タイで三日坊主!
還俗に向けてカウントダウン!
1月10日朝のビンタバーツで御菓子おばさんが
「スックしたらバンコクに居るの?」と聞かれた。
このおばさんには還俗の時期の話をしたろうか。
過去にもいろいろな話をして来たので
もう言っていたかもしれない。
「バンコクで少しの間仕事します。」と言ってしまう。
仕事なんて無いのだけれど。
朝食はいつもは使わない
サーラー・カーンプリアン(ふたつめの御堂)での
チャンペーンだった。
いつもの葬儀とは違ったパターン。
先に食事してその後読経。
司会役のおじさんも先導してお経読むのだが
「ナモータサ・パカワトー・アラハトー・サンマーサンプッタサ」を三唱した後、
泣き出してしまった。
亡くなられた方の身内であろう。
そしてこの時の供養された遺体は保存されるという。
冷凍されるのだろう。
カメラ持って走りたかったが、
僧としてとても出来る雰囲気ではなかったので諦めた。
(ナモータサ・・・の意味は
「私は阿羅漢であり、正自覚者であり、
福運に満ちた世尊に敬礼たてまつる」ということである。
・・・らしい)
午後にコップくんが
「家に行く」と言って最近撮った写真を受け取りに来た。
こんなに撮られる機会は比丘になる前でも少なく、
おそらくは私が撮ってあげた写真は二十枚を越え、
比丘としての思い出のミニアルバムが出来ることだろう。
それを持って実家に行って来るようだ。
育った地元で得度して、帰る家があるのは少々は羨ましくも思えた。
1月11日朝のビンタバーツで寺に戻るところの門に近いところで寄進された、
ミルク饅頭のような甘い御菓子が頭陀袋に入れられた。
焼き立ての熱々でクティに入ると二つ食べてしまった。
こんなのは熱いうちに食べなきゃ美味しくない。
本当の焼きたてで、すぐタンブンされたのだろう。
自分としてはこんな喰い方は戒律違反だろうと解釈する。
みんなやっているからいいというものではないとも思う。
けど朝食前に摘まんでしまうのは、
この寺での水準に流されて来てしまったと思う。
昼食に、土方くんが出て来ないので
和尚さんが何か叱りに行っていた。
そこでヒベも飯の席に着いたが、
こいつ喰う真似して何にも食べていない。
和尚の眼をごまかしている。
おそらくは、と言うより確実にどこかで別の物喰っている。
和尚さんの眼をごまかす行為はビンタバーツに行ったフリや
掃除しているフリ、物を運んでいるフリなど多く見られた。
こういう行ないは和尚さんだって感じ取っているのではないかと思う。
藤川さんも比丘の一人一人の行ないを見抜いているところがあった。
「あいつは葬儀の参列者の前では
ホイホイと物運んだり掃除したりしてお布施を貰うことに
一生懸命にやっとる」
「こいつは真面目やが生きていく上では
先を読めんから要領悪いな」
「あれはまともな仕事なんか就けんから
坊主やっとるしかない奴やな」
まあそれぞれ鋭い読みであった。
ついでに私のことも何度もクドく喋りたい時に説教された。
日頃の行ないは言動に出る。
タムディー・ダーイディーが良い。(善行善果)
夕方の作業でノーイさんが
「焼却場の燃えカスを捨てるのを手伝ってくれ」
と言われて手伝った。
そこには燃える物や燃えない物、一緒に燃やされている。
それらをリヤカーで門の外の土手に捨てに行く。
そこは捨てられた物が溜まりに溜まって山のようになっている。
この先どうするのかノーイさんに聞くと、
「いずれ上から押し潰して地面に沈める」と言った返事。
「それじゃ環境破壊でしょ!
燃える物、燃えない物分けないと!
再生出来る物はしないと、日本ではそうするんだよ!」
と言ったところで理解出来るレベルではない。
「ハルキ、チャイディーナ!」とは言われたが、
このノーイさん、真面目やが生きてい上では
先を読めん要領悪いお坊さんなのであった。
(チャイディーとは、“心が良い”“親切な”といった意味。
ディーチャイになると“嬉しい”になる。)
1月12日この時期は陽が登るのが遅く、
ビンタバーツから帰る頃もまだ薄暗い。
綺麗なお姉さんのお顔がよく見えないぐらいだ。
暗いせいか、また寒いせいかこのところ
サイバーツが少なめである。
常連さんは在宅である限りタンブンは忘れないだろう。
ワンプラの日ははるかに増えるが、
通常の日で二十軒ほどあったのがこの時期は十二軒ほど。
藤川さんは多かろうと少なかろうと通常のコースを外れなかった。
ワンプラの日にかなり頭陀袋もバーツも重くなった時に
私は「途中で帰ってもいいのでは」と思ったことがあるが、
それは徳を積む機会を待っている信者さんに対して失礼であろう。
また少ない日にいつもより遠くまで行ってみるという行為も、
それでサイバーツする信者さん自体が増える訳ではない。
藤川さんの、早く行って早く帰って来る態勢は私も好きである。
昼食は寺から歩いても行けそうな民家の中の一軒でのニーモンで、
車に比丘いっぱい乗って向かった。
亡くなられた方の遺影のある家で何周忌かの供養の様子。
読経の後、食事が施された。
その後、食器を下げる際に私が手渡ししようとしたら、
おばさんが受取ってしまった。
間接接触である。
女性に触れたのと同様である。
お互い“まずい”といった感じで手を引く。
うっかり手を伸ばし過ぎた私の方が悪かろう。
夜に懺悔である。
この寺ではその儀式の時間はないので、
個人での反省である。
ノンカイの寺で教わった
“ウィティーサデーンアーバット”という懺悔の経を、
ネイトさんとやったものを一人で再現だ。
「サッパーター・アーパッティヨー・アーローチェーミ」から始まる
先輩僧と新米僧の問答がある。
それほど反省の念の足りない私は唱えるだけで終った。
1月13日朝のビンタバーツで、女の子二人がサイバーツした。
御飯はバーツに入れ、ビニールに入った惣菜は
頭陀袋に入れてもらうのが普通だが、
この女の子は惣菜もバーツに入れられた。
蓋を閉めるタイミングが狂った私は
その惣菜と手が触れてしまった。
二日続けて間接接触である。
これでは修行の成果がゼロからマイナス10ポイントである。
修行の成果なんて赤字続きだから、
足りぬ修行の借金である。
懺悔しても追いつかない。
午前中の掃除しているとクティの下の広場に
籠に入った紅雀のような小鳥が二羽飼われていたが、
数日前からもうひとつの狭い籠にカラスが入れられていた。
飼うというには可愛そうな居心地である。
何で籠に入れられているのかはわからない。
羽根を伸ばして飛びたいだろうに。
餌は与えられた跡があるが水が無い。
容器に水を入れてやると待っていたかのように
早速、一気飲みのように飲んでいた。
カラスも水が無くて死を意識したろうか。
餌係りは雰囲気的にノーイさんであるがこんなところは疎い。
小鳥のほうは私も昔飼っていたことがあるし、
飼うことに飽きて餌を与えず死なせてしまったことがあって、
無責任さに子供の頃の自分を恨む。
この時は小鳥の気持ちになって餌と水を替えてやった。
自分も飯は勝手に食べてはならないから、
きちんと明日は与えられるかと不安は毎日あった。
鳥達を還俗日まで毎日様子を見てやろうと思った。
昼食時に思い出したが、食事の際や普段喉が渇いた時、
私はいつも浄水タンクから汲んできた水をポットで沸かし、
冷ましてからプラスチックの容器に水出し麦茶パックと共に入れる。
ニーモンなど外に行く時は持ち出さないが、
寺でのホー・チャンで食べる時はこれを持ち出す。
他の比丘は和尚さんの席の近くの冷却水の水を飲む。
この水は直接、浄水タンクから運んだ物である。
この浄水タンクはかなり大きい業務用とも言える
三百リットルほど入りそうな物。
半年か一年で浄化フィルターを交換しそうなものだが、
藤川さんはこの寺に来て一度もフィルター交換している
作業を見たことないと言う。
また聞いた限りでも誰かが換えたとか
業者が換えたとか聞いたことがないらしい。
浄水されていないタンクかもしれない。
だから腹の弱い日本人は沸かさねば。
もうひとつ驚く話では、別名“チビ太”のヌゥンくんは
雨季に溜めた雨水を入れた瓶の蓋を開け、
器ですくって飲むようである。
私はその姿を見たことがあってそれが雨水とは知らなかった時だった。
私がラオスでお腹壊したポラリスもこの程度の水質だったかもしれない。
ある本で昭和四十年代のキックボクサーが
タイでムエタイの修行した時に、
「瓶を叩いてボウフラが下に沈んでいる間に器で
水をすくって飲んで下痢した」という話もあったが、
こんなの飲んで下痢しないタイ人は
どういう腹をしているのだろうか。
藤川さんの話では
「タイのミネラルウォーターを作る工場を見学した時でも、
胡散臭い作業風景だった」という。
こうなると自分の免疫力を強くしておくしかなさそうである。
1月14日この日は剃髪の日。
私にとっては四度目の剃髪だ。
これが最後の剃髪であるが、また再得度するならば最後ではない。
夕方にやっていた剃髪も撮影した。
副住職のヨーンさんは
「撮るのはよくない」というが、
遠慮はしなかった。
和尚さんは遠くから眺めていた。
もう私を叱る気はなかったかもしれない。
剃髪に使うカミソリは一人ずつ持つ。
使い回しはしてはならない。
これは戒律ではない。
現代の常識、エイズ予防である。
タイ国内のニュースでは、剃髪で使ったカミソリで
感染したという例もあるらしい。
お坊さんの中にも感染者は居るということである。
この剃髪が終る頃、来客の坊さんが現われた。
「ルアン・ポーは居るか」と聞かれ
て和尚さんのところに案内した。
和尚さんのことを“アーチャーン”と言ったり
“ルアン・ポー”と言う言い方がある。
眼鏡掛けた五十歳ぐらいの比丘で、
木の下をコンクリートで囲んだ腰掛けに座って居た和尚さんの前で
サンダルを脱いで三拝を始めた。
和尚さんは「マイ・トーン、マイ・トーン」と
固いことやらなくていいと宥めた。
“マイトーン”は、“しなくてよい”という意味である。
どうやら巡礼の旅の様子。
“泊めてください”お願いだ。
きちんとした礼儀を持ってのお願い。
マイトーンと言う和尚さんも優しい受け入れだ。
私はノンカイとラオスでの三つの寺で
こんなきれいな三拝は出来てなかったなあと思う。
いい見本を見せて頂いた気がした。
しばらくすると私の部屋の隣に、このお坊さんが入った様子。
旅の不安もあろうかと私がノンカイの寺でやって頂いたように、
コーヒーではないが一杯のミロを作って持って行ってあげた。
転校生と同じである。
何か普通に声掛けてくれるだけで安心するものだ。
年配の方だから旅慣れているかもしれないが、
ニコッとしてお礼を言われた。
「マイペンライカップ!」と言う私。
この辺は日本人も同じである。
※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い
>第2回・得度の決意
>第3回・修行に向けての準備
>第4回・人生最後の式典・得度式
>第5回・苦痛の日々
>第6回・バンコクへ初出勤
>第7回・慣れた頃
>第8回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(前編)
>第9回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(後編)
>第10回・平穏な日々