戒律があるが、
正に走る体勢になっていたところだけに恥かしくて
笑ってごまかしながら行くと女の子二人もニコッと微笑んでくれた。
可愛い二人だった。
久々に微笑みの国を思い出し癒された。
あのおじさんのおかげである。
女の子が言った“ピー”とはお兄さんとかお姉さんなど、
年上に対して呼ぶ二人称である。
これも発音が違うと“お化け”になってしまう。
タイ語は発音が本当に難しい。

朝食後、9時ぐらいに電話をする為、外出した。
電話は路上の公衆電話ボックス。
中々無い上、あっても故障が多い不便な電話である。
この日も女の子が電話中でその後ろに男性が並んでいた。
その後ろに私が並ぶとその男性が私に順番を譲ってくれた。
藤川さんと共に席を譲られたことはあるが、
私一人で譲られたのは初めてで本当にどうしようか迷ってしまう。
私が俗人であれば「いえいえ、お構いなく!」と言うところだが
やはり僧として受けるべきかと思って譲って頂いた。
電話した先はアナンさんの家。
月末のチェンマイ興行の詳細を聞いた。
そして「俺も行っていいか」と聞く。
還俗を済ませて行くことは了解された。
アナンさんは私が「お寺のお世話をしなくていいのか」と心配された。
普通、還俗したら三日ほど寺に残ってデックワットのように
お坊さんのお世話をして恩返しをするそうである。
知らなかった。
でもタムケーウ寺で還俗した奴らも、
その日に帰ってしまったのがほとんどだった。
私は見込み発車ながら
「大丈夫、ウチの寺はみんなすぐ帰っているし、
ちゃんと和尚さんにも説明する。」と言うと
共に自分を納得させた。

夕方近くにワット・マハタートに行っての儀礼があった。
かなり大掛かりな儀礼だった。
比丘が八十九人らしい。
読経も長く一時間ほど続き、足は痺れる。
あまりに長いので他の寺の年配比丘が読経中に両足を投げ出し、
仰け反りながら「フーッ!」と溜め息をついた。
八十九人もいるから後ろの方は目立たない。
「俺でも我慢しているのにこの坊主は・・・」と呆れてしまった。
この日にお布施は500バーツ。
過去最高だった。

この日は昼過ぎから喉が痛い風邪の症状だった。
寒い深夜を薄い毛布で寝てたせいかもしれない。
夜は暖かいオーワンテンのミルク入りで
バファリン二錠飲んで、明日は和尚さんに還俗願いを申し出ようと
決心して早めに寝た。

1月8日
今日も寒い朝だった。
昨日より毛布を一枚多く掛けたので眠れたが、
風邪気味だからひどくならないか心配だった。
ノンカイに居た時のようなグロッキーにはなりたくない。
充分注意した。
朝のビンタバーツでは今日も可愛い女の子が居た。
昨日とは違う場所、違う女の子である。
最近自転車でやって来るお姉さんは
「永く見えなかったけど、どこか行ってたの?いつスックするの?」と聞かれた。
スックとは還俗のこと。
誰も私が延々と坊主を続けるとは思っていないのだろう。
そのとおりなのだが、誰もが私が短期出家で
いつ還俗するのかに興味があるように思えた。
ラオスに行っていたことと今月末にスックすることは伝えた。

そして朝食後、ついに和尚さんのところに行って
還俗願いを申し出た。
認めてくれないのではないかとか、
“客寄せパンダが居なくなる”と残念がられたらどうしようかとかを考えていたが
「相談があります。今月スックしたいのですが・・・」と言うと
「ウン、すれば!」と簡単な、あっけない返事だった。
そして占いの本を開いて生年月日聞かれて、
「いつしたいんだ?」と聞かれる。
「27日です」と言うと
「27日は良くない、28日にしろ!」と言われ、
「チェンマイに間に合わないので・・・」と言うと
「じゃあ25日がいい!」と言われて決定してしまった。
特に還俗希望者に対して和尚さんは、
感情を挟まないのが普通らしかった。
全ての寺ではわからないが。
そして私の修行日数は全89日間となる。
日数は関係ないと思った。
満足いかなければもう一回やればいいと安易な考えがあったせいである。
とにかく和尚さんに日取りを決められたらもう後には引けない。
気が楽になるとともに、置かれている立場が
もう蚊帳の外のような寂しい気もした。
外で洗濯していると藤川さんも洗濯に来た。
「今日は寒うて眠れんだやろ!」と言われた。
「ちょっと風邪引きました」と言った後、
「和尚さんに還俗願いを申し出ました。」と言った。
藤川さんに相談せず、いきなり和尚さんに直行したのは
ちょっとまずかったかなとも思ったが、
迷いが起きる事を言われる前にスパッと決めたかったからである。
心の奥にあったのは、藤川さんが寺ではほとんど話してくれなくて、
とても相談する気になれなかったせいもあった。
「もう一回やろうと思います。」と言うと藤川さんは
「もう一回やったら足洗えんようになるぞ」と言う。
そこに深い意味があることにその時は気がつかなかった。
「他の寺で再得度するとしたら、ここの和尚さんに対して悪いと思う。」と言うと
藤川さんは「それは確かに失礼に当たることや。」と言う。
ある意味、戒律違反で藤川さんも一時出家した寺のスパンブリーから出て
俗人時代を過ごし、ペッブリーのこの寺に来る時に、
スパンブリーの和尚さんに挨拶に行ったが、
この和尚さんは話のわかる人だからよかったが、
パクナム寺でこの話しをした時は
「それはスパンブリーの和尚さんに対して失礼に当たることだ」
と言われたということだった。
要するに再得度する時は、以前と同じ寺でやるべきで、
それが無理ならちゃんと筋を通しに挨拶に来て事情を話して
了解を得ることなのだろう。
日本式に考えればそうなる。
タイではどう解釈するのかわからないが同じことだろうと思う。
安易にメコン河沿いの、
品のいい寺でもう少し集中してみたいと思ったのは
虫が良すぎる話だったようだ。
一方では自分が真剣な修行で充実するならばと、
まだその気でいる自分もいた。

寒いこの日は昨日ワット・マハタートでもらって来た
茶色の毛糸のサパイをみんなが着ていた。
僧侶用の右肩側だけ無い変なセーターである。
それらを見て私も着てみた。
しかし昼になると暑い。
夜はまた葬儀に出た。
相変わらず読経出来ない私ははだらしなかった。
出だしのほうちょっとしか着いていけない。
二ヵ月半あったらかなり覚えられたろうに、
それこそカタカナ書きを作って追える部分だけでも
着いていけばいいのである。
私の人生も歳取ってから後悔するのだろうと思う。
それを気づかせてくれた修行と思いたい

1月9日
今日はやや寒さが和らいだがまだ寒い。
この日あった葬儀の後、火葬されている遺体を覗いた。
人間が真っ黒に焼かれている途中である。
自分が土に還る時がどういう手段かはわからないけれども、
いずれは私もこんな風に焼かれるであろうことは想像ついた。
自分の姿を見ているようだった。
自分のは見れないわけだから、そう置き換えた。
死んだ後、自分の死体に向かって
“ご苦労さんゆっくり休んでくれ”と言えるような
充実した人生を俺は送れるだろうか。

ネイトさんから手紙が来た。
持って来てくれたケーウさんに内容を聞いてもらった。
ワット・ミーチャイターでのこと、
オカマ和尚さんのこと、そして20日過ぎに
こちらに来ることが書かれていた。
青い眼の僧侶が来るということをケーウさんはどう想像したろうか。
この後、ケーウさんがやった最近の行ないを聞いてみた。
犬を棒で叩くこと、乞食を蹴っ飛ばして追い払ったこと、
「戒律から外れた行為ではないか」と言ってみたが、
「あれは必要なこと。
また、道を歩いていて人が倒れていたら救助だってするんだ」とも言われたが、
何か違うような気がしたが“弱きを助け悪を挫く”ということなのか。
ケーウさんはそんな風には見えない比丘だが。

夜、すでに還俗している
ラスくん、ルークくん、パノムくんがやって来た。
ルークくんには還俗式での写真あげて他の二人にはカップラーメンあげた。
「パノムめ、今ならいつでもいっぱい喰え!」と言ってやったら、
「ここで(私の部屋で)喰っていいか?」と言う。
「バカも〜ん!持って帰って喰え〜!」相変わらずこいつアホである。
夜に比丘の部屋からラーメンの匂いしたら大変ぢゃ!
 俺が喰ってると思われたら悲惨である。
でもこの人達、俺目当てではないにしてもわざわざ来てくれたんだ。
話せるだけ話してあげた。
パノムくんに関しては還俗したらすぐ
“パイ・ティアオ・プージン”だったようである。
「ハルキも還俗したらどこのソープに行くんだ?」と
まあ遠慮なく聞くこと。
パノムは地元の200バーツほどの女郎屋のようだ。
「俺はなあ、1500バーツのバンコクの高級店だ!」と言うだけ
見栄で言っておきました。
(言っただけです。行っていません・・・・・!?)
そして彼らが帰った後、いつもより遅くなってしまったが就寝した。
  

↑左:普段の黄衣はこんなふうにかけてあります。
  右:部屋に祭られている、元からおいてあった仏像と、
    私が買ったポットや目覚まし時計など。
    お花は朝の托鉢にて受けたもの。


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※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
 おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
 クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
  


<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い

>第2回・得度の決意

>第3回・修行に向けての準備

>第4回・人生最後の式典・得度式

>第5回・苦痛の日々

>第7回・慣れた頃

>第8回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(前編)

>第9回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(後編)

囲む人々「一話一言」

堀田春樹「タイで三日坊主」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

新連載は堀田春樹さんによる、「タイで三日坊主!」
堀田さんは現在、ボクシング中心に撮影しているフリーカメラマン。
9年前に行った3ヶ月間の出家体験記を連載します。
実は、この話、出家前(正確には、一時出家後、
本格的に出家をするべきか悩んでいる)ときの藤川さんと
出会ったことから始まります。

ラオスから帰り、平穏な日々。
しかし、脳裏には今後のことがかすめてきます。