タイで三日坊主!

慣れた頃!

11月16日
通常の日課に戻る。
藤川さんとは相変わらず話はしないが、
以前の何を考えているかわからない
無視されているような感覚はない。
バンコクでの対話はいい心の交流になったと思う。
朝の作業はいつもと同じく何をするでもないブラブラしたものだが、
私はいつもと違ったちょっと上品系の比丘グループに着いて行った。
得度式で黄衣を着せてくれたコップくんや
剃髪してくれたノーイさん達と本堂の外でお喋りした。
こちらは自ら何かをコツコツやり続ける努力型タイプのグループ。

会話の中に不快感を与えるような人がいない。
派閥があるわけではないし
どこにも加われる人もいるからグループ分けは出来ないが、
正反対の不良グループも存在する。
戒律を破ったパノムくんや
アゴの四角いヒベくんなどは卑猥な言葉を発しては喜んでいる。
ある時もパノムくんが
「ハルキ、『オメコ』って何だ?
キヨヒロから聞いたんだけど!」
すると私は「それはね、『ヒー』のことだよ!
でも正確には『オマンコ』って言うんだ!」・・・
何で俺が訂正してやらないかんねん!
どっちでもいいんだが教える時は
標準語で教えてやってくれ、藤川さん! 













こいつが一番の問題児「ヒベ」です。
性格、悪そうでしょ?



この日からしばらくパノムは私を呼ぶ時大きい声で
「オマンコ」と言いやがった。
外に居てもだ。
近くには
観光名所の「ナコーン・キリー」
(正確な呼び方わかりません。寺と公園のある山。ナコーンは都)もある。
日本人観光客の女性も通りかかるかもしれないから
やめて欲しかった。
ヒベくんのほうも「ヒベ」とはタイでは卑猥な言葉らしい。
これは私が個人的に奴の名前に使った。
呼んでたわけではない。
そんなこと言える仲ではなかった。
ヒベもやたら私の顔見る度「ヒベ」と言ってきたことがあった。
読経の場であってもである。
これには頭に来た。
藤川さんが「舐められとったらあかん」というのも
こういう問題があったせいもある。
奴らの品のなさには呆れる限り。
小学校しか出てないような、田んぼ畑仕事や地元の土方仕事、
それすら無くて坊主やっているしかないような奴らと
いっしょにいるのはうんざりもする。
しかしヒベは読経がうまい。
誰から見てもガラが悪いがやる時はやる。
読経の出来ない新人僧の私は周囲からも
信仰心足りないと映ったろう。
日本の確立した制度で教育を受けて、
高校から専門学校まで行って
そこそこの企業に就職してきた者が、
こんな世間知らずの田舎者に負けてはならない。
バンコクの寺でも藤川さんに言われた。
「お前は来年、年収500万円ないと一人前じゃないぞ。
 年齢から言って33歳の管理職レベルならそれぐらいの年収や!」
と厳しい意見。
それは無理でしょ。
でもバリバリのプロビジネスマンだった藤川さんから見れば
当たり前の数字かもしれない。
「億単位のお金扱って来た藤川さんだからお金の感覚が麻痺している。」
と言った人もいる。
その意見を信じよう。

昼食前、葬議場の死体安置所から冷凍された
コチンコチンの遺体が車で運ばれて行った。
遺体を見たのは幼稚園の時、
御祖父ちゃんの葬儀で見た遺体以来だった。
冷凍庫から出された牛や豚と似ていた。
それが元・人間だったというだけ。
「この人の人生にもいろいろな出来事があったろうなあ」と思った。
タイでは葬儀から1年経ってから
供養され火葬される習慣もある。
これはお金持ちがやることで、
普通はすぐ火葬されるものと思われる。
葬儀が三日ほど続いたり、派手にパチンコ屋のように
イルミネーション輝く装飾にされたり、
演奏隊がいたり花火が上がったりする習慣は金持ちだから出来るのか、
また静かな葬儀もある。いずれも死者の来世に向けてのタンブンとされている。

夕方、ヒベに今から剃髪だと言われた。
満月の前日に頭を剃ることになる。
外の洗濯場などはクティの表も裏もみんなが集まりだした。
私は早めにやってもらおうと頭洗ってすぐにお願いした。
やってくれるのはヒベ。
誰でもよかった。
だがこいつ上手くない。
ヒベと仲のいい土方くん(そんな感じの品格)も上手くない。
3人目にやってくれたラスくんはきれいにやり遂げてくれた。
彼は真面目タイプで三年目のパンサー。
三月に私が来た時の事を覚えていてくれた。
安心して任せられる奴だ。
後に続いてやっている人を撮影した。
そうしてたら和尚さんが「みっともないところを撮るな!」という。
仕方なくその場を下がって別のところで撮った。
この和尚は機嫌のいい時に丁寧にお願いすれば
簡単に「ダーイ!」と言うタイプ。
次回撮ってやろうと思った。

  

  









上左:剃髪の日。手前はコップくんとサンくん
    向こうはヒベと土方
上右:剃髪
下:満月の前日が剃髪の日。
   やられているのはパノムくん。
   やっているのはラスくん。





11月17日
朝の黄衣のまといの後、
サパイ(チョッキにあたる内側の衣)を着けてないのに気付きやり直し。
せっかくまとったのに残念。
今日は満月に当たるワンプラ。
やたらサイバーツが多い。
デックワットの高校生に御菓子あげようとするとニコッとして
「要らない、要らない、御菓子嫌いだから」と断ってきた。
「じゃあミカンは?」と言うと
「夕方に1個もらうよ!」と言われた。
胡散臭く感じていたこの高校生もようやく打ち解けて来た頃だった。
以前から、こちらからもっと気軽に声掛けてやるべきだったのだろうと思う。
本堂脇の仏塔の館が完成したらしく和尚さんに
「写真撮ってくれ」と言われる。
「だったら剃髪撮らせろ!」とは言わなかったが
もうカメラのアッシーくん状態だ。
午後には葬議場の掃除が始まった。
葬議場の隅にこれから葬儀する遺体が置いてあった。
「うわぁ、本物の死体だ」と思った。
40歳ぐらいのおじさんで頭と胸あたりに
ピストルで撃たれたような傷があった。
後に藤川さんから聞くと
「賭博の現場押さえられて、警察に追われて
自分で頭撃って自決したらしい」と言う。
遺体は薬を打たれていて腐敗はしないらしい。
ほぼ全裸で置かれた遺体の股間にだけガーゼが当てられている。
死んでしまうと「恥かしい」とさえ言えなくなってしまうのだ。
寝ているような遺体は今にも起き上がりそうな雰囲気。
体があるのに魂がない。
昨日か一昨日にはまだ生きていた体が
今、横たわっている。
人間とか動物の死は不思議にさえ思えた。
魂はどこへ行ってしまったのか。
まだこの近くにいるのではないかとさえ感じてしまう。
傷口を麻酔もなく縫い合わせている。
痛くもないはずだから、
痛いと言うはずもないからズブズブと針を刺す。
魂がいるとしたら痛がっているだろうなあと思う。
親族が入れ替わり覗きに来る。
5歳ぐらいの女の子もニコニコしながら
遺体と母親の間を行ったり来たりしていたが
5回目ぐらいで父親の遺体の前で泣き出してしまった。
現状を把握したのだろうか、かわいそうな光景だった。
コップくんらは硬直した遺体を触っているがよく触れるなあと思った。







葬儀によって呼ばれる比丘の
人数や座る場所が違います。



夜にケーウさんが明日の朝6時からニーモンでの
スワットモン(読経)だと言う。
ビンタバーツは行かなくていいと。
9人で行くニーモン。
藤川さんもいっしょだという。
俺が行っていいものか。
「日本人に来て欲しい」ということらしいが藤川さんだけでいいでしょうにぃ。

11月18日
朝6時に9人が車に乗せられ、観光地の商店のような所へ連れて行かれた。
開業前のオープニングセレモニーの儀礼で
お坊さんが呼ばれたようだ。
誰の店で何の店かもよくわからない。
ある一定の読経をして終る。
そこで料理の詰め合わせをもらって(施しを受けて)帰って来た。
別に日本人僧が必要とは思えない。
私や藤川さんでなくてもいいように思えた。
読経の出来ない坊主を呼んでどうなるのかと思う。
(藤川さんは読経出来ます)選ぶのは和尚さんだけど、
全員参加や数合わせに呼ばれるのはわかるが他に比丘は何人もいるのに
「俺を入れないでくれ〜」とはよく思ったものだ。
やっぱり和尚さんが「世にも珍しい日本人僧が居る」と
自慢して歩いているのだろうか。
昼に春原さんから郵便が届いた。
得度式の写真だった。
剃髪での泣きそうな顔や得度式での
ぎこちない新米坊主姿が格好悪く写っていた。
写真は和尚さんや写っている比丘達にプレゼントした。
やっぱり喜んでもらえるのはうれしい。
ネガ原版は春原さんの手元にあるので日本に帰ってから頂く予定だった。
そしてこの得度式の写真から年賀状を作ることは
前々から計画していたことなので
その写真を選んで春原さんにお願いした。
この便に手紙も添えられていた。
私から手紙を出したのが11月初旬。
「何にも出来ない。
 黄衣もまともにまとえない。
 ジジィにも相手にされない。
 迷惑かけてしまうから還俗しようかと思う。
 自分が情けないです。」という事を書いた。
そしてその返事は「ワッハッハッハ、何を弱気な!」と
大きく書いてあった。
私の悩みなど気にも留められず、
修行は進行すると勝手に思われている。
当時の手紙が手元にないので正確な文面は覚えていないが
「我々の真似の出来ない世界に自ら飛び込んで、
それでも頑張っている姿に私は情けないとは思いません。」という
春原さんの言葉に、後ろから背中を押される思いがした。
「何があっても頑張る」とは言えない。
「頑張るけど無理しない」が私の信念であった。
「もう少しだけ頑張ってみよう」というぐらいの気楽さで行こうと改めて思った。

11月19日
今日は外の広場に大きなスピーカーが置かれた。
何かと思えば映画上映準備だった。
スクリーンも置かれた。
と思えば葬議場で葬儀もやっている。
ケーウさんが映写用レンズ見つけて来て
「これ日本に売っているか?」と聞かれる。
ケーウさんの友達がこの映画上映するようだった。
特殊な楕円形のレンズはちょっとわからない。
「日本で調べておく」とその場を逃げ、
その後そのレンズのことは知らない。
タイではよくある空き地映写。
タダで観れる。
この日は葬儀の一環の儀礼だ。

夕方6時過ぎには露店も出て来た。
蚊に喰われるから部屋に戻ったが部屋からも見える位置だった。
エーくんが来て黄衣のまとい方を教えてくれた。
「ここから映画見ていい?」と言うから「いいよ」と言ってやる。
9時に上映始まり、エーくんが来た。
私は寝たいのでそこで寝た。
スピーカーの音は響くが全く気にならなかった。
深夜3時ぐらいに気がついて起きるとエーくんはすでにいない。
外も静かで映画は終っていた。
しかし、エーの野郎、窓開けっ放しで行きやがった。
蚊が入るじゃねえか!
寒い時期に入っているので窓は閉めても暑くない。
蚊取り線香も焚いたので喰われることはなかったが、
蚊には神経質になってしまう。
また窓閉めて寝た。


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※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
 おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
 クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
  


<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い

>第2回・得度の決意

>第3回・修行に向けての準備

>第4回・人生最後の式典・得度式

>第5回・苦痛の日々

>第6回・バンコクへ初出勤

囲む人々「一話一言」

堀田春樹「タイで三日坊主」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

新連載は堀田春樹さんによる、「タイで三日坊主!」
堀田さんは現在、ボクシング中心に撮影しているフリーカメラマン。
9年前に行った3ヶ月間の出家体験記を連載します。
実は、この話、出家前(正確には、一時出家後、
本格的に出家をするべきか悩んでいる)ときの藤川さんと
出会ったことから始まります。

得度から1ヶ月が経ち、寺のグループが見えてきたり、
葬式に出たりと、淡々としながらも
日々変化していく様子を、当時の日記をもとに
お伝えします。