タイで三日坊主!

ビザ取得へ緊張のラオスへの旅!

12月13日
きょうも5時50分には外に出て出発準備を待つ。
昨日と同じく寒い。
ビンタバーツの帰り際の小石の路地では
今日こそ頑張って耐えようと思って歩いた。
ところが五歩も歩けばもうガクガクだった。
痛いよ!耐えられるものではない。
これは慣れる時が来るのだろうか。
痛かった〜。
もう終わり。
明日はラオスだ。
朝飯後、掃除してラオスに向かう準備をした。
藤川さんは全く自分ペースでしか考えないから
一人イライラして私を急がせる。
仲良くなった比丘達の名前や住所を書いてもらう為に時間が掛かった。
和尚さんにも同様である。
挨拶して寺を出た。
三輪タクシーひろって国境の橋に向かう。
橋のイミグレーションで出国手続きをして通行バスに乗った。
橋を渡ればまたイミグレーション。
今度は入国手続き。
いずれも簡単に済んだ。
初めてのラオス入国・・・ではなかった。
実は二ヶ月前、半日間の不法入国をしていた。
先に書いたムエタイの試合の翌日、
プロモーターの御好意で選手やジム関係者は
ラオスのビエンチャンで観光して来たのだった。
イミグレの職員には顔が利くらしい。
ビザも出入国のスタンプもなし。
そしてこの二回目のラオス入国を果たすと
人相の悪い白タクっぽいタクシードライバーが十人ぐらい寄って来た。
藤川さんはあっさり目的地の寺の住所を書いた紙を見せようとする。
「やばいですよ、藤川さん・・・」、
私は数年前に起こった日本人新婚夫婦を襲った白タク強盗を思い出していた。
こんな怪しい奴らに何で簡単に着いて行こうとするのか。
「ほな、どないするんや」と言われても
安全な手段はすぐには思いつかない。
神に祈る思いで白タクに乗った。
ついでにもう一人客乗せた運転手。
こいつがグルだったらまるっきり相手の思う壷。
俺の人生ここで終わりかと思った。
昭和三十年代にあったようなボロい車に乗せられ田舎道を走った。
街並みも昭和三十年代の田舎道のようだった。
一人客が降りた所もすごい田舎道。

  
ビエンチャンの街
(右の写真は還俗後、95年3月の写真です)


俺らが行く先はもっとひどいところかと思っていたら
無事目的地のワットチェンウェーに着いた。
タイバーツで150バーツ。
相場は知らんが。
寺の門にチェンウェーという文字があるのを見つけると
ホッとするとともに生きていられる安堵感に包まれた。
タクシーの運ちゃんはニコッと笑ってUターンした。
悪魔のような顔つきの運ちゃんもこの時は天使に見えた。
寺の門に入って黄衣をロットライにして正面御堂に入った。
住職らしい人が仏壇前の座っていた。
すぐ三拝して挨拶すると「ジンディートーンラップ」(Welcome)
と歓迎してくださった。
11時を回った頃で「食事は済んだか?」と聞かれて
「まだです」と答えると7〜8人の比丘と共に
我々の分まですぐに準備が整った。
ちょうど良い時に入れて幸運だった。
突然の訪問者にもきちんとした接待してくれるのは不思議な歓迎だった。
ノンカイのミーチャイトゥン寺と変わらない結構、
量のある食材であった。
味が強い辛さがないぐらいだった。
プラマート和尚からの紹介状も渡し、
ビザ申請に来た事も伝えた。
食事が済むとサーマネーンやデックワットが片付けをやってくれた。
ホテルでもないのにこの待遇には本当感心、感謝である。
食事後、クティに案内された。

御堂の脇にある高床式のボロい木造の建物。
御堂の中は増築中でコンクリート建ての綺麗な建物だった。
ここの和尚さんは「完成したら泊まれるけど今は汚い所ですまない。」と言われた。
とんでもない。
野宿でないだけでも有難かった。
部屋は暗く夜は灯りがあっても暗そうな電球がひとつ。
藤川さんは「すぐ蚊帳吊れ」と言う。
「夜になってからでは暗くてやりにくいぞ」と言われて、
しかし蚊帳ってどうやって吊るのか迷った。
まずヒモを張らねばならない。
クティは七十歳ぐらいのお爺さん比丘とサーマネーンがいた。
人の家に来ていきなり柱に釘打つのは恐縮したがやるしかなかった。
この爺さん、怒り出すかと思ったらニコ〜ッと笑って
金づち貸してくれた。
笑ってくれればもう友好条約は結ばれたものと同じ。
藤川さんは御自分の蚊帳は手際よく吊ってしまったが、
後、私のを手伝ってくれた。
一本のケーブルを引いて傘の先端の穴に通す。
傘に蚊帳を被せておけば開けば準備は完成。
蚊帳の中に入った時にゴザの下に蚊帳の裾を敷いてしまえば
後は寝るだけだ。
このお爺さんはちょっとボケた感じがあったがまだしっかりしたいた。
それよりちょっと病気がちでずっと寝ている様子だった。
  
左:チャンウェー寺の門
右:近所の子供達。澄んだ眼をしたかわいい奴らです。


寝場所完成後、次はタイ大使館へ行く準備だ。
貴重品を置いていくわけにはいかない。
盗まれてもいい物はないが貴重品以外の物は
そのまま蚊帳のそばに置いて藤川さんと二人で外出した。
寺の外の路地を出るとサムロー(三輪タクシー)が
頼みもしないのに勝手に止まった。
タイ大使館まで1500キープ。
相場はわからない。
両替も済んでなかったので50バーツという交渉成立だった。
12時50分に到着。
大使館の向かいがビザ申請事務所。
開門は14時からだった。時間潰しに近くにある独立記念塔に行った。
二ヶ月前にも来た所だった。
パリの凱旋門に似た塔である。
パリには行ったこと無いので比較は難しい。
また歩いて大使館に戻った。
窓口で申請用紙二枚もらって記入し始めた。
藤川さんが書かないと思ったら、この人は要らないんだ。
「じゃあ何しにラオスまで来たんだ。」なんて聞ける訳も無い。
私の為に来てくれてるのだ。
一人でなんて来られる自信は全くなかった。
俗人だったら来れたかもしれない。
二度目だったがマレーシアには一人で行ったことがあるからだ。
僧として一人で来るのはちょっと無理だったろう。
行く先全て招待状があればやれたかもしれないが。
二枚もらった用紙は一枚余る。
じゃあもらっておこうと思ったら
「俺が貰ろた」とジジィが言う。
私が「次の日本人の為にとっておきたい」と言っても
「俺かて友達の為に書いてとっておく」と言いやがって。
「クソ〜このジジィ、こんなところが憎たらしい〜!」と
恨めしくジジィを睨んでいると
「早よ書けや〜!」と言いたいこと言って焦らせる。
申請要求期間はノンイミグレント・ビザ最大の三ヶ月であった。
しかしジジィは「一年って書いて見ぃ」と言う。
間違って"一年"くれる場合も有るという。
なるほどこんなところは悪知恵が働くジジィであった。
坊主なのに!
さっそく窓口に持って行くと
「受付は明日です!」と言いやがる。
クソ〜せっかく書いたのに、
先に言ってくれれば寺に帰って書いたのにぃ。
事務所のババァめ! 

言葉の悪い私も坊主です! 

このまま帰るかと思ったら藤川さんはガイドブック見て
「あの寺行こう」と言い出す。
もう観光に来たのではないから帰りたかった。
何でも興味を示し、"せっかく来たんやから見て行かな損や"
というのがジジィの姿勢。
知識人と無能人との差はこうやって広がっていくのだと思う。
またサムローに乗って観光名所の寺に着く。
寺の名前は覚えていない。
「タイにあるエメラルド寺院のエメラルド(緑玉石)は
元々ラオスのこの寺にあったんだって。
それをタイ人が盗んで行って今の観光名所を作ったんだ。」
というのを二ヶ月前に来た時、アナンさんに聞いたような気がした。
これは正確な記憶ではないので断言は出来ないが。
そしてまた別の寺に向かう途中、
ガイドブック見てたジジィは厄介なことを言い出す。
「『ラオス入国者はパックツアーを除いて
在住証明書を提出しなければならない』と書いてある。
入管行って聞いてみよう」と言う藤川さんに
「大丈夫でしょう。行かんでも」と言うとジジィは
「じゃあ出国時に何か問題あったら交渉してや?」と言う。
「そんなの知りませんよ!」とムカついて怒鳴ってしまった。
ジジィは「なら、今行こうや!」ということで入国管理局へ行くことになった。
ムカついてしょうがなかった。
ジジィの言っていることは正しいのだ。
しかし言い方に難がある。
本当に行動派の人だ。
行く途中、おっさんが走って来て
「ニーモンです。あの比丘が呼んでいます。」
と言うので振り返ると二人のお坊さんが居た。
「これからどこ行くの?」と聞かれた。
一人は橋のイミグレーションで見かけた
紫のチーウォンまとったビルマから来たような比丘だが、
明日ウボンに帰るらしい。
もう一人はビエンチャンにある寺の和尚さん。
入管にはみんな付き合ってくれると言うことで、
タクシーに乗って入管に向かった。
 

左:乗ったタクシーはこんなボロです。
右:寺を回っているうちに出遭った二人の比丘。


おっさんは運転手だった。
入管行くと「ツアー会社に行け」と言われる。
そういえばパスポートにツアー会社の名刺がホチキスで留められていた。
ホテル名も入っていたのでそのホテルに行ってみた。
バンコクでラオス入国ビザ申請を依頼した時に
パスポートに留められた名刺だった。
何でこの名刺があるのか、気にも留めなかったが
これもパッケージツアーの一種だったのかもしれない。
そしてほとんどビエンチャンの比丘が引っ張ってくれていた。
そのホテルで尋ねるとツアー会社は
そのホテルの裏側にあることもわかった。
そこで突然、どこかのおばさんに「ニーモンです」と言われて
ホテルのレストランに入った。
ホテルと言っても安宿である。
我々坊主四人とタクシーの運ちゃんまで座った。
タイでよく見たが初対面の運ちゃんでも
人の家に上がって水飲んでいく姿を何度か見た事がある。
ざっくばらんとしたものである。
そこではジュースを出してくれた。
喉渇いていたし有難いことだった。
ファンタオレンジの味がした。
頂いた後、ビエンチャンの比丘が読経するのでみんなで
ワイして聞いていた。
これも信者さんのタンブンの機会であった。
その後、裏のツアー会社に行って聞いてみた。
二週間以内のビザなら在留申証明書は要らないということだった。
まあここまで行動を起こしてホッとした。
藤川さんの言うようにやる事やっておけば
新たな知識も持って落ち着けるものだった。
この二人の比丘に寺まで送ってもらってお別れした。
ずいぶん親切な比丘だった。
連絡先も聞けなかったしもう逢えないだろうなあ。
聞いても何かしてあげられるわけでもないが、
再会を約束しても良いと思う。
寺に戻って夕方、御堂ではスワットモンが始まっていた。
ここでも読経のリズムが違っていた。
夜、クティに居るとサーマネーンが
オーワンテンを持って来てくれた。
ミロのようなものである。
和尚さんも後から来て
「もう飲んだか?」と尋ねて来られた。
和尚さんがネーンに持って来させたようだった。
クティは我々側のボロい木造小屋と御堂の向こう側にも
クティがあって何人か住んでいた。
デックワットも三人ほど居る。
さらに五歳ぐらいの男の子。
顔がタイでもラオスぽくもない。
和尚さんの子ではないのは確かなようだ。
同じクティにいたネーンは英語の単語の暗記に没頭していた。
声に出して覚える凄い学習意欲だった。
寺から学校に通っているようだったし、
この子たちは自分たちの置かれている立場も理解出来ていて
無駄の無い僧生活と学業を真っ当していた。
そしてどの子も眼が澄んでいるのである。
都会の文明に汚れてないのだ。
藤川さんも「このままにしといてやりたいなぁ。」と言う。
今日、街に出た際も街中を見昭和三十年代の田舎のような
街並みに懐かしさを憶えたが、
ところどころに近代的西洋風の家があったりボロい車がる中、
日産やホンダの新型車が走っていたりした。
もうここまで文明は押し寄せて来ているのだ。
タイやラオスだけでなく、
カンボジアもベトナムも変わって行くんだろうなあと感じた。
十年経ったらどうなっているだろうと思うと恐ろしい発展がありそうである。
クティではおじいさん比丘がお茶の指示を出した。
ネーンの英語マンがお茶を入れると思ったら
沸いているポットの中に大きな、
木の葉っぱを入れた。
これで煮立ててお茶が出来るのだと言う。
本当にお茶の葉なのかはわからない。
興味津々の藤川さんはさっそく頂こうとする。
私もついでに頂いた。
色はお茶の色である。
味は、お茶の味だった。あまり美味くはない。
些細な日常生活の一部でも我々には楽しかった。
結構可愛い奴らだった。
時間は早いが8時30分頃蚊帳広げて布団に入った。
タオルケットと薄いマットレスは貸して頂いた。



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※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
 おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
 クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
  


<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い

>第2回・得度の決意

>第3回・修行に向けての準備

>第4回・人生最後の式典・得度式

>第5回・苦痛の日々

>第6回・バンコクへ初出勤

>第7回・慣れた頃

囲む人々「一話一言」

堀田春樹「タイで三日坊主」

「おもろい坊主を囲む人々」でつなぐ、一話一言。
日ごろのことを思いつくままに、気軽に書いていただきました。

新連載は堀田春樹さんによる、「タイで三日坊主!」
堀田さんは現在、ボクシング中心に撮影しているフリーカメラマン。
9年前に行った3ヶ月間の出家体験記を連載します。
実は、この話、出家前(正確には、一時出家後、
本格的に出家をするべきか悩んでいる)ときの藤川さんと
出会ったことから始まります。

今回はビザ申請のため、ラオスへ向かいます。