タイで三日坊主!

還俗に向けてカウントダウン!

1月15日
昨日、来られたお坊さんもビンタバーツには行かれた様子。
朝食後、私に「剃髪してくれんか」と言われて少々困った。
人の頭を剃るのはちょっと勇気がいる。
すぐノーイさんにお願いした。
このお坊さんはカンチャナブリーから来た“ミスー”という名前のようだ。
ヒベが“ミツビシのミツか”なんて言うからすぐに覚えた。
タイ語には“Z行”の“ざじずぜぞ”と“つ”が無い。
発音出来ないわけではなく、
元から字が無いので発音した事が無く、発音し難いようだ。
“シ”は“スィ”になり、
“シ”よりは“チ”という。
鈴木くんは“ススキ”になり、
高津くんは“タカス”と呼ばれる。
三菱は“ミスビチ”になってしまう。
(タイ語の母音や微妙な発音はここでは省略。)

寺の横のバスターミナルが開通してから、
よく観光客が寺の敷地内に入って来るようになった。
可愛い女の子連れた若い男も多い。
羨ましくなる。
庭掃き掃除していると「あの山にはどこから行けますか?」
と言うのが多いが、よくわからないタイ語で聞かれるのが一番苦手である。
そんな中、観光客ではない四人組みが現われた。
みんなお坊さんである。
ネーンも一人含む。
和尚さんに“お泊りお願い”したいのだろうが、
和尚さんは留守だったので待ってもらうしかなかった。
ところがこの中の最年長者がやたら煩い。
パスポート見せながら、
ラオス行ったのマレーシア行ったの
シンガポール行ったの、
日本に行きたい、連れて行ってくれだの、
初対面ながら自慢話がくどい。
更に「剃髪したいからカミソリ欲しい」と
厚かましくも思える態度である。
持って行ってあげても更に
「二人目剃ったらカミソリ切れが悪い、こんなのダメだ、
他の無いか?それとパーソンナームを貸して欲しい」
と言う態度にはうんざりして来た。
この方々の“お泊り願い”には、
ケーウさんもヨーンさんも
「アーチャーン居ないから許可は出せない。」とさっさと隠れてしまう。
私も代わりのカミソリ持って来てあげて
水浴びの場所教えてクティに逃げ帰った。
ケーウさんは「ここはホテルじゃない!」と少々怒り気味。
そのままほっといてもよかったが外は陽が暮れ、
小さいネーンが居るのが気になった私は様子を見に行くと、
「もうこれで行きますので、
コープクンマークカップ(ありがとうございました)」
と旅立つ準備をしたネーンがワイをして言う。
すでにウチの和尚さんは帰っていたので
「アーチャーンは帰っているけど逢ってないのか」
と余計なことだったかもしれない一言を言って引き止めてしまった。
結果的にこの四人の僧は三拝してお泊りになってしまった。
和尚さんもこの点は気前がいい。
反り繰り返って「いいじゃろ、いいじゃろ!」といった
ニンマリ笑顔である。
しかし寺のみんなは厄介なことは察知して
避けて逃げ込むのは早い。
うっとおしい思いをしたのは私だけだが、
私がノンカイとビエンチャンで受けた待遇は珍しいことなのか。
今日の四人はあまりにも横柄に来たから私も避けたくなったが、
その状況とは別にみんな巡礼の比丘に対して冷たくも思えた。
お布施がもらえるなら気前よく作業するが、
藤川さんの読みどおり、
面倒なことには首突っ込まないのはイアットさんが一番だった。


1月16日
朝の4時にはバスターミナルから発車する便があるようで、
目覚まし時計がなくても眼が覚める。
他の比丘も眠れないだろうと思ったが、
結構図太く眠っているようだった。
ビンタバーツも昨日の四人組みも、
ミツーさんも行かれたようでホー・チャンペーンには賑やかに集まった。
朝食後は四人のお坊さんらは和尚さんに三拝して旅立たれた。

昼食後に和尚さんがかなり語気強く、ヒベと土方くんを怒鳴っていた。
昼食を食べに出て来なかった理由もあるが、
普段の言動見れば怒られて当然の二人である。
食べに来ないということは、以前もあったが、
飽きる冷飯よりいい物喰っているということである。
また寺の規律を乱す原因ともなる。


1月17日
昼食時に藤川さんから私宛の郵便物を受取る。
春原さんからワールドボクシング2月号と
カレンダーが六つ送られて来た。
どれを誰にやろうか考えてもバンコクの知人に渡すのは無理だ。
ボクシングカレンダーは自分の部屋に飾り、
あと五つは寺の誰かにやるしかなかろう。
煩いヒベにも一つやった。
ケーウさんとノーイさんとコップくんにあげることにした。
残り一つは還俗の際、和尚さんにあげるとこにした。
カレンダーは主に日本の風景である。

夕方庭掃き掃除していると、
藤川さんがラジオ持って外に出て来て私に聞かせようとする。
「今日の朝、兵庫で地震あったらしいぞ」と言われた。
かなりの規模の大地震の様子。
“震度6”と言われれば大きさは想像出来ないが、
凄いことは想像付く。
マグニチュード7てんいくつとか。
昨日もデックワットが「日本で地震あったらしいぞ」と言われた。
こちらは三日ほど前の青森での小規模のものだったようだ。
NHKアナウンサーの声は、
死亡者数1132人、
怪我人、救援物資、救助作業状況などを淡々と語り、
より不気味さを伝えられた。
藤川さんも「日本に帰ろうかな」と一時帰国を考えた様子。
京都に娘さんとお孫さんが居られるのだから気になるところだろう。
青森に続いて兵庫と来たら東京も近いと思ってしまう。
何か暗い気持ちの中、大相撲のニュースが流れた。
初場所10日目で曙1敗、新横綱貴乃花は2敗。
そんな中、ジジィは地震の話を続けるから相撲情報が聞こえない。
喋るだけ喋ってラジオ切ってクティに戻られてしまった。
娯楽に耽る訳にはいかないが、相撲情報はもっと欲しかった。

1月18日
朝のビンタバーツで、藤川さんが
「昨日の地震で死者1500人越えたぞ」と言っていた。
最終的にどれぐらいになるのか、明日は我が身と考えると恐ろしい。
寺の比丘達もテレビを持っている奴もいるし、
新聞も和尚さん席で読めるし、
いくらかは情報が入るようで心配してくれた。

昼食前にイアットさんがいくつかの経文を教えてくれた。
ビンタバーツで信者さんから施しを受ける際の経文や
ホー・チャンで、受けた物を空ける時の経文、
食事直前の二回のワイした時の経文。
いつも食事前、二回のワイがあったが、
なぜ二回なのか知らなかった。
今頃知ったというのも恥かしいものである。
施し物の食材を仏陀に捧げる経文を唱えるワイと、
自分が頂く時の仏陀に対する感謝の経文のワイ。
二回続けてやるのだから飯時のは簡略化したものだろう。
それらは全てお経の本に書いてあるようなのでチェックしてもらった。
葬儀中心の寺では講習もないし、
自分から聞かないとわからないままだ。

1月19日
今日も朝のビンタバーツで藤川さんが一昨日の地震の話をする。
「被害がひどいからアメリカのクリントンが日本に援助すると言うと、
タイ政府も援助すると言うとる」という話。
ジジィの解説より俺もラジオ欲しいと思った。
御菓子おばさんとも地震の話になった。
「あなたの住んでいる所は大丈夫なの?」と言われて
「私は東京に住んで居て地震があったのは
神戸という500kmほど離れたところなので大丈夫です」と答える。
帰り際、よく考えてみれば「私の両親は大丈夫か」
という意味だったかと思った。
私の両親は田舎の石川県に住んでいる。
まあいいか! 
そして今日からサイバーツされる際、
昨日教わった経文の頭のほんの一部分ながら口元だけで唱えてみた。
やっていいことなのだが、恥かしいから聞こえぬようにだ。

1月20日
還俗5日前。
朝、サンくんに
「還俗してから着る白いシャツはどこに売っているの?」と聞くと
「一緒に行こうか」と言われてお願いした。
シャツ一枚買うぐらいどうってことないのだが、
還俗式にふさわしくない物を買ってしまうのが
ちょっと心配だったから見て欲しかった。
午後にサンくんと軽四タクシーで例の銀座に向かう。
衣類売っている店は幾つもあった。
以前、先に還俗した奴らが買いに来てたあたりである。
シャツはワイシャツでもポロシャツでも
白ければ何でもいいようだ。
私は前開きの普通のワイシャツが好きでそのタイプにした。
サンくんが肩幅を測ろうとシャツを背中にあてがった。
黄衣しかまとえない僧侶がシャツをあてがっていいのか、
ちょっと慌てる行為だ。
220バーツのシャツを200バーツにオマケしてもらって買った。
還俗式でしか着ないだろうと思うシャツだ。
さらにパー・アブナーム(水浴び用腰巻)を買わねばならない。
これも形だけながら還俗式で使うようだ。
これで必要なものは揃った。
帰り際、私は郵便局に寄りたかったので、
サンくんに「先に帰っていいよ」と言ったが付き合ってくれた。
郵便四通出して45バーツ。
100バーツ紙幣出してお釣りが455バーツ来た。
ノンカイ行きの切符買った時の間違われて損した分、
取り戻せると一瞬頭を過ったが、
ちゃんと説明して400バーツ返した。
僧として正確を期したが、局員が先に気付かれるのも困る。
この時の心中は正確を期す気持ちが大部分だったが、
バックレようかと思う気持ちも少々あったのも事実。
これぐらいなら懺悔はしなくてよかろう。
ダメかな。
帰りも軽四タクシーで帰った。
寺に戻ってからサンくんに御礼としてクティの仏壇前での写真を撮ってあげた。
みんなが撮りたがる仏陀との記念写真である。
本来は本堂の中の大きい方がいいだろうが、
建設工事が周りで続いているし、
本堂自体が開けられないから誰も望んで撮ろうとはしなかった。
私も還俗前に撮ってもらわねば。
カメラの撮るコツのわかる者は少ない。
ケーウさんかネイトさん待ちである。

1月21日
還俗4日前。
今年に入ったぐらいから、朝のホー・チャンで使う
惣菜を入れる容器の準備やビニールシートが敷かれるのが
遅くなりがちだった。
担当はデックワットである。
今日は全く出されない。
寝坊のようである。
寝坊は今日だけではなかろう。
全くだらけているデックワットだ。
(以前私が居た部屋のデックワットの事ではない。)
ケーウさんが「蹴ってやろうか!」とちょっと不機嫌である。

午後に珍しくコップくんが部屋に来た。
私に還俗する前に「ナコーン・キリーに行こうよ」と言われた。
寺から見える山の上にある“プラ・ナコーン・キリー”という歴史公園である。
どういう歴史があるのか全く知らない。
私が得度する前に、今年の一時僧達はみんなで行って来たらしい。
その写真も見せてもらった。
観光地なんて行くなら還俗して身軽になってから行きたいと思って、
「俺が還俗してから行こうよ」と言ってしまう。
コップくんにとっては写真の御礼だったかもしれない。
これは失礼だったかもである。
ミツーさんも私の還俗日を尋ねてくれる。
ミツーさんも「今月末にカンチャナブリーに帰る」と言っていた。
どういった旅をしてこの寺に来たのか、
聞きそびれてしまった。

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※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
 おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
 クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
  


<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い

>第2回・得度の決意

>第3回・修行に向けての準備

>第4回・人生最後の式典・得度式

>第5回・苦痛の日々

>第6回・バンコクへ初出勤

>第7回・慣れた頃

>第8回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(前編)

>第9回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(後編)

>第10回・平穏な日々

囲む人々「一話一言」

堀田春樹「タイで三日坊主」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

新連載は堀田春樹さんによる、「タイで三日坊主!」
堀田さんは現在、ボクシング中心に撮影しているフリーカメラマン。
9年前に行った3ヶ月間の出家体験記を連載します。
実は、この話、出家前(正確には、一時出家後、
本格的に出家をするべきか悩んでいる)ときの藤川さんと
出会ったことから始まります。

ついに還俗(スック)を決意した春樹さん。
そうすると、今まで見えていなかったものが
いろいろと見えてきます。