タイで三日坊主!
苦痛の日々!
10月30日。
朝3時30分に起きた。
昨夜もデックワットは私に気を使ってか泊まりには来なかった。
早く起きたのは黄衣をまとう練習の為。
2回やってもうまくいかない。
時間は迫るし焦るばかりだった。
ジジィは何て言うやら。
でもジジィの部屋に行くまでには下手でもまとめあげた。
「やり直せ」と言われるのは覚悟の上。
ほどけないようにと巻きつけた黄衣の脇の部分を輪ゴムで留めてもらう。
初めてのビンタバーツ。
裸足で外出た時はやっぱり少し痛い。
寺の外の土はひんやり冷たかった。
まだ夜明け前の砂利道を藤川さんの後に続いて歩きコンクリート道に出る。
さっそく一軒目の寄進があった。
おじさんだった。
藤川さんの後、私のバーツに御飯とビニールに入ったおかずを入れてくれた。
(くれるのではなく施しを受けるのである。)
俺には入れてくれないのではないかという不安はハズれてくれた。
大通り出ても小石が痛い。
藤川さんの後を追いかけるように、
その差が開かないように付いて行くこと。
黄衣がほどけないように気を付けること。
バーツが落ちないように気を付けること。
それらが気になってどこを歩いているのかわからない。
3月に来て撮影した時歩いた路地も入った。
見覚えある人もいた。
路地入る度に小石で足の裏が痛かった。
とてもさっそうと胸を張って仰け反るようには歩けない。
釘やガラスが落ちていないか足元を見ながらの前かがみ姿勢である。
格好悪いだろうことは想像ついた。
寄進された炊き立ての御飯はステンレスのバーツを暖め、
冷え気味の手も暖めてくれた。
10軒あまり受けたろうか。
帰ってみれば1時間近く経っている。
結構歩いたんだなあと思った。
誰からも拒否されなかったのが安堵となっていた。
クティの中央のホー・チャン(食事する側の台座)に行って
ビニールに入ったおかずを受け皿に空け、
御飯をたらいに空け、
バーツを洗いに行って部屋に戻った。
食事とはちょっと違うおやつのようなお菓子やジュースは
個人で持って戻っていいようだった。
なぜかはわからない。
お陰で部屋にはスナック菓子や果物やカップラーメンや
お花まで飾られる華やかさがあった。
もちろん午後には食べてはならない。
7時30分には朝食になる。
朝食時には葬儀時と同じ黄衣のまとい方があるようで
また藤川さんがやって来てブツブツ文句言いながら教えてくれた。
結局出来ないからやってくれた。
羽織るようにまとい、襷掛けのような一本の折った黄衣を
肩から掛け帯で縛る。
口で説明しにくい型である。
(朝食時はホーム・ドーン。式典用はホーム・サンカティと言う)
今日から比丘としての身分でビンタバーツで得たもので飯を喰う。
合掌して読経して食事した。
読経は出来ないから無言の読経だ。
食事後は一人で黄衣のまとい方を練習した。
11時回って昼食の準備に入った頃、また焦りはじめる。
うまくいかない式典用のまとい方をやってると、
得度式で黄衣を着せてくれた比丘(コップくん)が
「これじゃないよ、これは朝だけ、昼はロットライだよ。」と教えてくれて
寺の中用のロットライを手伝ってくれた。
朝と違って読経がなく食事後、少々の読経。
これは覚えられるぐらいの長さの経文だった。
午後には藤川さんと外出。
それまでに苦労して黄衣をマンコンにまとって帰って来るまで保つことを祈って出る。
20分もかけてまとった黄衣だがほどけそうで困った。
昼は暑い。
藤川さんが軽四タクシーを拾って「銀座」へ向かう。
二日前まで歩いていた道だが比丘として出歩いている今とは違って見えた。
良く言えば街のみんなが俺を「仏陀の弟子」という眼で見ているのだ。
おこがましいがそう感じたのだ。
犬だけは単なる「人間」の俺を以前と変わらず無視して行った。
だから振る舞いに気を使った。
女性に触れないようにというより不自然に近づかないように、
まとった黄衣も変でないか気になった。
雑貨屋入って僧侶手帳買って写真屋へ行った。
証明写真の撮影だ。
藤川さんはそのまま撮ったが私は下手なまといは脱がされ、
黄衣の模られた甲羅のようなものを縛り付けられて撮影した。
再び黄衣を付けようにも「昨日得度したばかりで着れません。」と言うと
カメラのお兄ちゃんが手伝ってくれた。
得度したことある人でさすがに上手かった。
お礼は言ってはならない立場の比丘だが日本語で「ありがとう」と言って来た。
寺に戻った後、洗濯した。
それは今迄着ていた、俗人時のシャツやパンツやズボンである。
「こんなことしていいのかな。」と思ったが洗濯しなきゃ片付けられなかった。
「本来は還俗するまで寺が預かるのではないか、
何かの本で見たことがある。」と思ったが、
しかしそれはもっと格式高い寺なのだろう。
それでも「洗っていいよ」と言ってくれたのはコップくんだった。
初めて打ち解けた仲間だった。
彼は22歳でナックモエタイのような筋骨隆々。
元々は地元で土建業をやっているようだった。
藤川さんに言われて僧侶手帳を
隣の兄ちゃん(事務局長的存在・ケーウさん)に預けた。
「3ヶ月経ったら書いてあげる」と言われたが
「ビザ申請に要る」と言うと「やっておく」と言われたが後でパスポート取りに来られた。
夜はまた黄衣のまとい方練習した。
藤川さんも言っていたが新人であっても誰も何も教えてくれないのだった。
みんなどうやって覚えたのかと考えてしまうほどだ。
子供の頃から自然とお寺と触れ合う環境がすでに基礎知識となって
身に付いているのかもしれないと思った。
しかし初めて仏門に入った者として、一日、二日で覚えられるものではないと思った。
黄衣は一枚の布切れでいずれの型も巻きつけるだけのことだ。
その簡単なことが何回やってもうまくいかない。
努力家ではない私は諦めて早く寝た。
10月31日。
今日は朝4時に起きた。
今日もまとい方を練習するがまたもうまくいかない。
5時20分になって焦ってまとってから昨日のように脇を輪ゴムで固めた。
昨日までにサンダルずれした足もミズ膨れになり、
傷テープ張ったあとさらにバンテージテープ(ボクシング用)張って固定した。
昨日より藤川さんとの距離が広まった。
やっぱり痛くて追いつけないのだ。
それでも構わず意地悪くジジィは早足で先に行く。
(それほど早足ではないが待ってはくれなかった。)
黄衣もかなり形が崩れた。
寄進はカステラやバナナやスナック菓子が多かった。
他の比丘たちがやたら、受けた菓子類を食べてたが本当にいいのかなあ。
食事はいつも4〜5人のグループに別れ、輪になって食べる。
飯後は何するのか同じ輪のメガネのブンくんに聞くと
「何もする事ないからお喋りか寝るかだろうな。」と平和な答えだった。
こちらは何するべきかで悩んでるのに。
ホー・チャンを掃除した後も本当にする事ないから参ったな。
朝のビンタバーツの際、藤川さんは私に
「何かやらんと怠け者だと言ってたぞ、
タイ人は見てないようで見てるぞ」と言ってくれた。
と言われても何すりゃいいんだい。
他のみんなは洗濯しているのが見える。
外でお喋りしているのも居る。
藤川さんはいつもの日課のクティ内掃除をしていらっしゃる。
もうこのジジィに付いて手伝うことはやらない。
何も話してくれないからいっしょに居たくなかった。
何もなければみんなといっしょに居るのがいいと思って
外出て木陰の下に座ってお喋りに集中した。
昼飯後は洗濯した後、部屋で本を読んでいると眠くなって
少し眠ってしまった。
しばらくすると藤川さんが「バンコク週報」を持って来て
扉から投げ入れて何も言わずに行ってしまった。
この行為にはムカついた。
白衣に続いて2回目だ。
追いかけて行って飛び前蹴り食らわしたいぐらいだった。
読んだままのどこが表紙かわからない、グチャグチャに畳んだままだった。
ゴミを捨てていくようなものではないか。
夕方近くにはノーイさんが呼びに来た。
言われるがまま外に出ると寺の敷地内の空き地に当たる広場にみんな居た。
ゴミ拾いをやるようだった。
ゴミ拾ってはリヤカーに積む。
日本人もタイ人もいっしょだな。
真面目なやつも居ればサボりがちな奴も居る。
私の剃髪してくれたノーイさんは率先して動くかなり真面目タイプだ。
お喋りしながらののんびりペースだったが、私はバテていた。
凄くお腹が空いて動けなくなってきていた。
この時の空腹感は忘れられない苦しさだった。
いずれ慣れることとはいえ、まだ三日目では苦しかった。
和尚さんからも「腹減ったか?」と言われた。
過去の俗人の時もにも一食二食抜くことはあったが、
その時とは辛さが違った。
自由ではない身分だからより辛く感じた。
日が暮れるまで作業してようやく解散。
11月1日。
今日は4時20分に起きた。
今日も練習した後、藤川さんを呼ぶ。
今日は歩いてる途中、黄衣が緩くなってしまった。
どうしても緩い。
ずれた部分を何度肩に掛けてもずれ落ちる。
藤川さんとの距離は昨日以上に開く。
最後のソイ(路地)で肩の部分は完全に外れてしまう。
直せないほどだ。
そのソイで先を行く藤川さんは折り返し地点を回って戻られ、
すれ違うところで肩を直された。
しかし藤川さんは凄い顔して私を睨んでいた。
全く以前の朗らかさがない。
寺に戻ったところで「こんなの見たことないわぃ」と
過去最低を宣言されてしまった。
ここで「何クソ!」と思えば人並みなのだが、ここで落ち込んでしまうのが
私の負け犬根性なのである。
昨日本当にムカついた新聞の読み捨て投げ入れも、
この日の朝「真空飛び膝蹴り〜」をジジィに対し喰らわしたい気力など
とても湧かないない心境だった。
もう立ち直れなかった。朝飯前、
メガネのブンくんが朝食用ホームドーンを手伝いに着てくれた。
朝食後はまたブラブラとみんなと話してるうち幾つかのグループに自然と別れ、
作業の態勢に入っていた。
俺らは何かグータラグループのような雰囲気のなか、
昨日と同じゴミ拾いをやった。
午後、藤川さんに「写真取りに行って来てくれ」と引換券渡された。
今日はムカつくことはなかった。
自分に対して情けなかったから。
また偶然にもブンくんが来てくれて外出用のマンコンを手伝ってくれた。
キチッと決まった。締めすぎて首が苦しいぐらいだったが、
ほどける心配のない完璧だった。
「銀座」までバイクタクシーに横座りで乗ったが、ちょっと怖いな。
やっぱりバイクは跨いで乗らないと危険だ。
写真屋に着いておばさんに引換券渡す時も直接触れないように気を付けた。
ビンタバーツ以外で俗人と接するのは初めてで、俺じゃない、
別人格の俺が街を歩いている気分だった。
若い綺麗な女の人が歩いていると本能的に眼が追ってしまう。
比丘になっても眺めるのはしょうがないと思う。
が、その姿を見られるのはまずいと思う。
極力避けるのは辛かった。
寺に帰ると葬式をやっていた。
私は参加出来なかったがしょうがなかろう。
その後も自然なグループごとに作業に掛かっていた。
みんなの性格も少しづつわかって来た。
寺の増築の土木建築作業に加わる奴は元からそういう職人グループだ。
商業系はやることからあふれるタイプだ。
寺の敷地内には新しい仏典を祭る館(そう呼ぶかはわからない)や
きれいなトイレ及び洗面スペースを増築している。
俺の部屋にも遊びに出入りする者が増えてきた。
カメラを見に来る者もいる。
写真を撮ってやる機会も増えたがこれが俺の存在価値かもしれない。
11月2日。
今日も4時20分に起きて練習するが上手くいかない。
隣の部屋をノックしてケーウさんを呼んで手伝ってもらった。
そしてコツが少しわかってきた。
今日はサイバーツ(鉢へ入れる寄進)が多かった。
黄衣がしっかり締め付けられている充実感に満足しているうち、
だんだんサイバーツによってバーツが重くなってきた。
重さで肩がくい込み、頭陀袋も満タンで重い。
傾いたバーツを直そうとしたらバーツのフタがコンクリートの地面に
バタ〜ンと凄い音立てて落ちた。
途端、藤川さんが何事かといった表情で振り返った。
ビンタバーツのアクシデントはあまり聞かないので、
「バーツのフタ落とした時の拾うお経なんてあったら困るなあ。」と
一瞬思ったが体が自然と「何事もなかったフリ体勢」に入っていた。
ワンプラだったり葬式があったりすれば信者さんが何人も朝から出入りしているが、
あまりよくわからない行事の日はいつあるのか朝食時にならないと
わからないことがある。
行事日程は和尚さんののいつも居る場所の黒板に書いてあるのだが、
何があるのかまでは残念ながら読めなかった。
今日はペッブリー県の高僧と言われるお坊さんが来ていた。
長い読経も続いた。
食事も終ればいつものように暇である。
みんな何かしらの用を見つけては作業に加わっている。
5日はカティン祭(トート・カティン)があるとは前から聞いていた。
藤川さんが5日過ぎたら部屋が空くと言っていたのもこの祭りでお
布施がたくさん入るというものでそれを期に
還俗する者が増えるだろうということのようだ。
「カティン祭」というのはパンサー(安居)明けに行われる行事で、
その年のパンサーが無事終わったことを祝い、
信者さんが比丘に黄衣を捧げる行事である。
この日は夜になってもみんな部屋の外に出て
学芸会の準備のように飾りつけをやっている。
カーテンのような布切れが呉服屋のように色とりどり置かれていたり、
花飾りと共に高いところ登ったりして飾り付けている。
それらを率先して器用にやる奴がいるのだ。
俺は不器用だし何をどうするのか誰も何も指示してくれないから
サボり組みになってしまう。
子供の頃から私はこんなタイプで
「堀田の奴、何にもやらない」とよく言われた。
そういうのがトラウマになっていて一人取り残されるのが怖いのだ。
しかし他にも動かない奴はいて、また私にはカメラでの存在感が幸いした。
「撮ってあげる」という損な行為であるが。
藤川さんは遊んでる若い比丘に間違った日本語教えているし、
訂正してやるのも一苦労だ。
その藤川さんは俺とは話さない。
夜10時を過ぎてもまだ終りそうになくつらい。
10時30分には部屋に戻る者も居て私も寝ることにした。
11月3日。
ビンタバーツの他、葬式がなければ何もやることのない生活には
そろそろうんざりしてきた。何しに僧侶になったのか。
昨日から暇な時間の作業は窓枠を囲ったフェンス掃除を一人で始めた。
団体での土木作業は付いていけないので、
みんなからは外れた行動になってしまった。
藤川さんだって普段から一人で掃除しているではないか。
窓枠はあちこちにいっぱいある。
一人でやるには充分時間をつぶせる作業だ。
掃除をするとか、作業をするといった感覚ではなかった。
自分の居場所を探し求めた結果だった。
一人のんびり掃除していると何かと昔のことを思い出した。
田舎にいた頃や写真学校に通っていた頃、
会社に勤めていた自由な時間の少なかった頃。
何度も無意味にタイに遊びに来てた頃など。
そして、どうして人と違った道を歩き、脱線した人生となって今ここに居るのか。
何で今窓枠拭いてるのか。
過去を振り返り、現在に至る経過を何度も考えてしまうのだった。
あの時、こうしていればよかった。
もっと頑張っていれば今、窓枠なんて拭いていないのに。
掃除の時間は反省の時間となっていた。
昼食前、クティの玄関口を通りかかると藤川さんが一人で長椅子に座っていたが、
見えない方向から来た私はいきなり視界に藤川さんが現れたので
「ワーッ、ビックリした!」と声を発したがジジィは何も言わず、
何のリアクションも起こさず無視された。
この時は力が抜け、悲しくなってしまった。
「俺は期待外れの人間だったかもしれない。
居ないほうがいいのか。還俗しようかな。」と思った。
得度六日目でギブアップ宣言寸前だった。
内容が伴なわないだけにここで終れば本当の「タイで三日坊主!」であった。
いつ還俗を申し出ようかと真剣に考えだした。
「明日か明後日かもう何日かしたら・・」と考えながら午後も掃除を続けていた。
11月4日。
黄衣のまとい方は全然上手くならないものの脇さえ緩まず、
肩さえずり落ちてこなければ形は良くなってきた。
ビンタバーツでは藤川さんとは距離を置いて歩く。
なるべくなら接近したくない。
しかし民家の路地入ると姿が見えなくなるから藤川さんが振り返っていた。
何か言いそうだったから追い着こうとしたら
サイバーツしようとしていたおばさんに気づかず通り過ぎてしまった。
悪いことしたなあと思ったが、
後で藤川さんに「一軒飛ばしたやろ、無視したことになるからあの人に対して
すごい失礼なことしたんや。そう思わへん?」と言われた。
認めるしかなかった。
「ジジィ、てめえが振り返るからこっちは焦って急いだからじゃねえか」と
勝手に解釈しても普段から下見て歩いているから俺が悪いのは当然だ。
視界を広く持たねばと思った。
足元気にしてるのもよくない。
昼に和尚さんに呼ばれて話をした。
信者さんの来ている時で、藤川さんより俺のほうが発音いいと言ってくれた。
「当然ぢゃ!」褒められたうれしさで信者さんと和尚さんを写真撮ってあげた。
ここ三日ほどはカティン祭の準備で掃除の他、
椅子やテーブル運び、飾り付けやスピーカー取り付けなど
正にお祭りの前騒ぎであった。
11月5日。
早朝は通常通りの日課。昼前は賑やかなカティン祭の式典が外でやっている。
一般の信者さんや綺麗な衣装をまとったお姉さんや
コーラス隊の人達が行進する。
過去の得度式で見たような踊りながらの行進など正にお祭り騒ぎ。
カティン祭本来の目的である比丘に黄衣を捧げる儀式の他、
木の枝にクリスマスツリーのようにお金などを吊るし、
寄進者一同が行列に踊りながらお寺へ寄付にやって来る。
比丘たちはいつ出動するのか、
それが気になって比丘たちの行動を注意するばかりだった。
だが仲間たちは外の長椅子に座ってのんびり雑談しているばかり。
午後には黄衣もサンカティにまとい読経を待つ。
なかなか始まらずその格好では寝転がることも出来ずつらい。
読経も長く足も痺れ眠くもなった。
坊さんが居眠りはまずいだろうと舌噛んでこらえた。
夕方には全て終って片付けに掛かる。
テーブルや椅子の移動。
張り巡らせた飾り物も外して片付ける。
やれやれやっと終った。と思ってたら夜は本堂で読経があるという。
一時僧が無事にパンサーを過ごさせて頂いた感謝の礼を和尚さんに贈る儀式らしい。
天井の高い造りの本堂に比丘たちの読経が響くのは
非常に不気味な音響感がある。
葬儀場やクティ内での普通の建物では心地よい響きもこの本堂の響き、
特に夜は気持ち悪かった。
和尚さんの説教を聞いて終わる。
永い一日がようやく終わった。
お祭りは滅多にないだろうが朝夕の読経は毎日あるべきではないかと思う。
今日の信者さんの寄進で僧侶グッズがもらえた。
飯喰う時のお皿や石鹸やロウソクなど黄色いプラスチックのバケツに入っていて
そのままバケツも使い道たっぷりの有難い物だった。
11月6日。
今日は始めて他の寺へ出向いての葬式があった。
比丘10人が車二台に分かれて乗ってワット・ポームへ行った。
車といっても荷台付きの自家用車で荷台に乗るのである。
他の寺からも比丘が来ててサーマネーン(少年僧)もいる。
大掛かりな葬式と思っていたら読経は5分ほどで終わり、すぐ帰ってくるのだった。
比丘仲間のスパープくんから葬式のお布施100バーツ受け取った。
昨日のカティン祭で500バーツのお布施があり、
普通の葬式でも月に2000バーツぐらいにはなりそうな勢い。
乞食ではないが立場が違えば堂々とした所得なのだなあと思った。
比丘としての役目を果たしていれば毎日の生活も悪くはない。
しかし我々のやっている寺での仕事といったら
寺の増築の補助となる土建業者の手伝いとなっての作業はどういうことなのか。
こんな事する為に僧侶になったのではない。
藤川さんは特別な作業以外は加わってはいないが
ご自分で決められた掃除と身の回りの作業と
ご自分なりの読経や瞑想をやられているとは思う。
私は読経は出来ないし他で能力を発揮出来る場面があるわけではない。
だからすごく悩んでいた。
藤川さんに相談することも出来ない。
必要とされてないだろうから。
「どうしたらいいんだろう。還俗したほうがいいかな。」という悩みを
春原さんに手紙で送っていた。
11月7日。
ビンタバーツから帰ると4人の比丘が和尚さん席のそばに居る。
「朝からなんだろう」と思ったが暫くしてみると
その内の一人が私服を着て歩いている。
さっきのは還俗式だったのだ。
なんか取り残されたような気になった。
昼には郵便出しと現像出しのために外出した。
黄衣のマンコンにするのに20分掛かるため、
特に暑い昼は黄衣まとうだけで汗だくになるから大変だ。
他の比丘は3分でチョチョイのチョイでまとってしまう。
行く途中、今日還俗したばかりのクンペーンくんと逢い、
車に乗せてもらい郵便局まで送ってもらった。
初めて行く写真屋さんはコニカの店。
日本でもバンコクでもそうだったが、良い店であることを祈った。
きたなく焼いといて色補正しないいい加減な店はあるのである。
日本でもタイでも
。店を出ると比丘仲間のルースくんとパノムくんがいた。
他にもまだ2人ほどいた。
彼らは還俗した時の着る服を買いに来ていたようだった。
還俗式では白いワイシャツ類でなければならないらしい。
せっかく仲良くなったメンバーだが
ここにいる彼らも近々還俗するのは寂しい限りだった。
11月8日。
飯は喰ってもまだ喰い足りない時は保存食に手を出す。
ビンタバーツで得たスナック菓子を食べる。
部屋の元からある仏像にいつも備えて置くのだが
デックワットの高校生が勝手に持って行くのが何か腹が立った。
10歳のほうは何も盗らない。
やっぱり一人部屋でなければ落ち着かなかった。
食い物はどうでもいいのだがカメラを盗られたらたまらないと思っていたからだ。
今日もコニカ店へ行く。
「現像のみ」のあとプリント注文するから余計に足を運ばなければならない。
スーパーマーケットにも寄って来た。
蚊取り線香やネズミ殺しの餌とミロを買った。
生き物を殺してはならない比丘がこんな物買って良いものかと思った。
でもレジのおばさんも平然と袋に入れてくれる。
藤川さんも買っていたしなあ。
ミロは暖かい甘い飲み物が欲しかったから買った。
午後食事してはならない比丘だが飲み物は許される。
しかしミロとかコーヒーとか粉の固形物はどうなのか。
溶かしてしまえる物はいいのか。
アイスクリームはダメだろう。
でも溶けてしまえばいいのだろうか。
その境界線はどこか几帳面に考えてしまった。
午後2時からサーラー・カーンプリアン(第2葬議場?講堂)で
一時僧に対しての講習があった。
特に出ても出なくてもいいような講習で日本人の私には何も言われない。
普段から何も言われないから自分から和尚さんに聞いてみた。
「出たかったら出ろ。聞いてるだけでいいから」言われた。
学校の授業のように机が並べられ、正面に黒板がある。正に授業だった。
副住職が講義した。
いつ以来だろう。こんな形で授業を受けるのは。
お経の本とメモ帳は持って行ったが使いようはなかった。
何を言っているのかわからないからだ。
タイ語もわからなければ仏教用語もわからない。
教室にいる雰囲気を楽しむだけだったがそれで満足だった。
この講習は、初めてパンサーを過ごした新人僧は
パンサー明けに全国の寺で一斉に行われる仏教試験が
サンガで義務付けられているようで
11月末にあるその試験に向けての講習だった。
従ってパンサーを過ごしていない私に声は掛からない。
すでに経験している藤川さんや先輩方は受ける必要はない。
11月9日。
朝、結構寒かった。
タイでも最も寒い時期に入ってきた。
昼は暑いのだが朝は寒い。
水浴びなどしたくないぐらいだ。
私は早朝から水浴びはしなかった。
並ぶのも並ばれるのもいやだったし、
歯磨きやウンコと水浴びまでしたら時間が喰いすぎると思ったからだ。
私は歯磨きは少々長めにやるしウンコも長い。
お腹の調子は良かったからそうでもなかったか。
でもビンタバーツに行く前はきちんと身を清めて行くべきかもしれない。
しかし寒い朝は水などかぶる気など起きやしない。
黄衣のまといは全くうまくならない。
ビンタバーツに行って来るだけの間は崩れないだけの
形は保てるようになっただけだった。
相変わらず、足元の小石やガラス片には気を付けた。
これまではガラスが散乱していたことは一度もないが
地面が光っていると気になった。
そんな中でも次第にゆとりが出てきた頃であった。
サイバーツするのはほとんど早起き得意の年配の信心深い方々だが、
家庭によっては若妻が居たり、娘さんが居たりもする。
ビンタバーツという神聖な時間に比丘として恥ずかしいのだが、
正直言って若い娘を見ると困った。
胸元広いシャツやショートパンツを穿いた女の子の綺麗な腕や胸元、
スラーッとした太股を見てしまうのだ。
また不謹慎な視線に気づかれないように去ること。
それでもしっかり脳のスクリーンに焼き付けること。
これでは俺の修行では何百年掛かっても解脱に達しないだろう。
また我々が日本人と知ってサイバーツしてくれるおばさんもいた。
ニコッとしてくれたり英語で話しかけてきたりされた。
英語は困る。
タイ語で解釈しようとしているのに英語は知っている単語すら言葉にならない。
ほとんどが中流家庭に見える信者さん方だったが
サイバーツの際、白い米の御飯しかサイバーツされないお婆さんもいた。
見た目は貧乏そうなトタン屋根の平屋建ての家の人だった。
タイ仏教の中で生きてきた人達の精神は根強い。
貧乏でも比丘に寄進するなどの徳を積む行為は惜しまない。
すごい仏教文化だと思う。
日本人なら1円だって知らぬ他人にはくれてやらないだろう。
昼前10時30分ぐらいに寺にバイクにリヤカー付けた
アイスクリーム屋がやって来た。
飯前に余計な物喰ってもいかんと思ったが、
みんなが買うしブンくんが奢ってくれるというので頂いた。
パンにもち米とアイスクリームを挟んでココナッツミルクをかけたものだ。
甘くて美味いのだ。
もっと欲しくなるぐらいだった。
こういう鐘をならしながら自転車やリヤカーで売っているアイス屋さんは
バンコクでも田舎でもよく見かける。
寺の中も商売になる場のようだ。
午後は今日もコニカ店に行って来た。
店員さんに高校生ぐらいの可愛い女の子がいて
プリント中の後姿をしみじみ眺めてしまった。
いかんいかんまた眼の毒がいる。
しかし不謹慎ながら今後の現像出しはこの可愛い娘の店に決めた。
通うのが楽しみだった。
カティン祭までに撮った写真はみんなにプレゼントした。
多少焼きが濃かったりしたがみんながワイワイ言いながら
寄り合って見ているのは楽しそうでいい。
けど総額500バーツ掛かって、カティン祭で受けたお布施は飛んで行った。
その仲間のブンくんがあと14日で還俗するという。
こいつは一番話しやすく彼にはいろいろ助けてもらったりと頼りになる奴で
ちょっと残念だった。
少しずづ還俗する者が出て来たこの時期である。
11月10日。
朝、ビンタバーツに出る際、藤川さんとずっと路地出るまで話が続いた。
珍しい事だった。
タイ滞在ビザ取得する為にラオスへ行く計画の話だった。
そのラオスへ行く為にラオスのビザを取得しなければならない。
その為に「一度バンコクに出る事をアーチャーンに言うとけ」というものだった。
藤川さんは和尚さんから「ハルキを3ヶ月は寺の外へ出すな」と
言われているらしかった。
しかしビザは取らないといけないから事情を話しておけと言うものだった。
「なんだ俺、坊主やってていいのか。
いつ還俗を申し出ようかと思っていたのに。」
なんか呆気にとられながら比丘としての寿命が延びた気分だった。
しかし苦難の日々が続く緊張感も高まって来ていた。
そんなことを考えながらのビンタバーツのなか、
あるおじさんの所でちょっと待たされてしまった。
藤川さんは先に進んでいる。
そのおじさんは箱に入ったショートケーキをサイバーツ、
バーツには入らないから頭陀袋に入れられた。
この日はワンプラなのか、やたらサイバーツが多かった。
受けたところまだのところがわからなくなってきた。
また藤川さんが振り返って私を待っている。
「何しとったんや」と私に聞く。
「ケーキくれたおじさんのところで待たされたんです。」と言うと
「そんなことあるかぃ、スパンブリやらイサーン行ったら
行列ついて歩かないかんのやぞ。
道もここよりひどいし足痛いのは皆んないっしょや!」
・・・またムカついた。
このジジィ、おじさんのところで待たされたというのを信じていない。
俺が嘘言ってると思っている。
足が痛くて遅くなったと思っている。
バーツ投げ捨てて喧嘩したくなった。
もうほんの少し度胸があればやったかもしれない。
しかしそんな余裕もなくバーツや袋が重くなって
また落としたら大変と思って踏ん張るのに精一杯。
さらに珍しくガラスが落ちていた。
「うわ〜刺さったらたまらんぞ」と思ったが無事だった。
朝のワンプラの長い儀式が終わり、
ケーウさんから預けておいた僧侶手帳がきちんと書き込まれて返された。
あとはこの寺の和尚さんのサインが必要。
この前還俗した一人のインドくん(そんな顔してただけ)も
手帳もらいに来ていたようでいっしょに和尚さんにお願いしてサインをもらった。
さらに俺は「12月13日でビザが切れるので一端国外に出る必要があり、
ラオスへ行かせてください。
あとそのラオスへ行く為の手続きの為、
来週バンコクへ行かせてください。」と言いたかった。
流暢なタイ語が出来ないので言葉を選びながらのお願いだった。
話が通じたかどうかと思っているうち、
「ダーイ!」(OK)・・「安易な了解だなあ」と思った。
さらにこの郡だか市だかの偉いお坊さんのサインが要るため
インドくんのバイクに乗せてもらって2キロほど離れたワット・ヤーンへ行った。
何をどう言っていいのかわからない。
インドくんに任せてサインとハンコをもらった。
これで僧侶身分証明書完成。
インドくんにもお世話になった。
坊主から俗人にお礼を言ってしまった。
藤川さんも日本大使館や旅行代理店に電話してビザのこと聞いてくれていた。
私がこの時、タイに居るビザは観光ビザだった。
2ヶ月のビザに1ヶ月の延長は可能だが
坊主の立場では明らかに観光ではないから延長は無理だという。
正月を挟むから年明けに慌てるより年内にビザ取得は済ませたい気はあったが
これで早めに動く必要が出て来た。
いろいろムカつく藤川さんだったが、俺のこと考えてくれてることには感謝した。
この仏門に引っ張ってしまった責任を果たそうとしてくれていたのか。
11月11日。
坊主でありながら昼間、部屋で眠ってしまうことがあった。
暇で横になっているとそうなってしまう。
一人で寝てたりするとすごい後ろめたいのだが、みんな寝ているのである。
中にはお経を唱えて覚えようと勉強している真面目な比丘の姿を見たこともある。
この寺の比丘たちはいろんなタイプがいた。
他の寺から流れてやって来た一日一食しか摂らない年配の口数少ない、
綺麗な姿勢で読経する真面目な比丘もいれば、
ほとんどが通過儀礼で寺にいるだけタイプ。
また何人かは生臭坊主ながらコツコツ何年もこの生活をこなしている比丘。
とんでもないバカの中には品位に欠ける奴もいて、
この日は私の部屋に尋ねて来た奴がいた。
夜9時過ぎ、自分の坊主生活残り日数計算して
「還俗の日(予定)まであと何日」なんて指折り数える私自身もバカなことしていたが、
パノムという奴が「カップラーメン無いか?」と言って入って来た。
何するのかと思ったら作って食べるらしい。「それは駄目だろう。」とは言ったが
私としては強く拒否は出来なかった。
こんなバカでもわからないこと教えてくれたりもした奴である。
せいぜい「朝食べろ」としか言えなかった。
渡した私も後ろめたい気がした。
「信者さんがくれた物とはいえ、本来、部屋に置いておく物ではないなあ」と思った。
という私もミロにミルク入れて飲んでるのは本当にいいものなのかどうか。
11月12日。
友達を空港へ見送るため、私服に着替える許可をもらうか、
黄衣のままで行くか、無断で私服で行くかなんて迷っているバカな夢を見た。
この比丘をやっていていろいろな不自然な夢は何度も見ていた。
昔、勤めていた職場(現像所)でフィルムを光被りさせる夢も出て来たし、
好きな女の子と逢って抱きしめようとする夢もあった。
夢は覚めるので助かるが、どうにもならない苦難にぶつかる夢が多かった。
この日のビンタバーツでは思わぬことが起きた。
藤川さんがバーツのフタを落としたのである。
「バターン」と凄い音がした。
もう笑いたかった。
私と藤川さん以外にバーツのフタを落としたという話はその後聞いたことは無い。
11月13日。
ビンタバーツに出る際、藤川さんに話しかけられた。
「明日朝、7時に出発するから旅に出る準備しておけ、
スクンビットの寺に泊るから傘は要らん。
カメラ要るならそれも入れとけ。」と言うものだった。
この言葉の意味は、ラオスに行く為のビザ申請に必要な
僧侶手帳と写真3枚、現地でもビンタバーツの出来る準備、
傘とは野宿用の蚊帳吊る為の僧侶用の茶色い傘。
藤川さんがよくお世話になるスクンビットの寺に泊まるから
傘は不要ということ。
カメラは私が必要とすることを理解してくれていた。
昼からまた別の寺で葬式があり車二台で出掛けた。
知らない街を走るのは楽しいものだった。
お布施の小さい封筒をおじさんが比丘一人一人の手さげ袋に入れてくれた。
帰ってから中を見ると200バーツが入っていた。
ほとんど読経の出来ない私がお布施を貰うのはちょっと申し訳ない気分が続く。
そんなこと悩んでる間に一個でもお経を覚えれば良いのに
怠け者の私は修行の日々とはなっていなかった。
字が読めないのは理由にならない。
仲間から教わってカタカナで覚えればいいだけだ。
しかし日々のプレッシャーはそんな気力を奪っていた。
毎日作業があったりなかったり、この日も広場のゴミ拾いがあった。
和尚さんもいたので明日バンコクに出掛けることを申し出て許可をもらった。
簡単に「ダーイ!」としか言わないから
日本人がタイに滞在するのに必要なビザというものが何なるものか、
ラオスに何しに行く必要があるのかを
この田舎育ちの和尚さんはわかっていないだろう。
遊びに行くと思われているかもしれなかった。
夜、戒律破りのパノムがやって来た。
「風邪ひいたみたいだ。薬ない?」という。
一昨日の夜ラーメン喰ってバチ当たったんだろうと思ったが
「日本の薬じゃ、効かないかもなあ。
薬は食後に飲むのもなんだけど・・」と言って渡すと、
言われた言葉が「じゃあ、今日もカップラーメンくれ!」
・・・意味無かった!
→
当時の写真をこちらに一挙公開!
※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い
>第2回・得度の決意
>第3回・修行に向けての準備
>第4回・人生最後の式典・得度式