タイで三日坊主!
ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(後編)!
12月19日夜中に二度もトイレに行った。
一向に下痢はよくならない。
オナラが出来ない状態だ。
少しでも踏ん張れば水のような排便が襲って来るのだ。
少々でも楽になれば立って歩くことは出来る。
なるべくならビンタバーツは休みたくない。
4時に鐘が鳴り、朝の読経も参加した。
プラマート和尚はマイクを使って読経する。
響きはいいがマイク通すと声の悪さまで響いた。
お経の本は持って出て最初から眼で文字を追って読むのだが
途中でわからなくなる。
見失うともう追えなかった。
朝の経文は
「ヨーソーパカワーアラハンサンマーサンプットー」
から始まる。
ここに居る間に読める限り本の経文を追って感覚をつかみたかった。
やっぱり朝、夕の読経は必要だと思う。
読経の務めとビンタバーツの三点セットで
寺の生活リズムが成り立って行くと思う。
読経の為に4時には起き、
ビンターバーツで食事を得てどこかに出掛けても
夕方の読経の務めに参加しようと思えば遠出はしなくなる。
常に僧としての務めの時間を意識するようになる。
朝の読経の務めの為に早く寝ようとする。
この生活リズムは僧生活をだらけさせないし健康的な環境である。
まあ私は俗人に戻ったら夜更かしする生活に戻るのだろうが。
朝、藤川さんとネイトさんは黄衣グッズを買いに行かれた。
サムローですぐ行って戻り、
私が洗濯している間にもう部屋にいた。
買ってきた黄衣は茶色だった。
ネイトさんも早くもジジィに洗脳されてしまったか。
あるいは藤川さんに「茶色にせえや!」と言われたら
逆らえなかったかもしれないが。
ジジィは悪役だから茶色は似合うが、
白人のネイトさんは黄金色が似合うと思う。
朝は暇だと我々三人で世間話しになる。
藤川さんの京都や大阪での見て来た体験談も面白かった。
「吉本(花月)は朝10時から新人漫才が始まって
一日三回同じ事やる訳や、
地元の朝から酒飲んで遊んどるおっさんらは
朝から漫才見とって、もうネタ憶えてしもうて
新人漫才の女の子が言う前に
おっさんがネタを先に言うてしもうて
『ほら姉ちゃんそれからどうしたぁ!』とメチャクチャ野次るから
女の子は泣きながら漫才やっとる。
漫才よりおっさんのネタばらしの方が
オモロイから客も笑ろうとる。
春やすこけいこなんかも、
ああやってもまれて一人前なったんやろうなあ。」と言う。
修行の身の人達はみんな辛いのだと思う。
「ネイトさんの得度式は正式に24日に決定した」とプラマート和尚から言われた。
私は一人残って得度式を撮ってあげたいなと思った。
「帰るの延期したいな」と言うとネイトさんは
「いいですね。そうしてください」と言われる。
タムケーウ寺に居るよりはこちらのほうが充実すると思ったし、
列車代も250バーツぐらいだし。
藤川さんに相談すると
「お前だけ残るのはダメや。
タムケーウ寺の和尚から見ればお前は子供で
保護者のワシがお前を置いて行く訳にはいかん」と言うことで
藤川さんも残り、
ネイトさんの得度式が終る24日までの延期は決定した。
「しかしジジィめ、俺の保護者を意識するなら
黄衣のまとい方とか(教えるの一回だけ)
寺での過ごし方とか教えないで無視しやがって、
都合のいい時だけ保護者面か!」と本能的に何となく頭を過ぎった。
午後は藤川さんに
「ミーチャイトゥン寺の和尚さんに挨拶に行って来い」と言われた。
「タイ人とは言え、寺を替わられたら気を悪くしとるやろ」と。
河沿いの寺に来たのも正当な理由もあることだし行って来ようと思った。
「しかし何で俺だけが行くのか」と思ったが、
ジジィに下手なタイ語で喋って欲しくないと思い一人で行った。
しかし行って見ると和尚さんは留守。
寺に居た比丘達にだけまた和気藹々と訳を話して来た。
このノンカイには私が借金して来た、
横浜に住むタイ人の実家がある。
河沿いに東にどのぐらいあるのだろうか。
ブンカーンという街である。
近くはないことはわかったので行かなかったが、
サムローで行ける範囲であれば行ってあげたかったと思う。
夕方の読経は僧学校の授業が長引いているから7時からになった。
夜はネイトさんにポラリスやらミルクやら買い物をやたらお願いした。
いつものことながら僧が買い物はやり難い。
もちろんお金は渡しました。
12月20日
朝4時の読経はプラマート和尚と
この本堂で寝起きしているおじさん比丘と藤川さんと私の四人のみ。
(ネイトさんは外で座る)
いつものように読経中に少しづつ増えてきた。
いつもだが読経が終ると和尚さんによる出欠を取られた。
名前を呼ぶ毎にネーンの「マーカップ!(来ました)」という返事が聞こえる。
しかし出席率は低い。
そしてプラマート和尚は終ってから説教をされた。
何を言ったかはわからない。
ところどころに「ジープン(日本)」と言う言葉が出ることからして
「よそから来た日本人が出席しているのにお前ら遅れるんじゃねえ。
しっかりしろ!」といったところか。
プラマート和尚の眼が怒っていた。
こういったところはやはり寺の品位・格式たるものを
格好良く見せたいのかもしれない。
しかし藤川さんも私とネイトさんに苦言を言われた。
「朝、お釈迦様の前に行く時は顔洗ってから行けよ」
というもの。
単なる仏像だが仏陀に対する気持ちが大切なのはわかる。
単に本を棒読みしに行っているのでもない。
朝、顔は洗いましょう。

↑プラマート和尚。やさしい、物分りのいい方です。
朝食前にプラマート和尚がタムケーウ寺に電話して
いきなり私に話させるので慌てた。
言葉が出て来ない。
名前言うのが精一杯。
そして謝るのみ。
電話するなら前もって言って欲しかった。
ちゃんとセリフ覚えるのに。
プラマート和尚が伝えてくれたが自分で言わなきゃならんと思った。
これは単に私のタイ語能力が足りないだけだ。
が、対話度胸もそうかもしれない。
言葉知らなくても勢いで話せるものである。
私とタイに来ていたキックボクサー達も
私よりタイ語を話せないのにタイ人と仲良くなっている奴は多い。
藤川さんだってメチャクチャな発音で
人と話しているのが不思議である。
8時からネイトさんに着いて来てもらってノンカイ駅に行って来た。
チケットの変更である。
今日、帰り予定のバンコク行きを
24日に変更を申し出た。
駅の事務員らしき女性が見てくれた。
変更は可能だが手数料50バーツ、
そして二人の席は離れること。
二人とも寝台は上であること。
まあそれらはしょうがないこと。
その条件で変更してもらった。
あと4日間ノンカイに居られる。
体調も良くないし、まだここでゆっくりしたいしホッとした。
9時頃、戻ると寺でお祭りのような式典がある様子。
藤川さんが「こっちでしか見れん面白いことやっとるぞ」と言う。
おばちゃん達が集まって何かこしらえている。
カティン祭に似たような騒ぎだ。
そして浅草寺や巣鴨のとげぬき地蔵のような、
線香の煙を頭に当てるような仕草が見られた。
毎年ではないがみんなの健康を祈って、
またこの寺の発展を願う儀式があるということだった。
比丘の読経も長く続き、プラマート和尚は私に
「写真撮れ」と指示された。
かなりザッバランな和尚さん。
戒律から完全に外れなければ
やりたいことは何でもやらせてくれそうな柔軟な思想がある人だった。
高僧も来られている中、読経中に立って歩くのはかなり失礼だったかもしれない。
けど僧の立場を忘れ、カメラマンに集中した。
昼食もかなりの量だった。
果物と生菓子もあり贅沢な限り。
比丘の食事後、ネイトさんにも堪能させた。
食後、部屋に戻らず、河岸に行った。
河の上の本堂で寝起きするおじさんと話をした。
比丘になってまだ二年だという。
そしてこの土地には六十五年住んでいるそうである。
以前はトラック運転手やっていたと言う。
この人にはこの人の人生が
このノンカイで生きて来られたんだなあと何となく感慨深い思いがした。
<<ミーチャイター寺のお祭り>>

↑左:信者さんに聖水を撒く、ミーチャイター寺の和尚さん。
右:比丘やサーマネンが集まり参列した。

↑左:信者さんが作ったクリスマスツリー・・・ではないが、何だろう?。
右:本堂でくらす65歳の比丘。
遠くから来た比丘はサムローに乗って帰ります。
午後は藤川さんもネイトさんも別行動。
夕方にネイトさんが街で「読売新聞みかけました。」と言う。
藤川さんはすぐ「買うて来てぇ」100バーツ出して頼んでいた。
私は「後で見せてくださいね。」と言うと
ジジィは「イヤッ!」と言う。
「じゃあ拾って読もう。」と言うと
ジジィは「燃やす!」と言う。
全く、意地悪ジジィめ、ネイトさんと笑っていた冗談ですが、
いつもこんな和気藹々とした日常が欲しかった。
「しかし読売新聞があるということは日本人が居るということだろう。
どういう人が住んでいるのかな」とジジィは言う。
確かにそうだと思った。

写真はミーチャイ地区の市場
夕方の読経の後、本堂のおじさんに手招きされ
我々三人に暖かいミロを御馳走してくださった。
これもニーモンである。
何かとミロを飲む機会の多い日々である。
こういう僧を囲み合う会は心休まるものだ。
今日も早めの8時30分過ぎに寝た。
※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!
<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い
>第2回・得度の決意
>第3回・修行に向けての準備
>第4回・人生最後の式典・得度式
>第5回・苦痛の日々
>第7回・慣れた頃
>第8回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(前編)