タイで三日坊主!

ビザ取得へ緊張のラオスへの旅!

12月11日
列車内、寝る時は暑かった。
カーテンを少し開けて風を入れてたが途中、夜中から寒くなりだす。
コーンケーンあたりを過ぎてからと思う。
上の段にいると外が見えないのが残念である。
列車に当たる外の風はビュービュー響き、
吹雪のようにさえ感じた。
実際、雪だったらとてつもなく寒そうである。
南国でそれはなかろうが、それでもタイでは寒い時期である。
幸いトイレには行かずに済んだ。
梯子を上り降りするのは面倒だ。
こんなスカートみたいな状態で。
僧侶はパンツ(下着)を穿いてはならない。
すごくサボンの裾が気になるものだ。
ミニスカート穿く女の子は大変だなあと思う。
眺める男から見ればハプニングを期待するが。
4時頃から眼が冴えてしまいもう眠れなかった。
斜め向かいのベッドの女の子、日本人ぽい気がしたが違っていた。
昨日、藤川さんから聞いた話で
「マレーシアに行った時、日本人の女の子に入国カード書いてもらって、
仲良くなって二、三日の滞在費出してあげて楽しく過ごすんや!」
という話も面白かった藤川さんの
俗人時代の常識外れの体験談はいろいろあった。
仏門の話だけでなく藤川さんのオモロイ人生の体験談は
参考になることがいっぱいある。
それらを聞くのが楽しみだったが、
私が寺に入ってからの態度が急変されて思惑は外れてしまった。

6時になる頃、みんなベッドから降りて食堂車に行く者が増えた。
停車駅で降りて弁当らしき物を買いに行く者もいる。
我々もお腹が空いていたが目立ったことは出来ない。
藤川さんも下車してから食堂に入るつもりのようだ。
7時22分に終点ノンカイ駅に到着。
すぐ三輪車タクシーが客引きにやって来た。
無視して先を歩いた。
駅前食堂に入ろうとしたがまだ開店前だった。
しょうがないから藤川さんが目指す寺に向かった。
左側にメコン河が見えた。
河の向こうはラオスだ。
たかがビザ申請だが目指すゴールが近いことを実感していた。
駅から歩いて五分ほどの所にあるワット・ミーチャイ・トゥンに到着した。
和尚さんは留守。
駅前で聞こえていた読経があったが、
そこのニーモンに行っているようだった。
お寺の若い比丘のクティに入れてもらって休ませてもらった。
コーヒーを出してくれたりと人懐っこく接待して頂いた。
とても品のあるお坊さん達だった。
「ここの和尚もタムケーウ寺の和尚みたいに、
何でもOK風の和尚さんで気楽やと思う。」と藤川さんが言われた。
さらに藤川さんが以前ノンカイに来た時、
タクシーの運ちゃんに「この辺で一番修行の楽な寺はどこや」と言ったら
連れて来られたのがこの寺だったという。
暫くして和尚さんが帰って来られて
藤川さんと和尚さんのもとへ行き、
三拝して「泊めてください」とお願いした。
すぐに和尚さんのクティとなる一軒家の建物の
二階の部屋に入れて頂き、休んだ。ホッとした。
和尚さんは結構年配の方だが、物分かりのいい優しい方だった。
朝は食事出来なかったが昼は助かった。

11時30分に鐘がなり、
若いお坊さんに呼ばれて葬儀場のようなところで
12人位が三つのテーブルを囲んで食事した。
予想はしたがカーオニィアオ(もち米)は勿論あって、
カーオスァイ(普通のうるち米)もあった。
オカズも豊富にあって藤川さんと二人でガツガツ喰ってしまった。
お腹空いていたから遠慮はしたくなかった。
他の比丘達は静かに食べていたのに恥かしい。
食事後の読経は我々の寺と同じだったが
リズムとイントネーションが違った。
部屋に戻って藤川さんとまたお話が始まった。
「来年の今頃、カンボジア行こう。
渋井さんの所も行きたいし。お前一ヶ月ほど来い。」と言われた。
その機会があれば行きたいと思った。

3時位になって藤川さんと外出した。
ラオスで泊めて貰える寺を紹介してくれるという
お寺の和尚さんに逢いに行くようだった。
行ったのは道路を挟んで少し歩いた先の寺。
ワット・ミーチャイ・ターだった。
メコン河沿いにある眺めのいい所だ。
こちらは和尚さんも比丘も見当たらない。
一人だけいた比丘に聞くと「僧の学校に行っている」と言う。
それで大体の位置を聞いてバイク三輪タクシーに乗って
この街の市場に向かった。
途中、見覚えある所を走った。
得度する二週間前に来たスタジアムがあった。
サッカー競技場だった。
ここでムエタイの試合があったのである。
特設リングがあった位置も把握出来た。
一緒の飛行機でタイに来た時の伊達秀騎くんが戦ったリングだった。
彼は肘打ちで左瞼と眼の下を切られ近くの病院で傷を縫ってもらっていた。
その病院の前も通った。
そこの看護婦さんはみんな親切だった。
"逢いたいな"なんてまた単純に思ってしまった。
市場に着くと人でいっぱい。
船着場もあって国境の街を印象付けられた。
市場には日本の御菓子がいっぱい売られていた。
藤川さんは「どこから持って来るんやろう」と言う。
市場を離れ僧学校方向に向かった。
途中、藤川さんが若い僧に学校の場所を聞くがよくわからない。
「あの坊主、アホやなあ」と言うが
藤川さんの聞き方のタイ語文法がなっていないだけである。
それでも歩いていたら着いた。
我々が市場でぶらついている間にもうみんな帰られたようだった。
我々もゆっくり歩いて帰った。
夕陽の沈む頃でまた藤川さんのお言葉。
「人それぞれの太陽の昇る所、沈む所いろんな所あるから、
そういう影響もあってみんな性格、人格も変わって来たんじゃないか。
これ調べたら面白いぞ。
統計取ってみたら何かわかる事あるはずや」と言われた。
う〜んなるほど。

もう暗くなった頃、ミーチャイター寺に着いた。
若い比丘に和尚さんの部屋に案内されて入った。
こちらでも当然三拝した。
和尚さんの名前はプラマートさん。
ラオスでビザ申請することや、
あちらで泊めて頂けるようお願いしたい、
プラマート和尚の知り合いのお寺を紹介して頂き、
紹介状を書いて頂いた。結構若くしっかりした、
それでまた優しい和尚さんだった。
だがちょっと変。
前から藤川さんから聞いていたことだがプラマートさん、オカマっぽい。
それは逢って少し話しただけで感じた。
そしてラオスの紙幣を幾らか頂いた。
明日はこちらのお寺の泊めて頂くことになってミーチャイトゥン寺に帰った。
寺に入ったり出たり、
その度に黄衣をマンコンにしたりロットライにしたり面倒だった。
藤川さんはファランポーン駅から黄衣を別方式のホーム・チアングに変えた。
これが一般的外出用である。
タムケーウ寺ではごく少数派的ホーム・マンコンである。
藤川さんは一度目の出家で一般的なチアングで経験している。
「これなら手を出してもサボンが隠れるし巡礼に出る時はこの方がいい。」
と言われる。
私のやっている少数派のは
「いつからこのやり方が作られたのかわからないが、
これは寺に留まる者のやり方だろう」と言われる。
一般式は巻きつけた渦巻きを腕から肩を通って足元に伸びている。
我々の少数派は渦巻きを腕から脇の下を通って足元に
伸びている。我々少数派のやり方は難しいし格好もあまり良くない。
一般式のほうは右肩を出すロットライのやり方の
肩を出すか出さないかの違いだけだ。
こちらのほうがカッコイイ。
(注・日本人納骨堂の中原さんのサイトにある着付け教室の
第一回がホーム・マンコン式。
第二回がホーム・チアング式。
これ見たほうがわかりやすいので参考にしてください。)

19時前にミーチャイトゥンに戻るが和尚さんのクティに鍵が掛かっていた。
御堂の方で読経が始まりどちらも入れなかったが、
一人比丘が出て来てくれて鍵をもらって来てくれた。
それで和尚さんのクティに入り、水浴びをする。
私が日記書いていると藤川さんが何か静かで動かないと思ったら、
座禅に入っていられた。
30分ぐらいして、8時30分だが寝ることにした。
蚊取り線香は焚いたがこちらの和尚さんは何とも言われなかった。
さて私のイビキで藤川さんは寝られるだろうか。

  
左:ノンカイのミーチャイトゥン寺の比丘たちと。
  逢ってすぐ仲良くなった時です。
右:和尚さんと。ラオスに向かう朝。

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※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
 おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
 クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
  


<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い

>第2回・得度の決意

>第3回・修行に向けての準備

>第4回・人生最後の式典・得度式

>第5回・苦痛の日々

>第7回・慣れた頃

囲む人々「一話一言」

堀田春樹「タイで三日坊主」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

新連載は堀田春樹さんによる、「タイで三日坊主!」
堀田さんは現在、ボクシング中心に撮影しているフリーカメラマン。
9年前に行った3ヶ月間の出家体験記を連載します。
実は、この話、出家前(正確には、一時出家後、
本格的に出家をするべきか悩んでいる)ときの藤川さんと
出会ったことから始まります。

今回はビザ申請のため、ラオスへ向かいます。