タイで三日坊主!
ビザ取得へ緊張のラオスへの旅!
12月10日
出発は昼1時の予定。
朝のうちはいつもどおりの日課だが旅の不安は常に頭を過ぎる。
掃除して昼飯後、水浴びをして出発準備をする。
ヒベが「ビザ見せろ」とか
「ラオス行ったらマールボロ買って来てくれ」と勝手なことを言う。
「荷物が多いからわからない」と言葉を濁し、
「パスポートは袋の奥だ」と断った。
サンくんにはマンコンのまといを手伝って貰い、
最後の締め具合を極めてくれた。
サンくんには御土産買って来てあげたい気持ちだった。
いつもの頭陀袋とは違う底の開く頭陀袋
(バーツがスッポリ入り、バーツを支える竹の台座は外に出し、
袋の裾を縛って固定する大きめの頭陀袋)に多くの
必需品を詰め込んだ。
言葉で説明し難い袋である。
さらに蚊帳用の傘も持つ。
カメラは必要最小限にしてモータードライブを外し、
ケーウさんに直してもらったストロボをひとつ着ける。
フイルムは10本。バッテリーはストロボの予備分だけにする。
予定通り昼1時に出発。
バスターミナルまで歩くにはこの荷物では重すぎる。
タクシーに乗るだろうと思ったら藤川さんは
一人で横すわりでバイクタクシーに乗った。
見るからに安定の悪い乗り方だった。
そんな危険な真似は出来ないから私は軽四タクシーを待った。
ターミナルに13時20分に着き
13時30分発のエアコンツアーバスに乗った。
バンコクのサイタイマイに15時30分に着き、
エアコン7番バスでファランポーン駅へ向かう。
荷物が多いから市内バスに乗るのは恐縮した。
多少の渋滞は予想したがファランポーン駅には17時10分に着いた。
藤川さんは「なんや、3時間もあるやないかぃ」と怒る。
列車の発車時刻は20時30分。
自分で指示しておいて俺のせいにするな!
延々何もしないで発車時刻を待ったが、またそれも楽しかった。
タイ国内では朝の8時と夕方の6時に国歌吹奏が流れる。
街行く人々は立ち止まって国旗に注目する。
テレビでもその時間になると
ボクシングのラウンド中であっても中継を中断して
国旗の映像が流れる。
これで何年か前、
大橋秀行(ヨネクラ)がナパ・キャットワンチャイからダウンを
奪ったシーンが観られなかった。
本当に腹が立った。
タイ人も残念がった。
しかし怒ってはいなかった。
生活の中に密着した国家行事は娯楽より
優先されるのは当たり前のようだった。
18時にファランポーン駅でも駅員もお客さんも起立した。
僧侶は立つべきなのだろうか。
国家と比丘、どちらが上なのでしょう。
やっぱり国家ですかな?。
迷った上、私はベンチに座ったままでいた。
ちょっと出歩いていた藤川さんは
やっぱりわからなくて、ひたすら歩いていたと言う。
困ったな。
また同じ事に出くわすかもしれない。
調べておかないといけないと思った。
(比丘は立たなくて良い。
国王や大臣に対してもワイもしなくてよい。
仏門においては仏陀や長老に対し敬意を表さなければならない、
そうである。)
列車がホームに入線してから
ミルクを四つとポラリス(ミネラルウォーター)の
小さいのを二つ買った。
水分取りたくても飲めないと辛いから早目の処置だった。
発車後、外を眺めていると空港近くを通った。
昔いたチャイバダンジムの近くだった。
タイに初めて来た1986年頃はここが拠点だった。
駄菓子屋の女の子もまだ居るだろう。
「こんな姿で今現われたらみんな驚くだろうなあ」と
思いながらいると早くも係員がベッド作りに回ってきた。
寝台車で二段式ベッドである。
作られたベッドの下の段で藤川さんは
またタイ経済のことや寺でのことやちょっと脱線した話しもしてくれた。
珍しく落ち着いて聞けた話だった。
21時過ぎてそれぞれベッドに入った。
私が上の段に上がった。
黄衣をまとったまま寝るのはちょっと寝苦しかった。
いつも寺ではサパイの上からタオルケット掛けるが、
明日どうやってまとえばいいのか、
やり難いからこの形のままで寝るしかなかった。
この二段ベッドで下の人がオナラをすると辛いのは上の人である。
6年前、友達に誘われてマレーシア行った際に
私が下でオナラしたら上に居た友達が次の日怒っていた。
この寝台はカップルで旅するには楽しい旅になるだろう。
しかしひとつのベッドで二人寝るのは無理である。
とてもエッチ出来る広さは無い。
足が外に出る。
やった人はいるかもしれないが。
※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い
>第2回・得度の決意
>第3回・修行に向けての準備
>第4回・人生最後の式典・得度式
>第5回・苦痛の日々
>第6回・バンコクへ初出勤
>第7回・慣れた頃