タイで三日坊主!
還俗式とその後の反省!
1月25日還俗日。
朝4時15分。今日も目覚ましが煩い。
熟睡出来た。
最後のホーム・マンコンをまとう。
最後の最後まで下手くそなまとい方だった。
しっかりとやったつもりも、どうもすっきりしない締め具合である。
とうとう満足いくまといが出来ぬまま終るようだ。
5時30分過ぎ、いつもどおりビンタバーツに出発した。
最後の日はひとりビンタバーツになってしまった。
見落とさぬように周囲に気を配った。
印象に残る信者さんには、心でお別れを言った。
ビンタバーツでお別れ宣言もおかしいので
声に出しての挨拶はしなかった。
信者さんには関係ないことだし。
しかし御菓子おばさんには、
先輩とアメリカ人は昨日バンコクへ行ったことを伝え
「私は今日でスックします。」と言った。
おばさんは「日本にはいつ帰るの?」と言われ
「髪が伸びたら帰ります。」と言うと笑って居られた。
特別なお別れの言葉は無かったが、
笑顔で送ってくれていた。
ビンタバーツでもいろいろなことがあった。
寺をすぐ出た路地では、藤川さんの顔見知りのおじさんが
家の前で車の掃除をしていると、
藤川さんは京都弁まじりのタイ語で
「カヤンナァ〜!(よく真面目に働くなあ)」と言う。
おじさんは「オ〜、ヤンマイパイ!(まだ行かない)」と答える。
会話になっていない。
お互い通じていないことはわかっているだろう。
比丘から「サワディー」というのも変だし、
タイでは親しい仲では挨拶がなく、
意味のない会話が挨拶になる。
最初の頃は、ジジィが発音よく喋らないから
おじさんも通じてないまま適当に答えていると思った。
そのとおりだが、それはそのまんまでいい会話だった。
朝食もいつもと変わらぬ風景。
ミツーさんが「今日スックするのか?」と言う。
食事後、ホー・チャンを掃除していると
ノーイさんに呼ばれて還俗式の準備をしてくれた。
いつもビンタバーツから帰った後の、
食材を集めるお盆の同じタイプの余っているお盆を
ひとつと黄色い受け皿とロウソクの束を用意してくれて、
部屋で黄衣をサンカティにまとうように言われ、手伝ってくれた。
お盆に白いワイシャツと以前穿いていた洗濯したズボンを乗せ、
ロウソクを乗せた受け皿と一緒に和尚さんのクティの前に置いておく。
まだ8時10分だった。
ノーイさんには
「仏陀に三拝して、和尚さんに三拝して還俗式が始まるからね。」
と教えていただいた。
みんなはいつもどおり外の作業に行ってしまって誰も居なかった。
静かなクティだった。
やがて9時には還俗式が始まり、20分後には俗人に戻っていることだろう。
準備の足りない出家だったと思う。
坊さんになっても何もするつもりもなかったのに、
ラオスまで行ったことは大きな冒険だった。
もうこれで充分という気持ちと、
やり残したことや無知なまま始めてしまった仏門生活のやり直しに
再度挑戦しなくてはと思う気持ちが行き交った。
最後に和尚さんにあげる写真とカレンダーを用意した。
五分前ぐらいにクティを出て
ホー・スワットモンの台座に座った。
過去の還俗式を見てもセレモニーといった感じではなく
簡単に終るだろうと思った。
本当は、たとえわずかな式でも誰かに撮影してもらいたかった。
黄衣から白いシャツに変わるのは大きな変化である。
9時を回ると和尚さんもサンカティにまとって出て来た。
和尚さんはニコニコしながら
「こっちに来い」と呼ぶ。
呼ばれるまま和尚さんのもとへ行ったので
仏陀に対しての三拝が出来なくなってしまったが、
和尚さんには三拝をきちんと行なった。
あとは和尚さんに指示されるまま黄色い受け皿にロウソク乗せたものを持って、
差し出すような形のまま口移しでお経を唱える。
そしてロウソクを渡し更にお経を唱える。
還俗を宣言する経文は
“カム・ラー・シッカー”と言う。
バスの音が煩く聞き取り難くなりながらも何とか答える。
そしてお盆に乗せられたシャツとズボンを渡され
「これで仏門を去ることになるぞ、いいな?」と確認され、
私も「いいです」と答えると
和尚さんは私のサンカティを肩から横に引き落として
「よし、着替えて来い。」と言われた。
これで部屋に戻る7〜8メートルを歩けばもう戻れぬ姿だ。
サンカティを外し、窓を閉めて黄衣を脱ぐ。
そして三ヶ月ぶりにパンツを穿いた。
ズボンを穿いた。
ワイシャツを着た。
ベルトを腰に通した。
久しぶりの衣類の感触である。
ちゃんと癖まで覚えていた。
戸惑うことなく手が動くのである。
三十数年同じ事やってきたのだ。
忘れる訳もないが、その感触がなんとも懐かしく嬉しいのである。
水浴び用腰巻を持って和尚さんの前へ戻る。
今度は台座の一段低い方へ座らされた。
もう立場は違うのだ。
同じ席には着けない。
後は特別なことは無かった。
和尚さんにお経を唱えられ頭から聖水を掛けられ、
仏陀の御守りを二個与えて頂き、終了である。
私から、和尚さんを撮った写真と春原さんから送られたカレンダーをプレゼントした。
そして
「比丘の立場でありながら写真撮って歩いて
迷惑かけたことをお詫びします」と言った。
思ったとおり和尚さんは「マイペンライ!」と
ニコニコしながら言ってくれる。
そして心構えも悪いことながら「今日でこの寺を去ります。」と
再度詫びた。
「元気でな、親孝行しろよ!」と
最後の言葉を掛けてくださった。
そして三拝して部屋に戻った。
来週もう一度寺に荷物を取りに来るが、
この日はなるべく多めに運びたい。
荷物がどうしても嵩張るので市場に行って
大きいカバンを買いに行く事にした。
サンダルをやめ、靴下を履き、靴を持ち出して履いた。
これも懐かしい感触である。
バスターミナルでバイクタクシーを拾って市場に向かった。
跨いで乗れるのもいい感触だった。
市場にある商店街のなかのひとつの店で大きめのカバンと
帽子を二つ買った。
帰りもバイクに乗ったが
出来れば御菓子おばさんの家に寄って
カレンダーをプレゼントしたかった。
もうカレンダーの残りは無かったし、
時間も無かったのですぐ寺に戻ったが、
計画には余裕を持たねばと思った。
クティに戻り荷物を詰め直しているとエーくんがやって来て
「荷物多いね。」と言う。
少々のお話してエーくんはサッと出て行ったが、
和尚さんから頂いた二つのうちの一つの御守りが無くなっていた。
念の為、下に落ちていないか確認したが、エーの奴、
物を盗むのもヘタなんだなあと思った。
昼食時には私がプラケーンをやってあげて俗人としてのお手伝いをした。
食事中のみんなには御礼とお詫びを言って最後のお別れを言っておいた。
エーくんには肩を叩いて
「オイ、返せよ、判ってるな?」と言うと
焦った顔をして「あとで持って行くから!」と答えた。
エーくんの不器用さはみんなも知っている。
ケーウさんがエーくんに対し
「お前、何かやったのか?」と探る。
食事後もノーイさんが「エーがどうかしたのか?」と私に聞く。
私も御守りが盗まれたとわかった時の一瞬は
エーくんを叩き回してやりたくなったが、
怒りはすぐにサーッと引いた。
これが修行の成果なのか、
仏心というものなのか、
我を忘れるようなムカつく感情にはならないのだ。
御守りを返しに来たエーくんに
「何で盗んだ?」と聞いたら
「ハルキは要らないだろうと思った。」と言う。
動機が浅はか過ぎである。
ケーウさんにもノーイさんにも訳を話さなかった。
言ってたらケーウさんはエーくんを袋叩きにしたかもしれない。
あの乞食を追い払った勢いを見てるからちょっとかわいそうである。
私は食事はせず予定していた13時には寺を出ることにした。
紅雀とカラスに最後のエサと水をやり、別れを告げる。
ノーイさんに「ちゃんとエサやってね。」とお願いしておいた。
私より幾つか年下ながら最初の剃髪からいろいろお世話になり、
兄貴のような存在だったノーイさんにワイをして御礼を言った。
優しく微笑んだノーイさんの顔が脳に焼き付いた。
誰も居なくなったホー・スワットモンで、
朝やらなかった仏陀への三拝と和尚さんの席の小さい仏陀に三拝して
「ありがとうございました。」と言って寺を去った。
一区切りついた安堵感で身が軽くなった感じ。
自由に歩ける。
どこにも行ける。
食事も出来る。
エッチ出来る。
羽目をはずすつもりはないが、自由な身は心地よかった。
荷物あるから軽四タクシーに乗りたかったが、
バイク兄ちゃんに「大丈夫、バイクで行ける!」と乗せられてしまう。
エアコンバスターミナル着くとバンコク行きが出るところで、
「すぐ乗って!」と若くて綺麗な車掌さんに荷物引っ張られて乗り込んだ。
乗り口の高い段に居た車掌さんのミニスカートの太股が眼に入ると、
早くも私の脳ミソは興奮気味であった。
バスの中で配られた紙コップに入ったコーラを受取る際も、
車掌さんから直接手渡しである。
久々のちょっと手が触れ合った時のワクワク感は
些細なことながら脳に焼き付いた。
その自由になった立場でのコーラは凄く美味しかった。
仕事を終えた後の一杯のようである。
右側の運転席の後ろには二人の比丘が座っていた。
俺と藤川さんもこんな風にバンコクに向かったなあ。
と以前の我が姿をダブらせて見ていた。
サイタイマイバスターミナルから歩いて
ソーンテーオ乗り場まで重い荷物を運ぶのは大変。
寺に向かう時も同じように重かったなあ。
と行く時と同じ道を歩いて懐かしく思った。
夕方4時過ぎにようやくアナン宅に到着した。
懐かしいジムの選手達の顔があった。
二年前に居た十二歳ほどの選手のオームくんが永く田舎に帰っていたが、
またジムに戻り、身体も大きく成長した姿を見せ、
笑って私を迎え入れてくれた。
伊達秀騎くんも居た。
日本から修行に来ていた新しい顔もあった。
夕方の練習指導から戻ったアナンさんや
仕事から帰宅したアナンさんの奥さんにも逢って
「スックして帰って来ました。」と挨拶した。
ニッコリ微笑んで「いい顔になったなあ!」とおちょくって
私を受け入れてくれた。
さて、還俗直後に夕食は食べていいものか、
信心深いアナンさんは何と言うかと思ったが、
以前と同じく私にも食事が用意された。
夜もアナンさんはビールとツマミを持って
私らの部屋に来た。
飲むのはアナンさんだけだがザックバランな雰囲気に、
俗人に戻ったという懐かしさや安心感、
ちょっとした寂しさが入り混じった。
私は酒は飲めないので還俗後の一杯は無いが、
バスの中でのコーラは最高に美味かったと思う。
そして29日の試合に向けてのスケジュールを話された。
キックの選手達と話していると、
もうスックしてわずか10時間ほどで身も心も俗人に戻っていた。
この日の朝はまだビンタバーツに行っていたなんて遠い昔のように思えた。
ミニストアーにも行って懐かしいおばちゃんにも逢って
「お帰り〜!」と言われる。
話しながら御菓子を勧められ、摘まませていただいた。
夜も10時には寝ていた寺での毎日も、
この日はもう深夜0時を回っていた。
29日にあったチェンマイでの試合は
私の還俗後の最初の仕事となり、撮影を無事終えた。
伊達秀騎くんは正月にロードワーク中の捻挫で走れない状態ながら
試合に臨むが、前回に劣らぬ激戦でKO負け。
賭けの対象としてファイター型を好むファンに
プロモーターもまた伊達くんに次戦のチャンスを与える。
彼も積極的に試合を求め、頑張って来た選手である。
逃げていては運をも逃がす。
藤川さんは私に対してくどい長話しの中で言われたことがある。
「少々ヤケド(失敗、恥、怒られること等)してもいいから
自分から手を出さんといかん(新規取引等)」と言われていた。
そんな伊達くんの頑張りに刺激を受けつつ、今後の進路を改めて考えていた。
※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い
>第2回・得度の決意
>第3回・修行に向けての準備
>第4回・人生最後の式典・得度式
>第5回・苦痛の日々
>第6回・バンコクへ初出勤
>第7回・慣れた頃
>第8回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(前編)
>第9回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(後編)
>第10回・平穏な日々
>第11回・還俗に向けてカウントダウン