タイで三日坊主!
得度の決意
帰国後の10月の終わり頃、藤川さんから手紙が届いた。
住所は伝えてあったので縁は切れてはいなかった。
「私、この10月再び得度し、ペッブリー県のタムケーウ寺にいます。」とのこと。
「何だよ〜。急にいなくなって、いきなり得度しやがってぇ。
数年後じゃないのかよぉ。」という思いをした。
「ぜひ一度、堀田さんも得度してください。
日本では絶対に体験できない良い人生の勉強になると思います。」という
文面にはちょっと慌てた。
夢のような得度が身近なものとなって感じられたのだった。
当時、あまり仕事のなかった私は暇だった。
金もあまりなかったけど、
「得度するなら今しかないんじゃないか。
数年後といったら身動きとれないかもしれないし。」と思った。
藤川さんが受け入れてくれるなら、いつでも出来る状況だった。
もうひとつ、私を得度に興味を引いた切っ掛けがあった。
1989年4月にTBSで放送された「新世界紀行」の「アジア秘奥三国探検」であった。
当時から数えて93年前の明治29年、岩本千綱、山本しん介の二人の
日本人が僧侶に化けてバンコクを出発し、
ラオスからべトナムのハノイまで歩いたというもの。
その再現を現代の若者、由井太さんとと加山至さんの二人が挑戦した企画だった。
計画されたドキュメントであり、大きなアクシデントはなくハノイに着いたが、
それだけに「俺がやりたかった。」と思わせるものだった。
この現代の二人はパクナム寺で渋井修さんのもとで正式に得度している。
藤川さんともお知り合いの渋井さんである。
野宿したり、タイ東北部の道を歩いたり、
ノンカイで還俗されてラオスに入られたが、
その先も山岳民族の人達と出逢ったり険しい道を歩き続ける
気力・体力にいる旅だった。
でも「やりたい」と思いつつ、私にあんなことが出来るかは全く自信はなかった。
「寺にいるだけなら問題なさそうだな。」と気持ちは固まっていった。
藤川さんの手紙では「一度、寺に来られて和尚に会われてみればどうですか?」
という誘いの返事。
そして翌、1994年の3月短期滞在でタイに渡り、
以前のムエタイジムにお世話になりながら藤川さんのお寺に初めて訪れた。
3月28日だった。
髪を剃り、黄衣をまとった藤川さんを初めて拝見させて頂いた。
「毅然とした姿勢、僧侶らしい振る舞い、
口数少なく固い話しかしない、もうこの仏門の人。」
かつて、カンチャナブリで逢ったことのある日本人僧はそんな人だった。
藤川さんの部屋に入れて頂いたとたん、
この坊主は・・・ようしゃべる!
以前と変わらず、ツバ飛ばしながらようしゃべるし、よう笑う!
「戒律にあるんじゃないの?バカ笑いしちゃいけないよ!」って。
部屋の中も驚きの光景だった。
テレビ、冷蔵庫、ワープロ、電子ポット、ベッド、
俺が送ったキックボクシングのポスター。
いろんな物がある。だが、持っていてはいけない物ではないらしい。
修行に必要と解釈すれば許容範囲に入るようだ。
意外だったが返って気が楽になる見本だった。
この日、私は宿探しを済ませてなかったが、
「ここに泊まっていけ!」の言葉に甘えた。
ありがたかった。
狭い6畳弱ほどの物があふれた部屋だが楽しそうだった。
昼の3時位に着いてから夜の11時までほとんどいっしょにいた中、
ほとんどしゃべっていたなあ。
日課のトイレ掃除も見せて頂いた。
和尚さんにもお逢いし、得度願いも受け入れてもらえた。
タイで得度するには親がいなければならない。
その親代わりになってもらえるという
藤川さんのお知り合いのおじさんとも挨拶した。
(保証人とも言える寺との仲介役)
夕方には藤川さんの部屋での読経も聞いた。
この間、蚊取り線香も焚いた。
ハンパじゃない焚き方だった。
三つの蚊取り線香を頭と尻尾に火を点ける。
結局六つ点けたに等しい煙だ。
凄い煙。
これで朝まで蚊は入って来ないという。
お陰で蚊は隣の部屋に集まるようだった。
隣の坊さんが嘆いていた。
我々は確かに蚊に食われなかった。
戒律としては違反だ。
しかし蚊は追い払わなければ苦痛だ。
建前上、線香を焚いて追い払ったのだった。
所持品にしても蚊取り線香も戒律を厳格に解釈する厳しい寺では許されないという。
寺に入った初日として夕食は食べない覚悟でいた。
しゃべる一方の藤川さんも「食わんでもええやろ!」という。
その代わり、朝の托鉢で寄進された牛乳を出してくれた。
2本飲ませてもらったが、何だかそれでも結構お腹いっぱいになるのである。
夜、寝る時は狭い部屋で二人寝るのは窮屈だった。
私のほうは地べたにゴザ敷いてタオルケット掛けて寝た。
寺とは何という所なのか。
隣の部屋からはムエタイのテレビ中継が聞こえてくる。
「気楽なもんだなあ」と思って安心してしまった。
この日、藤川さんの過去の話を聞かせて頂いていた。
今、発行されている「タイでオモロイ坊主になってもうた」の大部分のようだ。
親のこと、兄弟のこと、不動産のこと、バブルのこと、
得度に至った経過など。
しかし私はすべてを覚えきれていない。
日記に書いてあったのだ。
こんなこと話されたと。
寝ながら聞き、少しずつ藤川さんのことがわかってきていた。
翌朝5時起床。
私が起きなきゃ藤川さんは黄衣をまとえない。
まだ外は暗い。
私はカメラを持ってビンタバーツ(托鉢)を撮らせてもらうことにした。
初めて見るお寺の朝だった。
藤川さんは洗面を済ませて黄衣をまとい、
バーツ(お鉢)と頭蛇袋を持って出発する。
当然裸足である。
神聖な托鉢の空間である。
こちらがどれくらいの距離で、どのくらい接近していいものかわからなかったが、
こちらもカメラマンの立場だ。
初期に習った「撮ろうと思った位置からもう一歩前進」を心がけ、
藤川さんの前から後ろから寄進する
信者さんを含めてファインダーを覗いてフラッシュを光らせた。
気になるのは信者さんの反応であり、
何で撮るんだろうという表情もあったが
全ての人が微笑んでくれたのである。
「日本人ですか?」と声掛けてくれる人もいた。
路地から路地へ舗装された道から砂利道まで、
「俺だったらちゃんと裸足で歩けるだろうか」という気になる点もあったが、
悩むほどではなさそうだった。
暗かった空も寺に戻る頃にはすっかり明るくなっていた。
5時30分から1時間位の道のりだった。
短そうで結構歩いていたことに驚いた。
托鉢の間、藤川さんは一切しゃべることもあちこちキョロキョロすることもなく、
寺に戻って寄進を受けたバーツと袋をデックワット(寺小僧)に渡した。
藤川さんは足を洗い、部屋に戻る。
すると「まあこんなもんです。」と托鉢の一通りの終了を告げられた。
バーツや袋に入れられた食べ物はかなりの量だった。
ワンプラの日は泣きそうになるくらいバーツや袋が重くなるという。
お坊さんたちの朝の食事のあと読経を聞き、
私もそこで食事させて頂いた。
本当に普通のタイ料理で、売られているビニール袋に入った炒め物や、
家庭で炊かれた御飯、果物やお菓子も豊富だった。
御挨拶と寺の下見の来ていた私は「俺にも出来る!」と確信し、
秋頃を予定して和尚さんにも再度御願いして寺を後にした。
まだ俗人として、また無宗教の身としてウキウキ気分だった。
笑っていられるのもこの時期だけだったが・・!
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当時の写真をこちらに一挙公開!
>第1回・藤川さんとの出逢い