タイで三日坊主!

還俗式とその後の反省!

その後の日々の中で・・・。
2月3日の朝、
ネイトさんから電話があった。
ミーチャイター寺での様子は、祭りの準備で忙しく
私の再得度どころではない様子。
ただこの時期だから無理なのであって
再得度がダメと言っている訳ではないということ。
藤川さんはタムケーウ寺の和尚さんには一応理解はされていて
予定どおり2月7日からコーンケーンとカンボジアには行くということだった。
4日から6日の祭りの後
「片付けに残るべきだろうと思う」と言うネイトさんに
ジジィは「そんなもん、せんでもええ」と
7日以降の予定に響くから勝手なことを言っているようで、
ネイトさんは悩んでいる様子。
「プラマート和尚には片付けに参加出来ないことは
しっかり謝って7日からコーンケーンに行くしかないね。」と助言した。
そしてネイトさんは「寺の祭りに遊びに来てください。」と言う。
すぐには旅立てないから無理だが
「また出来れば近いうちにミーチャイター寺で逢いましょう。」と
約束して電話を切った。
ネイトさんからの電話待ちの為、
数日アナンさんの家に待機したが、
この後9日振りにタムケーウ寺に向かい、
まだ置きっぱなしの私物の撤去に掛かった。
和尚さんに三拝して挨拶した。
「部屋借りっぱなしでごめんなさい。
掃除して行きますね。」と言ってクティに行き、
置きっ放しにしておいた毛布や枕、
電気湯沸しポットやプラスチック容器を以前、
約束したとおりサンくんやコップくんにあげた。
今回は御土産を持って行き、ヒベにもノーイさんにも
ケーウさんにもマールボロをあげた。
あとは写っている限りの写真をみんなあげておいた。
すると普段あまり話さなかった一日一食の比丘が、
持っていたパー・ソンナーム(手拭い用=水浴び用)を少しちぎって
ボールペンでお経を書き留め、御守りとして私にくれた。
これはなかなか価値ある御守りである。
当然ながらワイをして頂いた。
外には先にスックしていたブイくんが来ていた。
彼も髪が結構伸びていた。
還俗した仲間はみんな一度は遊びに来ていた。
私も改めて来なければと思った。
居る者で写真撮り、エーくんも居たので先週のことは忘れ、
お互い笑顔での挨拶となった。
和尚さんにもう一度挨拶に行き「また遊びに来ますね。」
と言い残してみんなにも
「またいつか逢いましょう」と言って出て来た。
次にタイに来た時は和尚さんに挨拶に来て
元気な姿を見せないといけないと思った。
出身校みたいなものである。
私は過去の卒業校を一回も訪問していない。
同窓会も出ていない。
でも寺では“また逢いたい”という気にしてくれた。
不満の残る寺だったのに。
みんなからは「日本に連れってくれ。」と言われた。
これは説明するのも面倒な難問で笑ってごまかした。
寺の増築作業には私は参加しなかったが、
みんながせっせと頑張っている姿を見て、
これも比丘の修行で徳を積む手段かと改めて思った。
外から寺を見つめると見えなかったものが見えるということだろうか。


↑ペッブリーのタムケーウ寺
 還俗後、一度だけの訪問。
 左からケーウさん、私、ミツーさん、一日一食の比丘、ブイくん






持ち帰った荷物はスックした日に運んだ物を含めて、
バーツ、黄衣、頭陀袋、蚊帳と傘等、黄衣グッズそのものである。
あとは身の回り品とカメラ類、食器に使った皿や
スプーン・フォークも藤川さんから貰った物だが、
これは藤川さんには断っておいたもので
日本へ持って帰って使おうと思っていた。
この皿でボンカレーを食べながら寺の食事を懐かしく思いたかったのである。
重い荷物だった。
これらを無事、アナンさんの家に運び終えて
タムケーウ寺の最終章を終えることが出来た。
しかし、これが後にひんしゅくの元となってしまうのだった。
還俗後は友人、知人に逢ってスックしたことを伝えた。
得度したことすら言ってなかった人にも
改めて出家の経過を伝えた。
さすがに最大の徳を積んだ後だけに喜んでくれる人ばかりだった。
その中でまたごく一部の人に
「また得度したい。」と伝えた。
アナンさんも、タイでお世話になっているムエタイ雑誌のカメラマンも、
ミニストアーのおばちゃんもみんなが
「もう充分だ、やらなくていい」と言う。
「どうしてもう一回やりたいの?」とも聞かれた。
「甘い気持ちで仏教の予備知識もないまま得度してしまったことの反省や、
寺では修行らしい修行がなかったことの物足りなさがあったこと。」を述べた。
納得してくれつつも「じゃあもう一回しっかりやれ」と
励まされることも無いことにちょっと気が付き始めていた。

そして還俗した後の2月、
以前のようにアナンさん宅に選手達と共に泊めて頂いていたのだが、
どうもアナンさんや奥さんの表情が暗い。
さほど気に留めていなかったのだが、
何となく私に対する態度が冷たいことに気がついた。
アナンさんにある日、尋ねて見た。
「俺が何か間違ったことをしているか、だったら言って欲しい。」と言うと
「バーツを何で持って帰って来たんだ、黄衣もそうだ、
これはお寺に置いてくる物なんだ、
俺の奥さん(我々に判り易く、妻のことを日本語で“オクサン”と呼ぶ)が
気味悪がっている。
バーツも黄衣も記念品じゃない、
仏門の物を俗世間に持って来てはいけないんだ。
それともう一回得度するということも、
それらはいずれもバープ(罪なこと、バチあたりなこと)なんだ。
一回はいい、誰もが経験する儀礼だ。
でももう一回やると言う時は一生を仏門で過ごす覚悟がいるんだ。
還俗の無い、解脱を目指すということなんだ。
キヨヒロさんもそう宣言して再得度したんだろ?」
凄い勢いで捲くし立てられて、打ちのめされた思いがした。
私は本当に甘く、無知な仏門生活を送って来たと思っているが、
本当に思っていた以上に愚かな自分に嫌気を差していた。
タイ人が「もうやらんでいい。」と言う意味がわかった。
藤川さんが「もう一回やったら足洗えんようになるぞ。」と言う意味もわかった。
得度というものは何度でもやるものではないのだ。
安易に、メコン河沿いの品のいい寺で
もう少し修行に集中してみたいと思った自分が恥かしい。
そうとわかったらもう再得度発言は出来ない。
アナンさんの奥さんにはすぐに謝った。
「ごめんね、俺、何にも知らなかったし誰も言ってくれなかったし、恥かしいよ。」
と言うと奥さんはニコニコして「マイペンライ!」である。
大問題だったのに解決すればマイペンライ。
こんなところは柔軟なタイ人気質は有難い。
しかし奥さんは
「回りもみんなバープだと言うし、選手も負けるし、
不運が続くから黄衣とバーツは寺に返してね。」と言う。

アナンさんは「近くの寺に預けるけどいいか?」と言う。
これだけ言われながらも私は黄衣とバーツを手放す気にはなれなかった。
藤川さんから貰った本の“タイの僧院にて”にある
「この証書は美しい額縁に入れられ、
チーオンやバアツなど僧の所有物と一緒に家の中に飾られ、
終生誇りをもって回顧される記念物とされる。」という文面(原文のまま)の
この意味はどうなるのだろう。
この文は一パンサーを経験した者に贈られる修了証書のことを言っており、
それと共にバーツと黄衣も付け加えられた文ではあるが、
私はこれを読んで黄衣もバーツも持って帰って来てしまったのだ。
勿論記念品として日本に持って帰りたくてである。
アナンさんには
「これをバンコクに居る日本人に預けるけどいいか?」と言うと
「この家から持ち出してくれればそれでいい。」と言われて、
とりあえずカバンにまとめて引っ張り出した。
寺を出る時も誰も忠告してくれなかったなあ。
知らないでやるという行為は、
とんでもない図太いことを恥かしくも無く堂々とやっているんだなあと自分を感心した。メガネのブンくんらが黄衣やバーツを
寺に置いて行ったなあと思うと、
それが当たり前の事だったんだと改めて思った。
こういう物を家に置いておくことがバープだと言うことで、
住んで居る者が病気になったり事故を起こしたり、
ムエタイジムならば選手が負けたり怪我したりすると言う。
そんなのは迷信だろうとは思う。
が、ここはアナンさんの家である。
迷惑はかけられない。
このジムの看板選手である元チャンピオンで
現役ランカーのグルークチャイも信心深い奴だが、
私がスックして帰って来た翌日に
「ここで黄衣を洗ったら問題あるかなあ」と聞いたら
「いや〜、いいんじゃないかなあ、よく知らないけど!」と頼りない返事だったが、
一般的にこんな認識程度ではないかと思う。
或いは呆れてしまって適当に答えられたのだろうか。
参った〜!
ホントに。辛かった。
寺に預けると言っても、もう返って来ないことは想像出来た。
そして持ち出した先は、空港に近い、
昔の拠点地区だったチャイバダンジムから30メートルほど先の
チャンリットさんの家。
この方はチャイバダンジムの元トレーナーで私とも付き合いが古く、
日本でも試合の経験のある来日経験豊富な
私より四つほど年上のお兄ちゃんである。
家は十五歳年下の奥さんの実家で二世帯住居となって
隣には奥さんの両親がいる。
チャンリットさんは「ハルキの寺にタンブンに行きたかった」と残念がる。
後から思えば仲間はいっぱい居るのだから誰にも言わずに
得度するなんて考えずに参列してもらってればよかったと改めて反省した。
呼ぶのを拒んでしまった日本人の方にも失礼してしまったと思う。
そして私は黄衣とバーツを見せ、
これを預かって欲しいとお願いし、ここに至った経緯を説明した。
チャンリットさんは
「わかった、預かろう。確かに寺から持って帰って来る物ではないけどね。」
と常識をわきまえつつも柔軟な姿勢で受けてくださった。
奥さんや隣の両親には内緒にすることもお願いした。
余計なトラブルを起こさせてはいけない。
すぐに日本に送りたい気もあったが、
私のお祖母ちゃんの家も長く保管をお願いし難い事情があって出来なかった。
チャンリットさんとは長年持ちつ持たれつ助け合って来た仲であった。
しかし私が面倒見たほうが多かろう。
そういった信頼でこんな時に頼ることが出来て有難かった。
そしてこの近所の人達も集まって来たので逢って挨拶した。
以前長かった髪が短いから得度したことはすぐにわかる。
「何で言ってくれなかったの〜、タンブンに行ったのにぃ!」
とは社交辞令であるが言ってくれるとやっぱり嬉しい。
駄菓子屋のお姉ちゃんにも逢って来た。
二年ぶりに逢ったがより綺麗になっていく歳だ。
寺での写真を見せるとやはり「タンブンに行きたかった」と言ってくれる。
ネイトさんに撮ってもらった仏像の前での私の
「比丘としての写真が欲しい」と言うので勿論あげた。
「キミの夢見て枕抱きしめちゃった。」とはとても言えない。
久々の慣れた懐かしい土地は楽しかった。
チャンリットさんのお陰である。


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※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
 おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
 クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
  


<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い

>第2回・得度の決意

>第3回・修行に向けての準備

>第4回・人生最後の式典・得度式

>第5回・苦痛の日々

>第6回・バンコクへ初出勤

>第7回・慣れた頃

>第8回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(前編)

>第9回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(後編)

>第10回・平穏な日々

>第11回・還俗に向けてカウントダウン

囲む人々「一話一言」

堀田春樹「タイで三日坊主」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

新連載は堀田春樹さんによる、「タイで三日坊主!」
堀田さんは現在、ボクシング中心に撮影しているフリーカメラマン。
9年前に行った3ヶ月間の出家体験記を連載します。
実は、この話、出家前(正確には、一時出家後、
本格的に出家をするべきか悩んでいる)ときの藤川さんと
出会ったことから始まります。

いよいよ、還俗の日。
そして、その後の思いをつづる最終回です。