タイで三日坊主!

ビザ取得へ緊張のラオスへの旅!

12月12日
5時に起きた。
顔を洗って黄衣をまとって藤川さんと
5時50分に外に出てビンタバーツを待つ。
寒い。
外はまだ暗くすごく静か。
鶏の鳴き声だけが響いていた。
土の地面が冷たい。
6時になってようやく他の比丘達も出て来た。
みんなに着いて大通りまで歩く。
和尚さんが出て来るのを待って和尚さんを先頭に一列縦隊になって歩く。
ミーチャイター寺の比丘とも合流し
プラマート和尚はミーチャイトゥン寺和尚の後ろ。
私の前は藤川さんで私は前から五番目。
よそ者であっても年配は前。
後ろのほうはサーマネーンが続いた。
比丘にしてもみんな若い連中だった。
信者さんも部落ごとに並んでしゃがんでいた。
そしてサイバーツはカーオニィアオだけ。
頭陀袋は持たない。
先頭の和尚さんが歩くの速い。
藤川さんが言っていたとおりだった。
信者さんが入れるのも速く、受けるのも速い。
途中、果物やジュースを入れてくれる人もいた。
延々歩いて五十件あまり受けたろうか。
突然クルッとUターンして列も崩れて、ゆっくりした帰り道となった。
急に緊張も解け、比丘同士も笑顔が見られた。
これでも帰るまでに一時間ほど経っていた。
ミーチャイトゥン寺の比丘は近道の路地を入って寺に入るが、
私だけがそこで足がガクガクとして止まってしまうほどだった。
すごい足の裏が痛い。
小石が針のよう。
大袈裟だがズキズキと痛い。
火の上を歩くようにガクガク。
その後ろから和尚さんが来て恥かしい姿を見られてしまった。
辛かった。
何でこの路地だけがこんな石なのか。
他の比丘も藤川さんも平然と歩いていたのには感心した。
タムケーウ寺でのビンタバーツで藤川さんに言われたことある
「痛いのはみんないっしょや」と言う言葉を思い出した。
平然と歩けないのは修行が足りないのだろうと思った。
そのまま御堂に入って食事に入った。
カーオニィアオを摘まんで軽く握ってオカズをちょいと付けて食べる。
オカズはどこから持って来るのかと思ったら
寺の近くの信者さんの家から調理された物が運ばれて来るらしかった。
タイ東北部からラオスに至るまで、
もち米が主食となるタイで最も貧しい地域と言われた東北地方。
このノンカイに関しては中流とまではいかなくとも、
本当に貧しいとは思えない食材の量や街並みの風景、人々の表情を感じた。
「タイは貧困の国ではない」と
いつか藤川さんが言っていた話を思い出していた。
「バンコクへ出て売春をやるのも日本へ出稼ぎに来るのも贅沢がしたいだけ。
中には本当の貧乏も居るやろうがそれはほんの一部。
自然に適った高床式の家でいいものを、
格好良い日本式住居が流行りだして建ち始めた。
結果、エアコンが必要になる。
日本の文明がタイ人の幸せを壊してんじゃないか」
とはバンコクに行った時、
藤川さんや町田さん達の会話にあった話だった。
聞くのも辛かった話もちょっとした切っ掛けで、
もち米食っていて思い出してしまった。
食後の読経もタムケーウ寺と同じく
「ヤターワリワハー・・・」と「サッピーティヨー・・・」で終ってしまった。
飯後、部屋に戻り、藤川さんの「部屋掃除しよう」と言う言葉に賛同し
ホウキと雑巾借りてきて和尚さんのクティ内の
我々の泊まった部屋と廊下、階段、玄関までやった。
昼飯も朝と同じような形。
昼食後はまた比丘達のクティでコーヒーを御馳走になった。
部屋にある物はテレビがあったり、
コーヒーなどの一服タイムに使う必需品があったり、
贅沢しなければ結構楽しそうな環境は我々と似ていた。
こちらの比丘達のほうが品が良いだけでなく、
真面目だなあと感じさせられた。
修行している環境が整っているのだ。
勉強していた形跡が残っているような雰囲気の部屋だった。

昼から葬儀があるという。
何でも観ておけるものは観ておこうという好奇心で参加した。
サンカティはロットライの上から左肩に掛けた。
これが普通の儀式用サンカティである。
タムケーウ寺では帯で縛る。
葬儀は外で行なわれ、一般信者さん側と比丘側と分かれて椅子に座った。
葬儀の読経もリズムとテンポが違った。
火葬は広場で焚き火のように燃えていた。
とても遺体を焼いているようには見えなかった。
今日はミーチャイター寺に移動する予定だったが、
何かと比丘や信者さんと話しているうちタイミングを失ってしまった。
「こっちよりあっちがいいので移ります。」なんていうつもりもないし、
そう捉えられるのも嫌だしラオスでの泊まれるであろう
寺も決まっているし、
帰って来たらミーチャイター寺に入ろうと藤川さんと話し合った。
葬儀中もある比丘や信者さんに呼び止められ、
身元調査的質問攻めに合った。
その上でラオス行きに関し
「ちゃんと行って帰って来られるの?
国境の橋渡る時は15バーツ掛かるよ。
土日は25バーツだよ。」
と心配してくれるのだった。
彼ら地元の人達はメコン河の向こうもこっちも行き来自由である。
国境って何なのだろう。
いつから出来たのだろうと思う。

夜は藤川さんとお話が始まった。
タムケーウ寺にいる時と違って他にやる事がないからお話には集中出来た。
私のビジネスに関して、
営業という自分の売り込み方とか金儲けのヒントを
藤川さんの体験を交えて助言してくれた。
とにかくひらめきが早い。
「タイで葬式カメラマンやったらどうや。
金持ちなら葬儀に金惜しまず掛けるし儲かるぞ!
そしたら出張撮影、車の手配、助手も要るなあ。」
やるとも言ってない内から展開が早い。
とても比丘の考える内容ではない。
頭良い人である。
藤川さんから見れば私のことをイライラして見ていることだろう。
藤川さんも比丘としての野望がある。
その幾つかの夢を聞かせて頂いた。
これも次から次と展望がある。
凄い人だ。
本当に感心した。
エイズ患者を集めて心安らかに最期を迎えられる環境を作るエイズ寺。
タイの日本人ビジネスマンらが行き場を失って
自殺に追い込まれているような人を救う
日本人の駆け込み寺。
「その時はお前も手伝いに来い」と
私を引き付けておく事を忘れていない人だった。

↑ビンタバーツの帰りのミーチャイター寺に入る路地。
  この小石がすごく痛いのです。

<<戻る                    >>次へ



※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
 おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
 クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
  


<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い

>第2回・得度の決意

>第3回・修行に向けての準備

>第4回・人生最後の式典・得度式

>第5回・苦痛の日々

>第6回・バンコクへ初出勤

>第7回・慣れた頃

囲む人々「一話一言」

堀田春樹「タイで三日坊主」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

新連載は堀田春樹さんによる、「タイで三日坊主!」
堀田さんは現在、ボクシング中心に撮影しているフリーカメラマン。
9年前に行った3ヶ月間の出家体験記を連載します。
実は、この話、出家前(正確には、一時出家後、
本格的に出家をするべきか悩んでいる)ときの藤川さんと
出会ったことから始まります。

今回はビザ申請のため、ラオスへ向かいます。。