タイで三日坊主!
慣れた頃!
11月30日
今日は三人の還俗と幾日かで還俗するトゥムくんが
朝、4時30分から読経をやるという。
還俗にはどういう儀式が伴なうのか見ておこうと
私も4時に起きて待った。
やはりみんな起きるの遅く、
読経が始まったのは4時50分だった。
ビンタバーツに行くまでそれを見届けた。
今日からまた藤川さんの後について歩く。
途端に御菓子おばさんやその他の人から声掛けてくれることはなくなった。
ごく自然体に戻った。
寺に戻った頃、彼らの還俗式が始まった。
あまり時間の掛からないもので
三人いるから十数分掛かったものの
特別やり取りする物はなかった。
幾つかの読経の後、掛けていたサンカティ(重衣)を
和尚さんに引き下げられて仏門を去ることを認められる。
すぐクティに戻って私服に着替える。
おそらくは、半年振りに穿くジーンズはどんな感触だろうか。
もう一度和尚さんの前に座り、
聖水を掛けられ終了した。
これは結構、簡略化された儀式ではないかと思った。
寺の厳格さ、和尚さんの方針もあるだろう。
朝食後、引越しに掛かった。
それまで居た部屋の環境は良かった。
涼しい広いし、一人で居られるなら最高の部屋。
今度のブンくんの部屋は、
暑くて狭くて外の舗装されてない
道からの土埃は入って来るなどの欠点はいっぱいだった。
しかし一人になれる魅力は捨てられなかった。
以前の部屋の掃除してデックワットに移動したことを伝えた。
「お前らといっしょに居られるか!」とは言わなかった。
彼らが特別悪いわけではない。
デックワットの友達の不特定多数が出入りするから落ち着けないのだ。
全く関係ない塗装屋まで入って来ることもあった。
昼過ぎにはみんな何が珍しいのか、
やたら私の部屋にやって来た。
サンくんがやたら親切に些細なことだが教えてくれた。
サンくんは以前、この部屋に居たと言っていた。
左:還俗式を迎えた手前からブンくん、ヌゥーくん、ルースくん。左は和尚さん

左:黄衣から私服に戻った瞬間
右:俗人にもどった(生まれ変わった)ばかりの3人

左・右:私服にもどり和尚さんから聖水をかけられて終了
夕方にクティ前から葬儀場あたりの掃除があったので参加した。
その掃除の途中、藤川さんにビザ申請に関する
書類のことを聞かれた。
ケーウさんにタイプライターで書類作って貰う事は
私からすでにお願いしておいたので問題なし。
しかし、藤川さんは
「ビザ申請に関して和尚は何もわかってないから文書で伝えたほうがいい」
と言う。
その内容教えるからと藤川さんの部屋に呼ばれた。
ラオス行く日程のことはいいが、
そこから延々話が続いた。
仏教、ビジネス、藤川さんの将来の目標、
昔の高校から大林組に就職したこと、
不動産業に就いたこと、
私のこの寺での様子など。
これがひとつ話が終って次に入るのではない。
最初の話から脱線して次の話に移っていくのだ。
明石家さんまとタモリの漫才みたいな脱線状態だ。
5時30分ぐらいから延々深夜12時ぐらいまで。
ビザの話からなんでこんな話に飛躍するんじゃぁ〜!!!
私のことで欠点突かれたこと以外、ほとんど覚えていませんよ。
このジジィはどうしてここまでお喋り好きなのか。
会話というものがどういうことなのかわかっているのか。
キャッチボールになっていないのだ。
ジジィは何百発、私の方へボールを投げたと思っているのか。
グラウンド内は私の陣地側はボールがいっぱい転がっている。
私は延々6時間ほとんどうなずいていただけだ。
喉が渇いて頭が痛かった。
脱水症状である。
ジジィも喉乾かなかったのか。
何も飲もうとしなかった。
疲れるとうなずくのも困難になって来る。
人の話を集中して聞いて居られるのは一時間が限度である。
得意分野でないものを突然呼ばれて講義が始まって
メモも取らずにどうして覚えていられようか。
この日私が部屋を移ったばかりのことはジジィも知っている。
還俗したブンくんらも寺への功徳のためにまだ寺に残っているはず。
私の部屋で一緒に寝たかったかもしれないのに
ブンくんに申し訳なかった。
ジジィは自分のストレス発散の為に喋りたいだけだと思う。
確かに一つ一つの話は重要性があるし共感する人は多い。
一日三十分の講義にして頂きたいものだ。
しかし、こうなるとこんな面倒なことはしたがらない。
我ままジジィである。
12月1日
ブンくんは他の部屋で寝たようだ。
「昨夜は居なくてごめんね。」と謝っておいた。
ブンくんは部屋に置いて行ってくれる物を説明してくれた。
黄衣は古い物だがいっぱいあった。
バーツもテークくんのも含めて二つあった。
部屋を移っての問題点、外の動きがつかめなくなった。
何かあれば外が騒がしかった以前の部屋と、
今の部屋は道路際でさらに新しい土地を均して建設しようとしている所で
ブルドーザーの音の煩い場所である。
比丘らの様子はさらに注意して追っていなければならなくなった。
そして毎日でも朝夕でも掃除しないと埃の積もり方はひどかった。
12月2日
藤川さんの後に付いて朝のビンタバーツを初めて
一ヶ月あまりが過ぎた。
黄衣は相変わらず下手であるが、
途中で崩れる心配もなくなり、足の裏も今でも日々痛いが、
歩くのが遅くなることはなくなった。
逆に藤川さんが以前よりゆっくり歩いてくれている。
常連さんとなっている信者さんの顔も覚え、
話をすることも珍しくなくなった。
藤川さんの後を姿を見ながら歩いているうち、
やって欲しくない行為が気になるようになって来ていた。
私は黄衣をまといバーツと頭陀袋を持って出て
5時30分に藤川さんの部屋をノックする。
藤川さんが出て来ると私と同じ格好はしているが
ひとつ余計な物を身に付けている。
口に煙草を銜えているのだ。
その煙草は、門を出て路地を歩く途中の道端に
火が点いたまま投げ捨てて行くのだ。
これは毎日続いた。
毎日トイレ掃除をする藤川さんは、
便器に捨ててある煙草の吸殻に嫌気をさしていたことがあったが、
「あんたのやってる事はどうなんだ!」と言いたい気分だった。
私も寺では掃除しか作業に加われないから掃き掃除をよくやったが、
クティの窓の外や石の長椅子の下から
煙草の吸殻は百個以上出て来たものだった。
寺ではかなりの比丘が喫煙する。
酒を飲んではならない比丘だが
喫煙は許されている。
それはお釈迦様の生きていた時代には煙草は無かったから
戒律には組み込まれなかったということらしかった。
戒律を改正出来るならば、
喫煙を禁止して蚊を殺すことは許されることにしたいものだと思った。
今日は隣のトゥムくんが還俗して行く。
彼はよく、ちょっとトロいパノムくんをいじめていた奴。
なおかつパノムくんとのコンビは漫才のボケとつっこみのような
面白さがあった。
悪く言えば品の無い奴だった。
12月3日
プミポン国王の誕生日は5日。
その二日前になって門の外でプミポン国王の肖像画が掲げられる作業が始まった。
これは国民行事だ。タイ国内至る所で行われている。
イルミネーションが飾られ街は賑やかになる。
プミポン国王誕生日の肖像画
日本の友達から雑誌が送られてきた。
「カメラマン」という月刊誌だった。
雑誌の流通業をやっている奴で手に入る雑誌をよくくれたりしたので、
またタイにまで送って来てくれた。
それを読んでいるとケーウさんがやって来て
ビザ申請書類が出来たと言って見せてくれた。
ケーウさんもカメラ知識があり、かなり好きそうだった。
しかし書類に間違い箇所あり。
タイ入国日が11月13日になっている。
入国は10月15日なのでもう一度お願いした。
余裕持ってやらせないとタイ人はギリギリまでやらないものだ。
だから「明日友達が取りに来るから今日直してくれ」とお願いした。
12月4日
昨日から寺の脇のいつもビンタバーツに行く側の道路が工事に入った。
タイでも年末の、無駄な税金使ってやらなくてもいい工事やるのだろうか。
やたらブルドーザーの音が煩くなった。
昨日の書類が直されてケーウさんからもらったが、また間違い発見。
一個でもミスあるとビザが下りない可能性があるから
完璧を期さなければならない。
タイ人の「マイペンライ」では済まされない。
私の見落としとケーウさんの勘違いで二度、三度手間になってしまった。
やっと完成した書類に和尚さんのサインをもらいに行く。
今回はみんながきちんとやるやり方で黄衣をまとって
書類とパスポート持って(部屋にいる時はサパイ〔チョッキ〕姿)三拝した。
ついでに、ラオスに行かねばならない事情と
外国人がビザを取得しなければならない法律に関する事を
書き留めた文書を提出した。
サインは簡単にもらえたが、どうしてもビザという物に
理解はされていないように思う。
和尚が「ビザはバンコクで取れるんじゃないのか」
と言っていたこともあるという藤川さん。
これは一流の通訳が来て説明しても
国際的諸問題はこの田舎者には理解出来ないだろうと思われる。
ビザを取得するには、一端タイ国外に出なければならない。
タイ国大使館及び領事館がある国ならどの国でもいい。
日本に帰って来るのもいい。
その時に事情で最も安く安全で、
比丘を受け入れてくれる仏教習慣がある国がラオスだったのである。
マレーシアは仏教国ではないから托鉢も寺に泊まることも困難である。
カンボジアもビルマも入国がやっかいだった。
日本は寒い。
金も掛かる。
それも面白いと思ったし計画のひとつではあったが。
私だって初めてタイ旅行した時は観光ノービザだったし、
初めて長期滞在した時もビザ再取得にマレーシアに行った時は
友達に任せっぱなしで書類に書き込めなかったものだ。
とりあえずラオスに行ってタイ国ビザを申請する準備は
早めに済ませられて安心した日であった。
ケーウさんは結構やることは早い人だった。
それは凄く助かった。
普通のタイ人は明日でいいものは明日に回してしまう。
日本人のように今日済ませて明日はまた別の用をやって
いざという時の為に備えるということはしない。
また期日を遅れてしまっても「マイペンライ」で済ませてしまう。
だから焦った。
出発日までに揃えるのには神経使った。
三拝とは爪先立ちした正座状態からワイ(合掌)して頭、
手の平から肘まで床に平伏す礼で三回繰り返すことです。
左:12月3日から始まった寺の脇の道路と空き地の土地ならし。
Part2にある藤川さんの托鉢帰りの道が年末にはこうです。
右:年末道路工事と何が建つやら、マンションかショッピングセンターか・・・
12月5日
「今日は俺無しやぁ、行かんならんところあるから」
とノックした際言われた。
それで一人でビンタバーツに出た。
藤川さんがいないと途端に話しかけて来る人が増える。
御菓子おばさんも微笑んで話してくれたし、
最近、自転車で通りかかるようになったお姉さんも
「今日は一人なの?」と言われた。
一時期は別の道で一人歩きをしようかと思った事もあったが、
もうこの慣れた顔ぶれから離れたくなかった。
プミポン国王の誕生日だったが寺では特別な儀式はなかった。
朝のニーモンでほとんどの比丘がどこかへ招かれたようだが、
昼にはいつもどおりの寺の中だった。
掃除中、藤川さんが私を呼び止めた。
何事かと緊張すると「ミロ持って行け」と
信者さんからもらったであろう大瓶のミロを部屋に取りに行かされた。
笑顔で「ミロ要らんか?」と言ってくれればなあ。
ミロは結構好きになった。
カップに大さじ二杯ほど入れてお湯で薄めて飲む・・・薄い!
更にミロを加える・・・全然薄い!
かなりの量入れて飲むとやっと旨みが出た。
後から聞けばミルクで割ったりコンデンスミルクで甘くしたりするもので、
そのままお湯で薄めるものではなかった。
これはもっと前の得度して間もない頃の話で、
後に聞いた藤川さんの話でも同じ事やってたそうで笑えたが、
飲み方書いてないんだもの、
日本のは飲み方書いてあるんだろうか。(書いてあった。)
12月6日。
寺の中で何かと動き回る一日だったが、
主役に回れる作業はなかった。
葬儀場の掃除は今日もあった。
参列者用の椅子を雑巾掛けしていると、
いきなりお婆さんの遺体が眼に入り驚いた。
遺体を見るのは五度目だった。
そして夜、葬儀が始まった。
ノーイさんが誘うので葬儀に参列した。
参列というよりは見学である。
信者さんの空いている席に座って見ているだけ。
読経の必要比丘は8人だった。
葬儀の規模や親族側からの要望で人数は変わるものと思われる。
私も必要人員に入っていながら
掃除していて車で出向するのに気がつかず
比丘が一人足りないといった事もあったらしい。
後でスパープくんに怒られた。
それでもマイペンライで済んでしまう国である。
こういう柔軟さは有難い。
葬儀を見ながら比丘の黄衣の色に眼がいった。
大体三色がタイの比丘である。
藤川さんが好んでまとう茶色。
私らがまとう一般的なオレンジ色(これを黄色というのが普通)。
和尚さんやケーウさんがまとう黄金色。
別に比丘の格差で色分けされている訳ではない。
茶色は巡礼の旅に出て、
泥が撥ねたりしても汚れが目立たないという
藤川さんの意見があって、
私が得度前に黄衣を買う時も藤川さんに
「茶色にせえや」と言われた。
私はオレンジ色の鮮やかさが好きで、
これをまといたくて僧侶になったようなものだった。
近くをオレンジ色をまとった若い比丘が歩いているのを見て
藤川さんは「オレンジ色(黄色)はいつまで経っても新米僧に見えるなあ」と
私を揺さぶった。
この黄衣も三衣と言われる三つの衣に分けられる。
「サボン」と言う下半身をまとう衣。
「チーウォン」と言う上半身と全身を覆う一番大きい衣。
「サンカティ」と言う儀礼に使う
チーウォンの上の左肩に掛けるチーウォンを折り畳んだ衣。
更に「サパイ」と言うチョッキを着るがこれは三衣に含まれないようだ。
なぜかはわからない。
「まとう」のでなく「着る」からだろうか。
なんてことを思い出していると葬儀中、
私のサパイが裏返しであることに気が付いた。
「しまったぁ〜。今日一日裏返しだった。恥かしい!」
目立つものではないので気にすることはないが、
こういううっかりミスは三十歳過ぎてから増えたなあと思う。
昔から私はオッチョコチョイではあったが。
ビンタバーツで頭陀袋を忘れて門を出てから気が付いて
藤川さんを待たせておいて取りに戻ったこともあった。
毎日持って出る物をどうして忘れるのだろう。
歳取ったらボケるの早そうである。
12月7日
プミポン国王の肖像画もみんなで片付けられた。
あと年内にはどういった行事があるだろうか。
厄介な行事は我々がラオスに行っている間に終っていて欲しいと思う。
ケーウさんのほうからビザのことで聞かれた。
些細な会話だったが、外国人はどこの国に行ってもビザがないと
滞在出来ないことや、
私と藤川さんも戒律以前に法律を守らねばならないことを話した。
だから藤川さんも寺を出られないパンサー期間中でも
ビザの為に国外に出る時があるという事。
根本的に理解出来たかはわからないが、理解しようとする姿勢であった。
和尚さんとは違う聞き方だ。
旅立ちを前に少しは安心出来た。
今日も夜に葬儀があった。
どうやらこの葬儀は三日ほど続くらしい。
私の出番はないが今日も見学した。
12月8日
朝のビンタバーツの際、
藤川さんに「ファランポーン行きの列車の時刻を調べとけ」と言われて
昼過ぎに市場に行く際、
国鉄ペッブリー駅の構内まで入って時刻表を見て調べた。
トンブリー行きというのが昼過ぎのは13:06と15:16発があった。
バンコク行きとかファランポーン行きとは書いてない。
駅員も見当たらなく出て来た。
寺でケーウさんに聞くと
「トンブリーはファランポーンの手前(終点の手前)で
ファランポーンには着かないし4時間位掛かる。
バスのほうがいい」と言われた。
それで藤川さんにはいつものエアコンツアーバスにしてもらった。
夜、三日目の葬儀で今日も覗いて見た。
参列者のおばさんが私に話しかけて来られ、
「この辺でお店出してる者です。」と言われたようだった。
私のこと知っているようだった。ビンタバーツで見かける顔ではなかったが
「カヤン」言われた。
真面目に作業するとか勉強するとかしてると
よくカヤンとは言われた。
そういうタイプの人はホウキ持って立ってるだけでも
真面目に見えるのだろう。
ノーイさんだって歩いてるだけで作業しているか、
しようとしているように見える。
ヒベが歩けばガ二股で歩くせいもあるがガラの悪い不良に見える。
日頃の行ないは顔やしぐさに出るのだろう。
12月9日
朝、葬儀場のほうで洗濯していると
十三歳ぐらいと十歳ぐらいの男の子が現われた。
どこの奴かと思ったら昨日のおばさんが現われた。
結局三十分ぐらい話していた。
自己紹介みたいな会話だったが品のある親子だった。
「今日の葬儀を撮影して欲しい」と言われてOKした。
昼過ぎに藤川さんが銀行に行っ来たようで
私の部屋に来て、
ラオス行きの為に50,000円を12,500バーツに両替してもらった。
今、1バーツ=4円ということか。
そこでまた話が始まってしまう。
藤川さんペースで話は続く。
「せっかく坊主になったんやから充実した毎日を送って、
身に成るもんつけて行かんと坊主になった意味がない。
指折り日数数えるだけやなしに過去のことも考えて、
ゆっくりこんな時間与えられたのも
何かの眼に見えん縁があったんやから恵まれとる事やぞ。
お前はこいつら(寺の坊主)小学校も出ておらんような
レベルの連中と同じやとワシに言われたら
納得せんと怒らないかん。」
両替に来た途端、何やらまくし立てられて台風のように去って行かれた。
指折り数えてるところ見てたかのような読み。
また夕方にも藤川さんが来られて
ラオスでの蚊帳吊る為の紐を置いていってくれた。
「ラオスじゃどこに寝かされるかわからんぞ」と言う。
更に仏教の本も置いて行かれて
「十日もあれば読めるやろ」と。
厄介な物置いていってくれるなあと思った。
夜、8時前になってノーイさんも私に
「葬儀の写真撮ってやってくれ」と頼まれた。
おばさんからフィルムを二本預かって撮影に入った。
読経中、和尚さんが私に「椅子に座れ」と言う。
座っていては撮れないから独自の判断で立ち歩いた。
おそらくは比丘らしからぬ行為をしたのかもしれないと思う。
和尚さんはマイクでの挨拶中に私のことを
「日本ではカメラマンやってる奴だから許してやってくれ」
とでも言っているような言葉だった。
周囲の人は笑っていたけれど。
葬儀の後、記念写真も撮ってあげておばさんと旦那さんとも話した。
旦那さんは警察官らしかった。
息子さん二人に娘さん一人いてやっぱり品のある家族だった。
おばさんからお布施200バーツ受け取った。
この撮影がもし日本で商売でやっていたら
いくらぐらいになっただろうか。
ここでは僧として値段は付けられない。
フィルムはそのまま渡し。
「明日からラオス行きますから現像はお任せします。」と言う条件で。
顔見知りが出来るとこの土地も思い出に残るだろうと思う。
明日にでもまたこのおばさん達と逢いたい気分だった。
こんな時に明日からラオス行きとなる。
和尚さんが「お金持っているか?」と心配されて
私に1,000バーツ渡してくれた。
予備として預からせて頂いた。
いずれは還俗後でもお寺の為に何かでお返ししようと思った。
※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い
>第2回・得度の決意
>第3回・修行に向けての準備
>第4回・人生最後の式典・得度式
>第5回・苦痛の日々
>第6回・バンコクへ初出勤