タイで三日坊主!

慣れた頃!

11月27日
今日も一人歩きでいつもよりひとつ先の路地まで行ってみた。
そこからいつもの83番の家へ逆方向から行くことになる。
その新しい踏み出しでは比丘を一人見つけたが
信者さんは見かけなかった。
その比丘はある店らしき入り口の奥まで入って行き、
私はそこまで後に着いて行くのも不安でそこは入らなかった。
そしていつもどおりのコースに入った。
ちょっと早歩きかなとも思ったが
時計が6時にピピッと鳴った時は
いつもとあまり変わらぬ位置に居たのでペースは同じだった。
比丘は腕時計をしてはならないが得度の日以来、
サボン(下半身を巻く布、スカートみたいに。)を取り巻く
腰ヒモに腕時計を取り付けていた。
6時にピピッと鳴る位置でいつものペースを掴んでいた。
今日も御菓子おばさんも綺麗なお姉さんもいた。
些細な会話ながら何か言ってくれたり、何も言うことなければニコッとしてくれたり
ワイ(合掌)されたりは今日も同じ。

昼食は葬儀の中で信者さんの寄進で行われた。
そして私にとって初めてプラケンをやった。
女性から施しを受ける場合は直接の手渡しでは受けられない。
手を触れてなくても触れるのと同じ事とみなされる。
そのためパープラケンという黄色い布を使うことになる。
パープラケンを床に置き、その布の端を持ち、
そこへ物を置いて頂く。(写真参照)
それで丁寧に手渡しされたに相当するのである。
 
↑女性から施しを受けることは「プラケン」という。
パー・プラケン(黄色い布)を広げ、そこに置いてもらうことで
直接受けるに等しい丁寧な受け方となる。



ある日、写真屋さんでネガスリーブ上に焼き増しプリントする枚数を書いて、
そのネガフィルムを
「はいっ」とおばさんに手渡ししようとしたことがあって、
おばさんに「それやっちゃダメでしょ!」と言われたことがあった。
ずっとフィルム見ていると意識はカメラマンに戻ってしまう。
比丘が女性に触れた場合、
それまでの修行は無に帰してしまうということだ。
それでもやむを得ず当たってしまったとか、
或いは殺してならない生き物を歩いている時、
知らず知らずのうちに蟻を踏んでしまったとかは日々あるものだが、
そこで日々の懺悔が行われる。
個々ではどうしているかは知らないが
この寺では日々の日課としてはやっていない。
ブンくんにはお経の本に
「これは朝の読経、
これは昼の読経、
これは葬式の読経、
これは懺悔の読経」といっぱいチェックしてくれていたが
とても覚えられません。
この日は葬式が重なった。
日々、人はいっぱい死んでいくんだなあと思った。
それ以上に生まれているのも事実である。
二つの葬儀場の他、我々のクティの食事している
ホー・チャンにもお婆さんの遺体が運ばれて来た。
尚且つ、別の寺へ出向いての葬儀もあり、
デックワットの運転する車でかなり遠い寺に行った。
他の寺の比丘が三十人ぐらい居て、
延々と二時間ほどの正座が続き、
読経がない間にはコップくんは居眠りしだすし、
煙草吸いだす比丘はいるし疲れる葬儀だった。
お布施は300バーツ入っていた。
大きい葬儀はそれなりにお布施も多めになった。
「読経もまともに出来ない上に、何の役にも立ってないよなあ。俺」
と言うとサンくんが
「マイペンライ、
ハルキは日本人なんだからわからないのはしょうがないよ。
気楽に居なよ」と言ってくれた。
わかっている上で言ってやったがこいつは優しい奴だ。





懺悔の時間。
2人組みになり互いに行う。
この二人は同期。普通は先輩僧に対し
新米層(後輩)が懺悔する。




夜、水浴びした後、
黄色いタオルを腰に巻いてクティに戻ったら、
ブイくんが追いかけて来て
「バスタオルはダメだ。
パーソンナーム(黄衣と同じ生地の布)にしないとダメだよ」と教えてくれた。
黄色いバスタオルならいいかと思っていたが全くダメのようだ。
寺から貰ったタオルだが、
体を拭くのはいいがそれ一枚まとうだけというのはダメなのは知らなかった。
誰も教えてくれなかった。
何度か人前でやっていたのに。
和尚さんに頼まれてクティにあるお婆さんの
遺体の親族方の集合写真撮ってあげた。
和尚さんは私のお陰で鼻高々だ。
そのついでに普段頼み難いことも頼んでおいた。
「あれ撮っていい?」
「郵便局や写真屋さんに頻繁に行きますよ」など。
ほとんど問題なく「ダーイ!」と言われた。
この撮影の後、ストロボの接触不良が発覚。
予備は持っていたがケーウさんが「修理してあげる」と言われて任せてみた。
タイ人は結構器用な人が多い。
何でも修理してしまうのには感心する。
バンコクのボロい市内バスだって堂々と「ベンツ」のマークは入っているし、
私が捨てるつもりの壊れたビデオデッキも
私の家に遊びに来ていたタイ人がわざわざタイに持って帰って
修理に出して今だに使っている。
だからタイは偽物王国と言われる。
マルイの偽物店まで出る国である。
普段部屋で何してるのかわからない、
ビンタバーツも行ってなさそうな雰囲気のケーウさんだが、
和尚さんの秘書のようにタイプライターで書類打っていたり、
和尚さんのよそ行きの車を修理していることもあり、
なかなか機械イジリが好きなお坊さんである。

11月28日
ビンタバーツで菅井きんさんに話しかけられたが言葉が全くわからない。
微笑んでごまかすしかなかった。
我々タイ語初級コース程度の能力では発音よく言ってもらって
やっとわかるのである。
一般人の会話なんて読み取れない。
83号のおばあさんは二人いて
今日は二人ともいらっしゃった。
「オンディオロー」と言われてすぐ理解出来た。
「コン・ディオ・ロー」と言われれば「一人ですか」だが
比丘に対しては「人間」ではないので字で言えば「一僧ですか」になる。
人は「コン」僧は「オン」になる。
知っている文法と発音があれば理解は早い。
私は「もう一人は明日帰って来ます。また二人に戻ります。」と言って来た。

朝食は昨日運ばれて来た、
おばあさんの遺体のあるホー・チャンでいつもと同じく食事した。
我々の座るグループはお棺のすぐ横。
誰も違和感なく食事していたし、
私もこれで食欲がなくなるなんてことは全くないが、
変わった経験で緊張感があった。
この朝、ブイくんが還俗した。
和尚さんの前で一人だけの還俗式。
お父さんが後ろで息子の姿を眺めていた。
私服に着替えると「こいつ、デブだなあ」と思った。
腹出ているのがよくわかる。
朝の内にカーオラーム売りやかき氷屋がやって来た。
ブイくんが10人分ほどを我々に奢っていた。
正確には生まれ変わって最初のタンブンである。
そして昼食になって信者さんの寄進でトムヤムクンやナタデココが出された。
メガネのブンくんはナタデココを食べたことがないようだったが
「うん、これはイケる」と美味しそうだった。
私もナタデココはこの年の春ぐらいに初めて食べたばかりだった。
その頃は「固い寒天」と言っていた。今も好きである。
3時ぐらいにノーイさんがトイレ掃除を始めた。
藤川さんがいないからこの三日間でまた汚れ気味だ。
私も手伝った。
直接私がやったのは初めてだった。
藤川さんはいつも竹ボウキでトイレの床を磨いている。
しかしやってみるとやり難いのだ。
毎日御苦労なことやっているなあと思った。
磨く場合はデッキブラシでないとやり難い。
買って来ようかな。やっぱりやめた。
使うのはジジィだ。

5時50分過ぎ、
陽が暮れて行き、この時間っていいもんだなあと思った。
何もなければこれで一日が終わる時間である。
が、しかし、もうひとつ葬儀があった。
夜はデックワット高校生が寝る為にやって来た。
今まで俺と寝たことないのにどうしたんだろう。
「俺、朝4時半起きだからね。」と言ってやったが
マイペンライだって言われた。
藤川さん帰って来ず。
ケーウさんから早くも直されたストロボが戻って来た。
ちゃんと同調する。
ケーウさん偉い!

11月29日
高校生は寝相が悪く、私の方まで割り込んで来た。
4時に目覚めてもう眠れない。
4時30分になって電気を点ける。
高校生は目覚めない。
起こしちゃ悪いと思って静かに黄衣をまとう。
5時30分に部屋を出て時間をつぶして35分に出発した。
知らず知らずのうちに速歩きになっているのか、
時計見てたらいつもよりペースが速い。
藤川さんが指標となっていた毎日。
小石も気にならなくなり足の裏の痛みも無くなりつつあるこの頃、
元々速歩きの私は重いカメラバッグ担いでいても速い。
6時の“ピピッ”も早めだ。
遅めに寺を出たのに。
急にスローにして調整する。
御菓子おばさんの所で更にスローになるから
帰りはさっさと帰った。

明日、ブンくんが還俗する。
部屋が空いたらその部屋に移ることを和尚さんにお願いした。
今日写真屋さんに行って、いつもは受け渡し後すぐ帰るが、
今日はお店で仕上がるの待って
二日前の集合写真を葉書サイズに人数分15枚プリントして来た。
それを和尚さんに渡しながらの引越し願い。
そんなことしなくても「ダーイ!」と言われたかも知れないが、
したたかな作戦は効いていた。
寺には放し飼いになっている牛や野良犬が産んだ子犬がいる。
鶏もヒヨコもいる。
時々、犬同士の取っ組み合いは見るが
鶏が襲われる姿は見たことは無い。
しかし今日は子犬がヒヨコを襲った。
その後、土方くんが子犬を怒鳴り、
デックワットが突進して子犬を蹴っ飛ばした。
ボールのように蹴り、毛のない腹がきれいに上向いて見えた姿は
ちょっとかわいそうだった。
その子犬は車でどこかに連れて行かれた。
デックワットは私の部屋の奴ではない。
別の部屋にもまだ何人かいる。
鶏も何羽ぐらい居たろうか。
朝は夜中でもコケコッコーと鳴いている。
これが田舎らしくて良いものだ。
騒音とは思わない。
自然の響きは気にならないものだ。

夜、藤川さんが帰って来た。
部屋をノックされ私のパスポート持って来て、
「あと300バーツ!」としか言ってくれない。
28日に受取り予定のラオス行きのビザを
バンコクの旅行代理店で貰って来てくれたのだ。
「どこ行って来たのか、何か楽しい話でもして行けよ」と思った。
「有難うございました。」とは言ったものの
有り難味はちょっとしか無かった。

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※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
 おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
 クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
  


<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い

>第2回・得度の決意

>第3回・修行に向けての準備

>第4回・人生最後の式典・得度式

>第5回・苦痛の日々

>第6回・バンコクへ初出勤

囲む人々「一話一言」

堀田春樹「タイで三日坊主」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

新連載は堀田春樹さんによる、「タイで三日坊主!」
堀田さんは現在、ボクシング中心に撮影しているフリーカメラマン。
9年前に行った3ヶ月間の出家体験記を連載します。
実は、この話、出家前(正確には、一時出家後、
本格的に出家をするべきか悩んでいる)ときの藤川さんと
出会ったことから始まります。

ついに寺での日々は苦痛なこと。
特に衣がすぐに着れないのは大きなストレス。
さらに、藤川さんは無視をしている。
そんなときにバンコクへビザ申請に向かいます。