タイで三日坊主!

人生最後の式典・得度式!
10月29日 
昨日の夜はデックワットは誰も戻って来なかった。 
どこで寝てるんだろう。 
4時50分に起き、この日は藤川さんの部屋には行かず
6時まで待って掃除を始めた。 
ようやくやることもわかってきた。 
お坊さん達の食事の後、
隣の部屋の事務員的存在のお坊さんに呼ばれて
この兄さんの部屋に入った。 
得度するにあたり書類を作る為の経歴などの確認だった。 
名前や両親の名前、現住所など。 
終わって部屋に戻ると春原さんが来ていた。 
朝飯は食べていないというから
和尚さんに挨拶してもらって食事もお願いした。 
奥の部屋に行って「比丘の食事の残り物」という表現になってしまうが、
そこで春原さんと食事をした。 
この光景に心良く食べてもらえるか、ちょっと不安はあった。 
箸を付けた残り物ですから。 
でも全く心配ない表情で食べて頂いた。 
以前、何度か東京で春原さんと
タイ料理を食べに行ったこともあったのでそれに勝るとも言える
「本場の味」に春原さんも満足していたのはうれしい限りだった。 
そして、バンコクから車で得度式に参列してくれる人達がやって来た。 
キックボクサーの高津広行くん、
我々が宿泊してお世話してくれていた
ゲォサムリットジム会長のアナンさんと奥さん。 
ついでに車を貸してくれて運転して来た
果物売りのジムの近所のおじさん。 
参列者は春原さんを入れて5人である。 
「もう少しタイで暇そうにしている連中を集めておけばよかったかなあ」と思った。 
前夜祭もなし。 
やっぱり参列者も少ないのはちょっと寂しいかなと思った。 
9時30分になり、白衣に着替えて出る準備をする。 
クティ(宿舎・正確には比丘の部屋)の
ホー・スワットモン(読経の場)に祭られていた黄衣やバーツ、
飾り物を高津くんやアナンさんらがそれぞれ持ち、
親代わりの先導役のおじさんの指示に従い、
アナンさんを先頭に裸足で本堂まで歩き、
本堂を右回りに3周した。
ここまでが得度を願い出る俗人側の儀式なのだろうか。 
以前の知り合いの得度式も家から御輿に乗って親戚縁者が
ワイワイ言いながら寺に入ったのを覚えている。 
入り口で先導役のおじさんの口移しのお経を唱えてから中へ入った。 
主には副住職の口移しによるお経を唱え続けた。 
口移しと言ってもチューではない。 
言われたとおりの言葉を復唱するのだが、
聞き落とさないようにするのに気を使った。 
なるべくなら発音良く発声したい。 
この読経の後は和尚さんとの問答の経である。 
僧になる為の面接のようなものだ。 
「ブッダン・サラナン・ガッチャーミ、
 ダンマン・サラナン・ガッチャーミ、
 サンガン・サラナン・ガッチャーミ」も出てきた。
私が高校生の時、仏教系の学校だったので毎日唱えさせられていた「三帰依」である。 
この年齢で、このタイの田舎でまた三帰依を唱えるとは、
卒業当時、想像も出来ませんでした。 
やがて和尚さんから黄衣を頂く儀式に入った。 
正式にはどういう手順なのだろう。 
買って来ただけの黄衣やバーツではただの布切れと器でしかなく、
和尚さんに預けることによってそれらに
仏陀の念を入れられて真の黄衣とバーツとなって返される・・・のだろう。 
そう思いたい。 
そうでなければ俺が買った物を和尚さんに取り上げられた上で、
与えられることになるのは納得出来ない。 
他の人はどうだったのだろう。 
これは確認不足だった。 
頂いた黄衣とバーツは持って一端下がり、白衣から黄衣に変わる。 
二人の先輩比丘に手伝ってもらって着替えた。 
まとい方など知らないからほとんど着せ替え人形のようだった。 
初めてまとう黄衣は新品ピカピカで光っていた。 
とうとう過去を脱ぎ捨ててしまった。 
いかにも新米比丘であった。 
とうとうここまで来てしまったんだなあと、
今置かれた立場を噛み締めていた。 
そしてさらに問答は続く。 緊張感は少ないと思えたが、周りはあまり見えていなかった。 
20人位の比丘が居たのだが何人居たかは意識しての記憶はない。 
和尚さんと副住職、藤川さんと着替えさせてくれた比丘ひとりだけの顔は覚えていた。 
和尚さんとの問答中、比丘全体から笑いが起きた。 
藤川さん
もアナンさんも笑っていた。 
何かおかしいこと言ったのだろうが何がおかしいのかはわからなかった。 
得度のお経は覚えなければならないという当たり前のことは
修行寺では普通だろう。 
覚えられなければ得度出来ないとしたら私は初めからやってなかったろう。 
また当たり前の戒律も当然ながら守るべきもので
罪深い違反を起こせば仏門から追放される。 
そのことは式での和尚さんとの問答のなかにあったものと思う。 
僧侶が守らなければならない戒律は全部で227項目ある。 
その中で最も重要なやってはならない4項目が
「性交、盗み、殺し、虚言」である。 
さらに女性に触れないこと、
お金に触れないこと、
午後食事を摂らないこと。 
裸足かサンダル履きであること。 
走らないこと。 
帽子を被ってはならない(黄色い布なら良い)。 
酒を飲んではならない。 
娯楽に耽らないこと。 
俗人なら出来ないような無い無い尽くしである。 
推測であるが和尚さんが
「戒律だからな、オナニーするなよ!」とでも言ったのではないかと思う。 
だからみんな笑ったのだ。 
他にも余計な気になることはあった。 
春原さんの撮影だ。 
「もっと前に出て!」と思っても前もって段取りを言っておかなかったからしょうがない。 
得度式が終ると本堂の外でアナンさんや高津くんと記念写真を撮った。 
もう小学一年生のような表情だ。 
バーツがランドセルのようである。 
得度式の後は言われるがままサーラー(葬儀場)に移動して
葬儀の読経をしたのち、昼の食事となった。 
他の比丘達と輪を囲むのがだが、
俺が加わっていいものか一歩下がっていると、
ある比丘が「もう同じ身分なんだからこっちへ来い」と引っ張ってくれた。 
葬儀の壇上には幼い顔の男の子の写真が飾られていた。 
読経中は母親らしき女の人が泣いていたが、
葬儀とか人の死とか身近に接する場に居る自分に何が出来るかなあと、
漠然と考えていた。 
葬儀も終ると参列してくれたアナンさんや高津くんは帰る支度をしていた。 
春原さんもいっしょに乗せて行ってくれるということであった。 
藤川さんは高津くんにも「キミも得度してみたらどうや」と
俺に続く次の犠牲者?を誘っていた。 
みんな帰るとなると寂しいものだ。 
「俺も帰る。 」とダダをこねたくなる思い。 
俺が幼稚園入った頃は本当に泣いて母親にくっついて帰ろうとしたなあと思い出した。
33歳のこの時も同じだった。
本気でいっしょに帰りたいのだ。
大人だから我慢できたというものではない。
そんな泣いてダダこねるなどの恥ずかしい事出来ないだけだった。 
比丘となったこの後、和尚さんから得度証明書が贈られた。 
賞状のような紙切れである。 
でもこれが欲しかったのである。 
別に人に見せて自慢するためではないが、タイで獲れた唯一の証明書だった。 
僧名は「ハルキ・チャナラトー」だった。 
みんなが帰ったあとここから苦痛の日々が始まった。 
藤川さんの黄衣のまとい方の指導だ。 
寺の中に居る時のまとい方(ロットライ、右肩を出す形)、
ビンタバーツなど外の出る時のまとい方(マンコン、両肩とも隠れる形)を教わった。 
難しい!
出来ない!
不器用な私の手際悪さを見てジジィは文句言い出す。 
「何やっとんじゃい、トロイなあ。わからんかい!」
特に先輩にしごかれた経験の少ない私は情けないやらムカつくやら・・。 
やがて次の葬式あるらしく
葬儀用のまとい方(ホーム・サンカティ)をやらされた後サーラーに向かう。 
唱えられないお経を無言で唱えた後、解散していい雰囲気のなか、一端部屋に戻った。 
そしたらすぐと次の読経が始まっていた。 
失敗しました。 
初日から。 
休んでる場合ではなかった。 
もう行けないでしょ。 
夜は一人でまとい方の練習していると藤川さんがやって来てまたクドクド教えてくれた。 
今度は怒らず静かな口調で教えてくれた。 
チーウォン(黄衣)が頭に絡むと引っ掛かって動かない。 
剃った頭はツルツルではなくザラザラなのだ。 
タワシのようなもの。 
布切れを頭に乗せて引っ張るとサーッと引けるものでなく、
頭が引っ張られるのである。 
笑えるような光景もムカついているから笑いも起きない。
 ジジィも冷たい視線で無言のまま。 
一人になってまた少し練習したのち、もう寝た。

当時の写真をこちらに一挙公開!

※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
 おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
 クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
  


<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い

>第2回・得度の決意

>第3回・修行に向けての準備

囲む人々「一話一言」

堀田春樹「タイで三日坊主」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

新連載は堀田春樹さんによる、「タイで三日坊主!」
堀田さんは現在、ボクシング中心に撮影しているフリーカメラマン。
9年前に行った3ヶ月間の出家体験記を連載します。
実は、この話、出家前(正確には、一時出家後、
本格的に出家をするべきか悩んでいる)ときの藤川さんと
出会ったことから始まります。

ついに頭を剃った春樹さん。
いよいよ今回は得度式です。