タイで三日坊主!

慣れた頃!

11月20日
また女の子の夢を見た。
ドーンムアン空港(バンコク国際空港)から5〜6kmの近さにある、
昔泊まっていたチャイバダンジムの近くの駄菓子屋の二十歳の娘だ。
枕抱きしめてしまった。
還俗したら逢いに行こうと思った。
女性の肌に触れないことすでに一ヶ月になる。
つらい。
朝のビンタバーツでいつも行く83号の家のおばあさんが出て来るのが遅かった。
そうしたら私の後ろに着いた別の寺の比丘がトタンの塀を叩き、
何かを叫んだ。
おばあさんは不機嫌そうに出て来たが、
「あの坊主、あんなことしていいのか」と思った。
品の無い坊主は別の寺にも居るようだ。

午前中、ブンくんに
「昨日、ミルク飲みに来なかったなぁ、どうしたの?」と聞かれた。
数日前から「夜、みんなでミルク飲もう」と言われていたのだった。
サイバーツされたパックの日持ちするミルクがいっぱいあるらしかった。
ここでブンくんの部屋に呼ばれて入ってみると
テークくんと二人部屋のようだ。
藤川さんの部屋と同じぐらいのスペース。
物がないから広く感じる。
それでもテレビとビデオデッキがあった。
やがてこの二人も還俗して行く。
「よし、この部屋に引っ越そう」と思った。

立地的には今の部屋のほうがいいのだが、
一人部屋になりたかったのだ。
デックワットに恨みはないが(多少のことはあったが)
誰でも出入り出来る環境は落ち着かなかった。
カメラはあるし、奴らよりは金持っているし。
ブンくんにも話すが「うん、いいよ」と言ってくれた。
出て行かれた後だから一緒に住むわけではないが。
そしてミルクを10パックほどくれた。
「一端、デックワットに渡してから飲んでね」という。
俗人から受けてからでないと飲食物に手を付けてはならないという儀式だ。
余計にわからなくなった。いつもブンくんらが
ビンタバーツから帰ってすぐ御菓子に手を付けている
あれは何なのだろうかと思う。

午後、藤川さんが「昨日眠れたけぇ」と聞かれた。
スピーカーの音など気にならなかったので
「グッスリ眠れました」と言う。
これだけの会話だが珍しいことだった。
普段から話さないものの、時折話す機会を持つようになった。
二日ほど前、仲良しグループの中のブイくんが
「ハルキがキヨヒロと話してるの見たことないけど話すことあるの?」と
聞かれていた。
おそらくはみんなが思っているだろうと思う。
私としてはもっと和気藹々とやるつもりだったのだ。
そうさせなかったのはジジィの古い頑固な考え方だ。
今日までの葬式によるお布施は合計1040バーツになった。
ほとんど写真代や郵便代に消えてしまったが。


11月21日
朝のビンタバーツで道端に猫が死んでいた。
痛々しい、車に撥ねられた様子。
朝食後、カーオラーム(竹の筒に入ったもち米の御菓子)売りが来て
またみんな寄って集って買っていた。
また少しだけ摘まませて頂いた。
美味い。
何でタイの御菓子って美味いのだ。
ゆっくりしてる間もなく、私だけノーイさんに着いて
高床式のクティの床下の蜘蛛の巣掃除に掛かった。
ノーイさんは普段から誰もやらない作業に積極的に取り組んでいた。
放し飼いになっている牛の糞をスコップで
リヤカーに積んで捨てに行ったり、
焼却場の燃えカスを捨てに行ったり、
人がやらない「その先の仕事」が得意だった。
11時ぐらいにやめてクティに戻ると凄い静か。
誰も居ない。
どうやらみんな仏教試験の為、試験場の寺に行ったようだった。
食事は居る者だけで食べた。
3時まで昼寝してまたノーイさんと作業に入った。
夕方には庭の水撒きをやった。
長いホースを使って広い敷地内を撒いた。
結構動いたせいか疲れた頃、
かき氷屋が来たところでノーイさんが「休憩しよう」と言って
かき氷を二つ買って私に奢ってくれた。
氷の上にシロップと甘いクリームが掛かっていた。
それを食べながら10分ぐらい休むとすごく体が軽く楽になった。
リフレッシュすることは必要だなと思った。
かき氷もこれも固形物ではないかと思ったが溶ければ水なのだろう。
このパワーでさらに水撒きを続け、
すっかり暗くなる頃の6時30分になってやめた。
今日は牛の糞や泥がサンダルに着いて大変。
体も埃だらけだった。
夕方にはみんな帰って来ていた。

11月22日
今日も猫が死んでいた。
昨日とは別の猫である。
タイでも犬や猫なら車で撥ねても
そのまま行ってしまうのがほとんど。
タイ国内で一日でどれぐらい撥ねられているだろうか。
これも諸行無常か。
寺に住み着いた野良犬達も
前足が無かったり後ろ足が無かったり、
引きずっていたりがほとんどである。
餌はそれなりにあるし、車は寺のものが二台あるだけ。
(和尚さんの近所用のボロ車と見栄張っての他の寺行き用のベンツ)
信者さんが来ても、いずれも寺の中での暴走はないから
犬にとっては安全地帯だ。
  
左:寺院内には、牛や鶏、犬やねこが放し飼いになっています
右:飼われているのか住み着いたのか、寺にいる「野良犬」が産んだ子犬

朝10時30分になると今日も続々みんな仏教試験に行った。
寺はワット・コンカラームらしい。
夕方にみんなが帰って来た時の様子が
「難しかった」と言うブンくん。
「できたよ」と言うエーくん。
「多分、落ちた」と言うスパープくん。
出来なさそうなエーくんができたと言い、
優秀な頭脳を持ったスパープくんがダメだと言う。
結果は知らない。
日々の変化の中で聞くのを忘れてしまった。
大体タイ人はムエタイでも負けた時の言い訳は凄い。
「風邪ひいたから」とか
「減量がきつかったから」とか
「足を挫いていたから」
自己管理がなってないことを平気でそのせいにする。
まともな理由もあることもあったが、
聞きもしないのに自分から言い出すのが多かった。
ここでの比丘達はどう答えそうなものかな。
タイ人にとっては言い訳もあろうが
「この結果に至った経緯を説明してあげる」
という親切心があるのも確かだ。
風習・文化が違えば考え方も違うことを覚えておかねばならないだろう。


11月23日
春原さんからワールドボクシング12月号が送られて来た。
辰吉vs薬師寺戦が近かった。
この頃、気になっていた日本のニュースはこの試合と
貴乃花の横綱昇進を賭けた土俵だった。
藤川さんはラジオを持っていて
毎日、NHKニュースは聞いていたろうが
私が貴乃花のことを聞くことは出来なかった。

朝の暇な時、またアイスパン屋が来た。
今日は私がブンくんに奢ってあげた。
やっぱり美味しい。
午後に喰えないのが辛い。
還俗したらいっぱい食べてやろうと思う。

ブンくんが「インスタントラーメンが欲しい」と言っていたので
カップや袋のラーメンをあげた。
そしたら昼飯にブンくんが現われない。
まさかラーメンで昼を済ませるつもりなのか。
たまに寺の中にいるのに飯喰いに出て来ないという奴も居た。
信者さんが来た様子も無いのに
他の物を食べるというのも考えにくいのだが、
どうやら鶏飯を買って来てたようだった。
タンブンされたのかもしれないが。
私らにとっては冷飯にタイ料理でも
充分美味しく頂ける。
でも彼らのとっては飽きる飯かもしれない。
昼過ぎ、ティーくんが還俗の話してて
25日に二人、27日に一人、30日に三人スック(還俗)すると言う。
品の良い奴ばかりが還俗して行ってしまうようだ。
この世の中、思うようには事は運ばない。
好きな人と別れたり、嫌いな人とも出逢う。
世の中、苦しみである。
こんな話は藤川さんに任せれば延々と喋ってくれる。
その話を思い出した。
確かに子供の頃から学年ごとに嫌いな奴一人は必ずいた。
イジメであったり人をおちょくる奴である。
就職しても苦手な上司、先輩はいた。
人が集まれば派閥が出来たり分裂したり戦争が起きたり。
これも諸行無常と言うのでしょうかね。

11月24日
朝、ブンくんの部屋で部屋の物を外に出して掃除していた。
ブンくんが「テークくんが明日出るから来ていいよ」と言う。
30日にブンくんも還俗する。
「もう少しだな」と思った。
朝のビンタバーツに起きる時間が1時間も違うので
ブンくんといっしょの部屋になるのはやめた。

11月25日
朝の4時45分からホー・スワットモンで読経が始まった。
還俗予定の五人が読経していた。
今日のビンタバーツの際、よく見かけるおばさんに
「いつも何時に出て来るの?」と聞かれた。
一歩先に居た藤川さんは我々二人に問われたと思ったか、
「コンジープンソーンコン、パーサータイマイカオチャイ」と
いきなり言い出す。
正にカタカナ読み発音。
すぐ私が「寺を5時半に出て、6時半頃寺に戻ります。」
と答えたもののジジィの早合点、勇み足にはいつも参る。
ジジィが言ったのは「日本人二人、タイ語わかりません。」

夜にはノーイさんに頼まれて葬儀の写真を撮った。
そんな重要なものではないのはわかっているが、
どうしてもある程度は普段の癖が出る。
さらに記録用にと多めに押さえるとフィルム2本使ってしまった。
NikonFM2にモータードライブ着けてフラッシュも光らせる。
読経する比丘や信者さんを前に出て接近気味に撮ると
記者会見撮ってるような感覚になる。
「そんな撮影もしてたなあ。今何で葬式撮ってるんだろ。」と
俗人時代を恋しくも思った。
記者会見を撮りたい訳ではないが、
またプロとしてカメラ持って撮る立場に立たなくてはと強く思った。

11月26日
昨日、藤川さんがナコンパノムに旅立った。
どこに何しに行くのか何にも言ってくれないからわからない。
まあ聞くチャンスはあったけれども
必要以上の言葉は掛け難い。
今日は初めての一人ビンタバーツだ。
何か自動車教習所の教官が助手席に乗らず、
無線で指導する初めての一人運転のような嬉しさと緊張感。
(今は無線指導なんてあるのかは知らない)
いつも廻る民家の中でもう常連の顔という人が何人かいる。
いつもは黙ってサイバーツを受け、そのまま立ち去るのがほとんどだが、
今日はやたら声掛けてくれる人が多い。
菅井きんさんの家、
琴桜おばさんの家、
最後の砂利道路地で逢う御飯とオカズの他に
御菓子を必ず入れてくれる御菓子おばさんの家、
ショートパンツ穿いて出て来る事の多いセクシーなお姉さんの家、
83番の札(番地の号に当たる)の家、
今日だけで五軒の方々に声掛けられた。
いずれも私が一人で呼んでいる日記用の呼び方だ。
83号のおばあさんには
「今日は一人?もう一人はどうしたの?」と言われて
「あまりにウルサイので海に沈めました。」
なんてビンタバーツの神聖な時間に嘘も冗談もいかんだろうと思って
「ナコンパノムに行っています。二、三日居ません。」と答える。
琴桜おばさんには「いつまで比丘をやるの?スックしたら何の仕事するの?」
と聞かれた。
砂利道路地では御菓子おばさんが斜向かいの
ショートパンツの綺麗なお姉さんに私が日本人であることを言ってしまう。
こんなに話していいものか困ったが二軒に挟まれながら、
御菓子おばさんに
「貴方はいつスックするの?もう一人はどうしたの?どうして比丘になったの?」と
上品な英語で聞かれてしまう。
そこそこのまともな返事をして、
また私が下手なタイ語で答えるから
「ウン、ウン、」と読み取って理解してくれた。
ビンタバーツがこんなに楽しくていいものか、
藤川さんと来る時と雰囲気が違う。
信者さんには藤川さんが「悪い比丘」、
私が「真面目な比丘」に見えるのだろう・・・!?。

寺ではいつもの暇な時間は外の石の長椅子でお喋りが始まる。
前からあったことだが「ドラえもんの歌」が始まった。
まず私が先導しなければならない。
「あんなこといいな、出来たらいいな・・・♪」
何とか覚えていたが自信のない歌詞だった。
取っ付き難くなっていたヒベも喜んで歌っている。
何か接点があれば打ち解けられるものだなと思った。
いつもこうはいかない奴だが。
夕方にはタイ文字でドラえもんの歌詞を書いてみんなに歌わせた。
私は歌が下手だから何回も歌うのは恥かしかった。
日本人は居ないからいいんだけど。


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※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
 おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
 クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
  


<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い

>第2回・得度の決意

>第3回・修行に向けての準備

>第4回・人生最後の式典・得度式

>第5回・苦痛の日々

囲む人々「一話一言」

堀田春樹「タイで三日坊主」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

新連載は堀田春樹さんによる、「タイで三日坊主!」
堀田さんは現在、ボクシング中心に撮影しているフリーカメラマン。
9年前に行った3ヶ月間の出家体験記を連載します。
実は、この話、出家前(正確には、一時出家後、
本格的に出家をするべきか悩んでいる)ときの藤川さんと
出会ったことから始まります。

ついに寺での日々は苦痛なこと。
特に衣がすぐに着れないのは大きなストレス。
さらに、藤川さんは無視をしている。
そんなときにバンコクへビザ申請に向かいます。