タイで三日坊主!
還俗に向けてカウントダウン!
1月22日
還俗3日前。
朝は珍しく本堂の掃除があった。
何かあるのかと思ったら白い衣を持った剃髪した男の子がいた。
親族の方が私に
「サボンを穿かせてやってくれ」と言われてノーイさんにお願いした。
人の物となるとやり難いのである。
自分のだってうまく出来ないのに。
サーマネーンの得度式だったが私の参列出番はなかった。
掃除や片付けも終わり、クティに戻ると藤川さんが呼ぶ。
何かと思えば、ネイトさんが立っていた。
やっと来たか。
知った仲とはいえ、相手がアメリカ人となると英語で挨拶しようと身構える。
デタラメ英語をちゃんと聞き取ってくれるネイトさん。
藤川さんの部屋で少々お話した。
昨日の夕方、ブリキのオモチャ型バスでノンカイを出発し、
今朝9時20分に寺の隣のバスターミナルに到着したばかりだった。
バス代はタダ。
長旅を延々固いシートに座ってやって来たから眠れず、
疲れているのは当たり前である。昼
食は得度したネーンの親戚関係の寄進で読経も長く、
豪華ながら静粛な昼食になった。
ネイトさんも和尚さんに挨拶に行って三拝し、
儀式に加わる。
ネイトさんがいるから少々私も浮かれていた。
エーくんに
「アメリカから来たネイトさんだ。英語で挨拶して見ぃ」と肩をポンと叩くと
ヌゥンくんとヒベが「ふざけちゃダメだ!」と注意された。
儀式中にちょっとやりすぎた。
恥かしい。
昼食後、藤川さんの部屋に戻ったネイトさん。
何やら延々藤川さんの話が続いている様子。
歯磨きに行ったついでに藤川さんの部屋に寄った私は
「ネイトさん、少し寝たら!寝不足でしょ?」と
藤川さんにも聞こえるように言ったが、ジジィは全く無視。
聞こえないフリして話を続ける。
「これはつらいぞ〜」と思いつつ、
私は部屋に戻って自分はゆっくり昼寝した。
15時40分になって掃除しに部屋を出て
藤川さんの部屋に立ち寄ってみると、
まだ話している。
「寝なかったの?」と知って
いながら聞くとネイトさんは軽くうなずく。
続いてジジィが「寝んでも寝る時は人間はちゃんと寝とる。
たとえ3時間でも熟睡すれば死なん。」と言って
また話が続く。
私が声掛けたのは、
ネイトさんを解放してあげたくて部屋に立ち寄ったのである。
それでもネイトさんはジジィと幾らか
“キャッチボール”が出来るからたいしたものである。
そしてネイトさんが“監禁”から開放されたのは、
ジジィの日課のトイレ掃除が始まった頃であった。
ようやく私と話が出来る時間になったようだ。
せっかくの開放だから休ませてあげようと思ったが、
ネイトさん結構、タフである。
というか監禁から開放されて外の空気吸うだけで元気が出るのもわかる。
話してみたところ、
私から出した郵便は一切届いていないということだった。
と言うことで届かぬ手紙にも書いたことだが、
改めて私が「1月末のムエタイ撮影の仕事をしたら
2月にもノンカイの寺で再得度したいと思う」と言うと
ネイトさん「それはいいですね。お待ちしていますよ。」
と喜んでくれた。
そしてネイトさんは藤川さんから頼まれた“巡礼の旅の計画”を
通訳として和尚さんに話しに行った。
それは、藤川さんがネイトさんと
2月にノンカイのワット・ミーチャイ・ターで行なわれる祭りに参列。
その後コーンケーンに行き、その後カンボジアに行く事。
正確なタイ語で伝えて欲しいのはよくわかる。
しかし無謀とも言える危険な翻訳だった。
元々寺の外へ出ることを嫌っている和尚さん。
珍しい変なことに頑固な和尚さんである。
しばらくして重苦しい表情で戻って来たネイトさん。
「やばいですよ。コーンケーンはいいがカンボジアは・・・。
和尚さん、不機嫌になって
『遊びに行きたければスックしてどこにでも行け!』ですよ。」
ネイトさんも悩む。
この寺に来た初日に和尚さんに睨まれてはかわいそう過ぎである。
まあ通訳しただけだからネイトさんに罪はないことは
和尚さんもわかっているだろうが。
藤川さんに伝えにクティに戻るネイトさん。
私は庭掃き掃除を始めた。
するとすぐ今日得度したばかりのネーンがやって来て
「俺もやります!」と言った感じでホウキをくれという。
じゃあやってくれと私の持っていたホウキを渡し、
もうひとつホウキを持って来た。
そこでネイトさんも戻って来て
「俺もやります!」と言って私のホウキを奪ってしまう。
それは私に“休んで居て!”という意味の奪いである。
まあそうもいかんからまたひとつホウキを持って来て
結局三人で掃き掃除した。
ネーンも真面目だが、何となくダラダラと掃いている感じ。
それでも三人でやればきれいに早く終った。
ネイトさんに通訳してもらって
ネーンにホウキの置き場を教えておく。
18時を回ってそれぞれ部屋に戻ってくつろぐ。
水浴びしたり日記書いたりしてると
ネイトさんが私の部屋にやって来た。
ミロを作って久々に二人で飲んだ。
2月のネイトさんらの予定を詳しく聞くと
4日〜6日がミーチャイター寺の祭り。
7日〜9日がコーンケーン。
ミーチャイター寺に戻ってから2〜3日後、
バンコク出てからカンボジア行き。
それでは私が再得度しても
ネイトさんと居る時間は少ないか全く無い。
予定は立て直しだ。
再得度が許されればだが。
(やってはいけないという運命の警告だったのかも。)
ネイトさんはお経の本を持って、この寺での読経する箇所を私に聞く。
読経と言っても葬儀以外は飯時にちょっとしかないから、
特に教えるところはない。
逆に私が、語学優秀なネイトさんに一般的にやっている
経文を再チェックさせてもらった。
得度式のページについては私の再得度の為ではなく、
次に得度を希望する人の為にテキストブックが作れるぐらいに
完璧にしてみたかったのだ。
しかし考えてみると難しい。
経本どおりには進まないだろうからだ。
でもミーチャイーター寺でやっている経文は改めて確認しておいた。
ネイトさんには持っていた写真を見せる。
私の得度式のものやノンカイでのもの。
ネイトさんの得度式の写真は送ったので手元にはない。
ネガフィルムだけ見せてあげた。
届いていないのは郵送事故か、
誰かが渡してないだけかはわからない。
ネイトさんもミーチャーター寺での面白いことを言ってくれた。
「プラマート和尚は毛糸のパンツ穿いているんですよ。」と言う。
一瞬驚いてしまうがそれもしょうがないことかもしれない。
やっぱりタイの東北部や北部は寒いのである。
戒律も守るべきものであるが、
自分の都合をコントロールするのも個人の役目だろう。
絶対必要なものは戒律を緩やかに解釈して手に入れるべきかもしれない。
あくまで戒律厳守のタマユット派では許されないが。
21時過ぎにネイトさんは藤川さんの部屋に戻った。
1月23日還俗二日前。
いつもどおり5時30分に部屋を出ると、
藤川さんの部屋の扉が開いている。
私が「おはようございます。」と言うとネイトさんが
「おはようございます。」と返事する。
今日は三人で出発。
ネイトさんが一番後ろ。
寺の路地出た所の一軒目のおじさんが眼に入ると、
ネイトさんが小さい声ながら「居た!」と声を漏らす。
私は「ネイトさん、喋らんでいい!」と念じる。
誰が見ても西洋人の比丘が居ては一瞬、眼が点になる。
といってサイバーツを止める人は居ない。
御菓子おばさんのところでは
“とりあえず二人分”しか用意してないから
ネイトさんはその場を過ぎ去ろうとする。
私は“待て!”と眼で引き止め、
新たにおばさんが用意される施し物を待った。
今日は会話するタイミングを失ったが、
去り際おばさんとお互いニコッとした。
琴桜おばさんは「どこの国から来たの?」と聞かれ、
私は「プー・パーサータイ・ダーイ(タイ語OK!)」と言うと
ネイトさんはタイ語で答えていた。
私の後ろに一人居ると思うと藤川さんとの間隔が開けらず、
猫背になって下を見て歩くことも出来ない。
追う者は楽だが追われる者は辛い。
だから当初は藤川さんも歩くの速かったのか!・・・
なんてことは無いと思うが、
藤川さんもタムケーウ寺で再得度した時は先輩比丘の後ろに付いて
ビンタバーツをしたそうである。
その先輩比丘もある日突然、
いつも83番おばさんの家の方向へ行く四つ角を曲がらず、
藤川さんに「チョーク・ディーナ!(元気でな)」と言って
真っすぐバスターミナル方向へ行ってしまったという。
そこから藤川さんは一人ぼっちのビンタバーツ。
そしてその先輩比丘は二度と寺に帰って来なかったという。
その先輩比丘は、寺でやる気を無くすような事を言われる
面白くないことがあったらしかった。
藤川さんが
「『ウチの嫁はん、銭湯行ったまま3年帰って来まへんのや〜!』
と言う漫才あったけど
『ウチの師匠、ビンタバーツ行ったまま3年帰って来まへん!』
てホンマになってもうた!」
と笑っていたことがあった。
そんな些細な笑い話を思い出しながら歩いていた。
朝食後、ネイトさんにアナン宅の電話番号を教え、
私が再得度することが可能かどうかを
ミーチャイター寺のプラマート和尚に聞いて返事を欲しいとお願いした。
藤川さんもこの寺とも別れる時が来たと思ったか、
ネイトさんが
「藤川さんが、もしかしたらミーチャイター寺に移るかもしれませんよ。」と言う。
昨日の和尚さんの怒りが効いたか、
そんなふうにも見える藤川さんの、
いつもとは違った更に堅い表情であった。
朝食後の片付けをしてゴミ捨てに行こうとすると
藤川さんの部屋の前で和尚さんと藤川さんとネイトさんが座って話していた。
和尚さんはニコニコしながら私に声を掛け
「一緒に座れ」と言う。
みんな和気藹々と話しているではないか。
どうしたんだろうと思ったが、
特別なことはなく和尚さんの心の探りの駆け引きのようであった。
私がネイトさんと日本語で話せば和尚さんは
「話せるのか?」と会話が成り立つことを不思議がった。
この後、和尚さんに断ってネイトさんと仏壇前で写真を撮らせてもらった。
またひとつ目的達成である。
11時を回り昼食準備に入る。
いつもは昼食準備にデックワットがビニールシートを敷かないと
昼食があるのかどうかわからないことがあった。
デックワットが遅いとヌゥンくんが昼食準備をすることが多かった。
彼はこんな仕事が得意だ。
私がやってもいいのだが
タイ語で書かれた予定がわからないだけに勝手に手を出せなかった。
ニーモンがあったりすると外に出るからだ。
この日はネイトさんが「準備しちゃいましょう。」と言ってくれて
二人で始めると他の比丘も出て来てみんなでやりだした。
この日も食事に出て来ない奴がいた。
私も部屋では寄進された御菓子や果物を取っておいて食べているが、
一日二回の食事はちゃんと摂りたかった。
だから出来るなら毎日でもホー・チャンでの飯の準備は
私がやりたいと思っていたのものだ。
人任せでは、なかなか動かない奴にはイライラする。
こちらは喰えるか喰えないかで、
次は朝まで喰えないからオドオドしているのに。
飯後、今日もやることがないと昼寝をしてしまう。
藤川さんはネイトさんを連れて街へ出掛けた。
15時30分過ぎて外に出るとネイトさんが来て
「あの山行きましょう。」と言われる。
あの山とは“プラ・ナコーン・キリー”のことである。
コップくんには断ったのにネイトさんとは行くとなるとまずいなあと思ったが、
まあいいか、と行くことにした。
しかしネイトさん、サボンが茶色でチーウォンが黄色である。
でもって青い眼とくればカラフル坊主となってしまった。
黄衣の三色混ぜていいんでしょうか?
藤川さんは「構わへん!」と言ったそうである。
ホンマかいな!
ちょっと挑戦してみたくなった。
サボンが黄色で
チーウォンが茶色で
サパイが黄金色で
ビルマ比丘みたいな紫色の布を頭に乗せてみる。
やった比丘はいるのだろうか。
なかなか御洒落である。
そして和尚さんのところへお願いに行くと、
いつものことながら愛想良く「行って来い!」とあっさりしたもの。
土木作業している比丘達には見つからないように出発した。
寺から少々離れた所に“ロット・ラーン・ファイファー”がある。
山に向かうケーブルカーの発着所。
そして土産物屋がある。
3ヶ月も寺に居てここには初めて来た。
ロットは車。ラーンは店。ファイファーは空。
繋げるとどういう意味になるんでしょう。
やっぱり“ケーブルカー”だろうか。
ケーブルカーの係りの女の子二人は
チケットを買わなくてもサッと通してくれた。
他の客はおらず、その係りの女の子二人は
乗務員となって出発ブザーを鳴らした。
3分ほどで頂上に着いた。
せっかく来たが、ケーブルカーの最終便が17時だと言う。
ほぼ30分ぐらいしか居られない。
広い公園で歴史展示物もあったが、
あまりゆっくりは見物出来ない。
見晴らしがいいのでペッブリーの街がよく見えた。
タムケーウ寺もマハタート寺もエアコンバスターミナルもよく見えた。
デートコースにはいい所だ。
↑ナコーンキリーでの写真。
ネイトさんとは十枚ぐらい写真撮っておいた。
帰りのケーブルカーも我々と乗務員の女の子二人。
行きも少々話したが、笑顔としぐさの可愛い二人だった。
ネイトさんは「どこから来たの?」と聞かれ、
「ノンカイだよ」と答えるネイトさん。
私は「俺はタムケーウ寺に居るよ」と言うと
「タンブンによく行くけど見た事ないよ!」と言われてしまう。
「俺、明後日スックするけど、その後また来るよ。」と言うと
「うん、待ってるからね!」と言われ約束してしまった。
と言いつつ、行けないだろうなあと嘘になる自分の言葉を消したい気持ちだった。
時間があればまた行って連れ出したいぐらいの可愛い娘だった。
寺に戻ってから庭掃き掃除を始めるとネイトさんの他に
コップくんとヤマさんも始めてしまう。
土木作業終ったせいもあろうが、
ネイトさんやネーンがやっていると少しは責任感じたのだろうか。
ホウキの数があまりないから他の比丘は長椅子に座って雑談していたが、
今日も人数多ければすぐ終ってしまった。

↑僧侶がこんなふざけてはいけません!
左がイアットさん、中央サンくん、右ヤマさん。手前が私です。
クティに戻って水浴びに行ってまたのんびりしていると、
今日はネイトさんが豆乳みたいな物持ってやって来た。
明日はネイトさんと藤川さんはバンコクに出て
カンボジア行きのビザ申請に行くと言う。
翌日には帰って来るが、私とは入れ替わりになるから
一緒に居られるのは明日の朝までである。
ネイトさんと藤川さんはカンボジア行きの後、
ビルマも行くかもしれないと言う。
和尚さんにはカンボジア行きの話は一端引き下げているらしかった。
こうやってネイトさんと比丘の身分で一緒に居られるのも
これで最後かもしれない。
出逢いも突然で偶然の出来事だった。
ビエンチャンのタイ大使館での事である。
(領事館かもしれない)
そんな話をしながら過ごした。
「ノンカイで逢わなければ、また日本で逢いましょう」と約束した。
お互いの日本の居場所がはっきりしなかったので、
住所は書いたがあてにならない連絡先だった。
私だってお祖母ちゃんのアパートの三畳間には寝る場もないし、
ずっと居られるわけではないのだった。
そして21時を回ってネイトさんは藤川さんの部屋に戻った。
夕方、ナコーン・キリーに行く前、
藤川さんからエアメール郵便を一通受取った。
29日にチェンマイで試合する伊達秀騎くんからだった。
21日に渡タイするというもの。
と言うことはこの日現在すでにアナンさん宅に居るということだ。
明日電話することにする。

↑私の部屋で本を読みながら話、またミロを作って飲む。
・・・といいつつ、これは撮影のためのヤラセです。

↑クティでのホー・スワットモンで、仏像との撮影。
みんながとりたがるので、かなりの比丘を取ってあげました。
ホー・スワットモンとは読経の台座
Photo Byネイトさん
※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い
>第2回・得度の決意
>第3回・修行に向けての準備
>第4回・人生最後の式典・得度式
>第5回・苦痛の日々
>第6回・バンコクへ初出勤
>第7回・慣れた頃
>第8回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(前編)
>第9回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(後編)
>第10回・平穏な日々