タイで三日坊主!

修行に向けての準備!
タイに行くには幾つか問題があった。
以前はアパートの家賃を前払いして旅に出たが、今回はあまり金が無い。
それでアパートを引き払い、お祖母ちゃんの経営する
築40年の木造アパート三畳間にタダで家財を預けさせてもらった。
床から天井までギッシリ。
地震が来ても崩れないほど詰め込んだ。
そのアパートの親戚の方々には「タイに行く」とは言ったが
「得度する」とは言わなかった。
オウム事件が始まった年だった。
怪しい宗教に洗脳されていると心配させてはならない。
「得度するということは洗脳されてるのかな」とも思った。
仕事はあまりなかったから区切りをつけるのは簡単だったが資金面だけ大変だった。お祖母ちゃんには部屋をタダで借りといてさらに借金まで申し出た。
横浜にいる友達であるタイ人にも借りた。
「アイフル」にも借りた。
あくまで滞納にならないよう預金を残して、引き落とし返済にした。
お祖母ちゃんとタイ人は私の犠牲者だ。
お祖母ちゃんから見れば自分の孫だしきついことは言われない。
タイ人は「マイペンライ精神」がある。
アイフルには利息は掛かるが気が楽だ。
だから親に内緒で借りる若者は多いだろうと思う。
普通の友達だと仲違いの原因になる。
苛々させるのは良くないし、こちらも気を使う。
そうして出発の10月15日を迎えた。
行く先は以前からお世話になっているM&K食堂の近くの
アナン・チャンティップ宅。
(ソー・ケーッタリンチャンジムで当時、間借りしていたゲォサムリットジム会長)

今回いっしょに行くキックボクサーの伊達秀騎選手(小国)と
上野駅で待ち合わせて出発した。
伊達選手は18日にノンカイで試合が決まっていた。
私はそれを見届けてからの得度になる。
私にとっては今までにない重圧感ある旅立ちだった。な
んか楽しさがない。
ある意味、隣に座っている伊達選手と同じ身分。
彼らはみんなタイへ修行に行っているのだ、ムエタイの。
朝夕の練習のほか、試合が組まれれば減量もある。
つらい毎日なのだ。
俺は今まで何とウキウキ気分でタイに行っていたことか。
「撮影もしないで何遊んでたの?」と自分に問う。
機内で寺に入る前からもう精神修行に入っていたのだろうか。

得度式には多くの親戚・友人が参列する。
その前夜にはお祭りのようなドンチャン騒ぎがある。
それまで見てきた知人の得度式前夜祭(そう言うのかは知らない)に
参加した時はそうだったし、藤川さんの得度式前夜祭もそうだったという。
だが私の得度式は静かにやろうと思っていた。
出来るなら一人でもよかった。
だから知人には誰にも教えない。
特に日本人には知られたくなかった。
が、カメラマンとしてこだわりがあった。
自分の得度式を撮影して欲しかったのだ。
そのお願いを受入れてくれたのはワールドボクシングの春原俊樹記者。
しかし春原さんがタイに来るには、どうしても知らせなければならない
春原さんのタイ側の日本人関係者がひとりいた。
が、その関連からさらに二人の日本人に知られ、
「くそ〜来るなよ、こいつら」と本気で思った。(後で反省したが。)

10月22日、
直接すぐのお寺入りはしないが、藤川さんに逢って段取りを決めなければいけない。
半年ぶりにタムケーウ寺に入った。
何か騒がしい寺の中だった。
藤川さんは部屋にはおらず、
外のサーラー(葬議場)に人が集まっているので行ってみた。
葬式だった。
賑やかな葬式だった。
点滅式のネオンのような物は光るし花火は上がる。
坊さんが20人ぐらいいる中、藤川さんが私を見つけて手招きした。
近寄って挨拶すると私が送った手紙は今日届いたばかりという。
手紙は10日ほど前に出したのに珍しく遅い到着だったようだ。
私がなかなか来ないからコーンケーンへ行くつもりだったという。
和尚さんと再会し得度式の日取りを決め、藤川さんの部屋に入り、
「これからお世話になります。
御迷惑おかけするとは思いますが宜しく御願い致します。」という挨拶を済ませた。
後日、バンコクで得度の準備に必要な物の買い物に付き合ってくれるということで、
この日はバンコクに戻った。
いきなりは寺入りはしたくなかったのでそのつもりだった。
日に日に近づくにつれ怖気付いてきたようだ。
帰りのバスの中もこのまま逃げ出そうかと思ったぐらいだった。

10月24日、サイタイマイ南バスターミナルで
11時に藤川さんと待ち合わせ食事した後、
王宮前広場近くの雑貨屋の僧侶グッズ専門店が並ぶなかのある店で、
黄衣の他、バーツ、傘、テント、毛布や枕まで買わされた。
必要と思われる物揃えるとかなり重くかさばる荷物になった。
本来、これらは自分で買わなきゃならないものなのか?
親族が贈ってくれるものなのか?
お寺から渡されるものなのか?
タイ国内に親族などいない私には自分で買うしかないとはわかっていたが、
3000バーツ掛かっていた。
貧乏人には痛い出費だった。
スクンビットの寺に向かう予定の藤川さんは私に
「重いやろうから帰れ」と言ってくれた。
その日は藤川さんに付き合う予定でいたが、
こんな重い物持っていてはうっとおしい限りだった。
26日に再びサイタイマイバスターミナルで待ち合わせる約束で別れた。

10月25日、自由な時間は残り今日だけ。
寺に入る準備は済んでいるし、ブラ〜っとバンコクの街を回って来た。
特に誰かと逢うわけでもなく食事して帰った。

10月26日、宿泊していたアナン宅を10時に出た。
いっしょに泊まっていたキックボクサーの高津広行くん(小国)は
私の得度式に参列してくれる人。
「頑張ってくださいね。」といつもと逆の立場となって励まされた。
もうひとり日本でデビュー戦を一ヶ月後に控えた
北沢勝くん(目黒)にも励まされたあと私が「デビュー戦、勝てよ!」と逆に激励した。
実はこの励ましは私自分自身に対しての檄だった。
路地を出た所にいつも通ってたミニストアーがある。
そこのおばちゃんも私の得度式に参列したかったようだったが
行けなくて残念そう。
ここでも「がんばって来いよ〜」と励まされた。
召集令状受けて戦場に行く思い。
比較にならんが。

サイタイマイまでソーンテーオ(トラック改造したバス)で荷物を運ぶのは大変だった。
スクンビットの寺から来た藤川さんは11時40分にやって来た。
寺を9時半に出たという。
渋滞があるのにわからんかい藤川さん、もっと早く出ないと・・・。
慌てて食事して正午には間に合った。
12時30分発のペッブリーへ向かうバスに乗り、
バスの中では結構眠った。
ペッブリーのターミナル着く手前のタムケーウ寺に近い所で
藤川さんに「降りるぞ」と言われ車掌さんに言って降ろしてもらった。
歩いてタムケーウ寺に向かう。
門の近くまで来ると「網走刑務所に入る気分か?」と藤川さんに聞かれた。
刑務所とは思わないがそれに近い、
規律のある束縛された環境の施設に入る点で、
学校の合宿所に入る気分だった。
寺に着いて藤川さんの部屋に入り、荷物整理に掛かる。
気持ちも落ち着く間もないまま整理のやり方にうるさい藤川さん。
「狭いからうまく考えろ」というのはわかるが
自分のペースで出来ないのが一番つらい。
俺には俺のやり方がある。
しかし狭いこの部屋でこのジジィといっしょに居るのは一日だっていやになった。
何か寺に入った途端、急に口うるさく、意地悪ジジィになった感じだった。
「来月5日過ぎたら部屋が空く」と言われたが、
「もううんざり、一日で耐えられん。」と思った。
しかし夕方になる頃には何とか気持ちは落ち着いていた。
藤川さんは「パイナップル喰うか?・・いやジュースにしよう」とミキサーに
オレンジジュースとパイナップルを入れシェイクした。
なんかくどい味はしたがそこそこ美味かった。
が、あとで気持ち悪くなった。
普通のジュースでパインを混ぜただけだもん。
ドロドロのスープを飲んだようなものだ。
胃の中で身動き取れてないのだ。
吐きそうだった。
ジジィめ、初日から変なもん飲ませやがって。

夕方の宿舎のモップ掛けはデックワットといっしょにやった。
「俺はこんな田舎の寺で何をやってんのか。
こんなことしてていいのか」と思った。
いっしょに掃除している10歳ほどのデックワットと同じ身分で
掃除しているのが情けなかった。
掃除したあと外に散歩に出た。
一番リラックス出来た時間だった。
暗くなる頃戻って来て部屋に入ると
今度は藤川さんにいっしょに座禅を組まされる。
まだ逆らえぬ私は言われるがまま座禅を組む。
じっと35分。
ゆっくり時間を数えた。
遅めに数えると速く進んだように感じる。
20分相当数えたら35分経ってたのだ。
特に苦しくはなかったが、「またいつやるのか明日もやるのか」と思うと
憂鬱になった。
この日は夜も9時になり、寝ることになった。

10月27日 5時に起きる。
藤川さんはコーヒーを飲み托鉢準備する。
黄衣のまとい方は難しそう。
こんなの覚えられるかなと不安な気分。
「慣れるまでこの部屋に居れ」と言われたが冗談じゃない!。
早く部屋が空いて欲しかった。
「6時になったら掃除始めろ。」
と言って藤川さんは托鉢に出掛けた。
もう一回托鉢姿を撮影したかったが、
もう藤川さんとは絡み難いムードになっていたので諦めた。
掃除をデックワットとやり、終わる頃、藤川さんが帰って来た。
今日はワンプラで結構寄進が多いと言う。
信者のおばさん達も結構寺に来てて食事類を持って来ていた。
7時に読経が始まりお坊さんの食事になった。
歩き回って撮影していると和尚さんに呼ばれ話をした。
「どの位の期間得度するつもりか」とか「
日本で何やっているのか」という話してるとそれを信者のおばさん達に
話し出す和尚さんだった。
これが後に藤川さんから聞く「客寄せパンダ」になる我々日本人の存在である。
お坊さんの食事の後、おばさん達に呼ばれていっしょに食事を摂った。

食事のあとはみんな何をするでもなく自由な時間のようだった。
私は藤川さんに付いて掃除に参加した。
部屋の中と外、読経の場の仏壇の周り、凹凸のある壁など。
大雑把にやると「掃除というものは手の届かん見えんところまでやるのが掃除や」と
意地悪そうな、いちいちムカつく言い方で来る。
バケツ蹴り倒したくなるような、このまま帰ろうかと思うように苛立った。
後に藤川さんから聞いた話では藤川さんもバンコクのワットパクナムに行った時、
同じ事言われたらしい。
掃除が終わる頃11時になり、昼御飯の準備に掛かっていた。
お坊さんの食事の後、藤川さんに
「デックワットといっしょに早よ喰え」と言われて食器持って走った。

昼過ぎには一人で買い物に出掛けた。
バスターミナル過ぎた所の橋越えれば、「銀座」があるという。
予想は付いたが行って見れば確かに銀座だった。
地方によくある地元商店街である。
その街では一番の繁華街だ。
まだ2日しか履いてない慣れないサンダルで足の皮がめくれてしまった。
歩くのは痛い。靴履けばよかった。
お坊さんはサンダルしか履いてはならないから早く慣れる必要があったが
サンダルは似合わなかった。
靴がないから苦痛だ! 

寺の帰ると藤川さんは部屋でバンコク週報を読んでいた。
同じ部屋に居るのは息詰まるから、明日来るはずの春原さんから
この日届いたばかりのワールドボクシングを持って外に出て読んだ。
しばらくすると藤川さんのトイレ掃除の音が聞こえてきた。
手伝わないといかんと思って行こうとすると和尚さんから呼ばれて
「部屋が空いたぞ」といわれて藤川ジジィほっといて部屋を見に行った。
還俗した奴が出て行くところだったが、
まだデックワットが残っていた。
「こいつは残るのか」と思ったが
「ジジィといっしょに居るよりはマシ」と思ってすぐ荷物を運んだ。
藤川さんの言葉が少なかった。
まさか俺に出て行かれて寂しいわけではなかろうに
「もう勝手にせい」と言うに近い表情だった。
こちらは開放されたウキウキ気分で部屋を移った。
移った部屋のデックワットは2〜3人居るようだったが
10歳位の子と高校生ぐらいの奴。
この大きいほうは何か胡散臭い奴だったが何も起きないことを祈った。
しかしこの10歳のほうの一人が俺に晩飯を買って来てくれた。
暖かいカーオムゥーデーン(御飯に焼豚とタレーがけ)だった。
夜は食べないつもりだったが、食事するのも遠慮がちな
この2日間ですごくありがたかった。
9時半に寝る準備した頃、10歳ぐらいのデックワット二人が帰って来た。
高校生もいたがどこかへ行ってしまった。
彼らは毎日どこで寝ているのか、定位置(持ち部屋)はどこなのか不思議だった。

10月28日 朝5時過ぎ、藤川さんの部屋へ行くが何も話すことはなかった。
掃除はしたが他になにすべきかわからない。
デックワットはてきぱきとお坊さんのそばについて世話しているのに
俺は遅れてしまう。
何もしないことが朝飯さえ食い辛くなって遠慮してしまった。
朝は藤川さんはいつもどおりの掃除を始める。
今の俺の身分はデックワットと同じ。
お坊さんの身の回りの世話をするのが主な仕事だが、
本当に誰も何も言ってくれないから何も出来なかった。
藤川さんも俺のこと見て見ぬふりだ。
部屋の掃除だけやってあとは部屋で
昨日藤川さんから与えられた仏教の本読んでいると、
いきなり藤川さんが部屋に入って来て白衣をポンと投げ捨てて行った。
「何だこの野郎、何か言って行け!」と思った。
昼飯時は早めに行動を起こし、あるお坊さんに何をすればいいのか尋ねたら
食べ物を持って手渡ししてあげることを教えてくれた。
お坊さんは勝手に食べ物に手を付けられない。
与えられたものしか食べてはならないから俗人から手渡しする儀式が
食事ごとに行われる。
その事はすでに知っていたがその役を与えられただけですごくホッとしたのである。
それだけで役目を果たした居心地良さで
そのあとの食事もしたかったが、今日はその時間はなく行かねばならない。
バスターミナルへ。
私の得度式を撮影してくれる春原さんが到着するのである。
部屋は替わったが貴重品は藤川さんに預けてある為、
お金とパスポート取りに藤川さんの部屋へ行くと藤川さんも出掛ける準備している。
「待っとってくれよ」という。
クソー、ひとりで行きたいのに。

バスは12時30分に到着した。春原さんが降りて来た。
我々3人は軽四トラックタクシーで近くのタラーッ(市場)へ移動した。
藤川さんの発音はひどく悪いから「たぁらぁ〜」と言っても全く通じない。
力まず低声で「タラーッ」と私が言うと一発で伝わった。
特別私の発音が良いわけではない。
ジジィの発音がひどく悪いのだ。
「何でも一番獲ってきた人ならタイ語ぐらい勉強しろ!
タイに住むなら当たり前だ、ボケ!」・・・と思った。
屋台に入って春原さんと二人で食事をした。
さらに銀行へ行って得度式に掛かる費用の分両替してまた
軽四タクシーで寺に戻った。藤川さんは舌好調!
しゃべる相手が居ればパワー全開である。
春原さんもお疲れのところご苦労様である。
春原さんにまだ髪ある姿を撮ってもらいたいのにジジィは一人先に進む。
「頭剃るぞ」と急がされて少ししか撮れなかった。
ここからお願いした春原さんの仕事が始まった。
門の入り口にパイプ椅子が置かれていた。
何が起こるのか興味津々の坊主らが集まって来た。
「まず水浴びて来い」とジジィに言われて最後の髪洗いをした。
「髪がある。今はある。ずっとこうやって何年も頭洗って来たんだなあ」と
しみじみ感じていた。
いよいよ剃髪。「断髪式!」なんて言ってたが、
藤川さんは春原さんにハサミを持たせた。
最初のひと切りを関係者代表として旅の思い出に春原さんが切った。
後は仏門歴7年の兄さんが剃り始めた。
カミソリで髪を剥く(梳く)ようにジャリジャリという音をたてながら、
気持ちのいい感触だった。
人のを見て、またテレビのドキュメントを見て今自分がやっているのが
不思議な縁に思えていた。
坊主頭になるのは五分刈りにしていた中学生以来。
ツルツルにするのは生まれて初めてであった。
気分は落ち着いていた。
・・と思っていた。春原さんに撮りの指示を出した。
「前から後ろから、アップ目、引き目、剃っている兄さんも入れて・・」
あんまり言うと「いちいちウルサイ!」と怒られてしまった。
春原さんだって記者カメやるから腕はあるのだ。
プライド傷つけていたかもしれない。
・・と反省したのは後に写真見てからだった。
それと、その時の私は動揺していたのだった。
その写真見てわかったのだが、心が泣いているのである。
髪はまた生える。
禿げてしまうわけではない。
予定では3ヶ月しか坊さんをやらない。
仕事も無い暇な時期だし何かに追われているわけでもない。
でもなぜ悲しい顔をしているのか。
子供の頃から何かで自分ひとり取り残されると
不安な悲しい気持ちになったことが何度もあった。
そういう気持ちに近かった。
坊さんになることがひとり取り残されることなのか? 
髪剃っていることがあと戻り出来ない、
先に進むしかない船出をしてしまったことに対する後悔なのだろうか。
剃髪は10分あまりで終わった。
もう一度水浴びすると「あっ髪が無い!」変な感じだった。
鏡で見ると眉も剃ってあるので気持ち悪い顔だ。

部屋に戻り春原さんと話していると藤川さんが来て白衣を着せてくれる。
「白衣」というのは正しいかはわからない。
これを着た時点で俗人でも比丘でもない中間の立場だという。
蛇に例えて、脱皮して大人の蛇になる前の子供の蛇。
白衣を古い皮としてまだ過去を背負っている姿ということか。
明日は過去を脱ぎ捨て比丘になる。

春原さんを近くの安いホテルに送りに行った藤川さん。
その前に「明日の得度式に備えて100バーツを25人分、
300バーツを2人分、500バーツを1人分得度式をやってくれる
お坊さん達へのお布施と
親代わりとして先導役の人に200バーツを封筒に入れて用意しておけ」と
言われて準備した。
この数で言うと坊さんは28人居ることになる。
以前私がタイでお世話になったことのある、ムエタイとビジネスやりながら
ジムに寝泊りしていた貧乏な日本人が
「金なくなったら坊さんになろうかと思ったことあったが、
坊さんなるにも金掛かること知って諦めたことある。」と言ってたのを思い出した。
本当に掛かるんだ。
誰かが援助してくれるなら別だが私も黄衣などとお布施で6800バーツ。
(当時で3万円あまりか)タイで暮らす貧乏日本人には苦しい額だ。
春原さんがホテル向かったあと、
別の坊さんが「今日はまだズボン穿いてていいんだよ」と言われ、
また俗人に戻ってしまった。
一時的あの世でもないこの世でもない中間から生き返らせてもらった。
いいのかな?
儀式には含まれていないようだ。
眉を剃るのはビルマのお坊さんと区別する為とか聞いたことがあるが
確かな情報ではない。
剃った頭のコメカミあたりにホクロがあることに気がついた。
剃った頭は青々としていて気持ち悪い。
剃りたてのアップ顔写真を春原さんに撮ってもらったがこれも気持ち悪い。
この写真で仕事用の名刺作ろうと思ったが還俗しても未だ作れず。
もう古いからやめた。  

当時の写真をこちらに一挙公開!
>第1回・藤川さんとの出逢い

>第2回・得度の決意

囲む人々「一話一言」

堀田春樹「タイで三日坊主」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

新連載は堀田春樹さんによる、「タイで三日坊主!」
堀田さんは現在、ボクシング中心に撮影しているフリーカメラマン。
9年前に行った3ヶ月間の出家体験記を連載します。
実は、この話、出家前(正確には、一時出家後、
本格的に出家をするべきか悩んでいる)ときの藤川さんと
出会ったことから始まります。

第2回では、藤川さんの寺を訪ね
ついに出家(得度)を決意しました。そして今回は・・・