タイで三日坊主!
ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(後編)!12月17日夜中に目を覚ました。
昨日からお腹の調子を悪くしたと思ったが、風邪なのか寒気がして熱が出る始末。
休めば落ち着くかと思った考えは甘かった。
これはやばいぞと思ってバファリン二錠を
置いてたポラリスで飲むが足りない。
もうひとつ準備してあったミルクを一本飲んだ。
トイレ行って小便してまた寝た。
朝方4時過ぎ、藤川さんはもう蚊帳を片付けて旅立つ準備をしていた。
私は4時50分まで寝て、起きてみると
藤川さんは御堂で座禅組んでいた。私
は一応熱は下がっていた。
夜中にはビンタバーツは無理かと思っていたが大丈夫そう。
ビンタバーツ出発時間になってギリギリに
ネイトさんがバイクでやって来た。
ビッグミニ渡し、フイルム一本撮りきるように指示した。
ネイトさんは結構前から後ろから撮っていたが、
広角レンズなのに距離が遠い。
接近して欲しいが気持ちが伝わらなかった。

知り合って三日でカメラマンでもない人に
強く命令するわけにもいかないが
「もっと接近して!」と大きな声出してしまった。
ビンタバーツ中に不謹慎だなとは思っ
たものの、自分を撮ってもらえるチャンスは
もうわずかしかないのだ。
けど撮って頂いカットは貴重な物となった。
朝食前、ネイトさんと話していたら和尚さんが
ネーンに私を呼びに来させたらしく、
後で藤川さんに怒られた。
↑托鉢中の私。
まとい方がみっともない(Photo
by
ネイトさん)
読経の最中に座ることになったからこれはまずかった。
朝食はあまり食欲がなくバファリンまた一粒飲んで寝た。
熱が上がってしまったようだ。
昼食も食欲なく、それでも少しでも食べておいた。
バファリンも飲んだ。
昼過ぎにはラオスを後にしてタイに戻らなければならない。
出発ギリギリまで体を休めるしかなかった。
それでも出発前には部屋を掃除して周りを片付けた。
藤川さんはシーツを洗濯していたようだったが
私はそこまで気がつかず、
またやる余裕はなかった。
これは寺のみんなに対し申し訳なかった。
和尚さんは用が出来て留守になってしまったが
寺に残っていたおじいさん比丘や英語マン、
他の比丘やネーンやデックワットに挨拶して
ネイトさんの友達が呼んでくれたタクシーに乗った。
元気に別れたかったが弱々しい挨拶になってしまった。
本当に思い出に残る人達だった。
距離は近くとも国境を越えてしまえば頻繁に逢うことは出来ない。
地元の人達は行き来自由でも
我々にその権利がないのはもどかしいものだ。
タクシーで橋のイミグレーションまで行き、
出国手続きをしてまた専用通行バスで国境の橋を越えた。
あと入国手続きをしてタイへ入った。
帰りはネイトさんも一緒にタイに渡ったので心強かった。
タイ領土に戻るとタイ文字の標識や看板が眼に入った。
もう自分の国に帰ったかのように安心した。
もうここからペッブリー県のタムケーウ寺、
そしてバンコク、そして成田空港まで繋がっていて、
後は練馬のお祖母ちゃんのアパートまで歩いてでも帰れるかのような、
錯覚ながら安心感が沸いてくるのだった。
サムローで河岸のミーチャイター寺まで50バーツ。
オカマちゃん和尚の寺に着いた。
和尚のプラマートさんは留守で石橋正次に似たちょっと怖い顔の比丘が
「今日はここに居てくれ」とクティの入り口に近い部屋に案内された。
倉庫とも言える汚い部屋だったが泊まるには充分な室内だった。
藤川さんはこの正次比丘(ここではそう呼ぶことにする)に
剃髪をお願いした。
するとすぐ準備してやってくれた。
なんとここではバリカンだった。
きれいに剃ったように刈られた。
しかし若干は残る。
指の感触でやや長いと感じた。
藤川さんの後、私をやってもらい水浴びをした。
私は体の調子が悪かったから水浴びしたくなかったが、
毛だらけだから浴びなきゃきれいにならない。
サッと浴びたが寒かった。
熱あり下痢あり、藤川さんは
「ここの坊主に薬局連れて行ってもらえ」と言うが
立って歩く気が起きない。
正次比丘に頼んで解熱剤をもらった。
この倉庫のような部屋はネーンの部屋でもあるようだった。
学校帰りのネーンは我々外国人が三人も居るので慌てた様子。
狭い部屋だからネーンのほうが遠慮して他の部屋に行ってしまった。
夜8時頃にはもう寝かせてもらった。

↑我々は正面入って左側にいました(還俗後の写真)
12月18日4時に藤川さんが起きて
ネイトさんを連れて本堂へ読経に行った。
この寺では朝4時と夕方6時30分に読経がある。
私はこの寺に入っての最初の読経は行きたかったが、
体調が思わしくない。
回復には至らなかった。
無理せず藤川さんらが戻って来るまで更に眠った。
5時前に藤川さんらが戻って来ると私も起き上がり、
ビンタバーツに出る準備をした。
6時回ってミーチャイトゥン寺から来る列に加わった。
ほんの数日前ながら懐かしい顔が見えた。
今は河沿い側の寺に居るのが何か気まずい思いがした。
しかしそんなことお構いもなく我々を列に入れてくれる。
年配者は前の方に入れられ以前と同じく私は前から五番目だ。
Uターンした後は雑談しながら戻ってくる途中、
ザックバランな会話をしながら歩いていた。
どっちの寺に居ようと気にすることではないようだ。
これがタイ人の"マイペンライ"である。

↑ノンカイ・ミーチャイ地区を托鉢する2つの寺の縦列(還俗後の写真)
左:先頭はミーチャイトゥン寺野和尚さん、
2番目はミーチャイター寺のプラマート和尚
朝食は食欲はあまりないが少しでも腹に詰めようと頑張って食べた。
更に果物はまだ食欲が沸いて喰えた。
そして正露丸を三粒飲んだ。
後はネイトさんを食事に呼んであげた。
初顔として一人では食べ難いかと思って一緒に居てあげた。
朝は体を休めながら三人で部屋に居て話してた。
昼食も同様な腹具合。
下痢は治らない。
何度かトイレに駆け込む。
寺から離れられない状態だ。
昼過ぎには寺の敷地内の河岸の
土手の上の涼み台に座ってメコン河を眺めた。
この眺めは初めて見た時から気に入った風景だった。
心休まる思いがする。
毎日眺めても飽きないと思う。
夕方6時30分の読経に間に合うように
トイレに行ったり黄衣をロットライにまとい直したりして本堂に入った。
仏像を前に二十センチほどの高さの台座があり、
十人ぐらいが座れるほどのスペース。
鐘が鳴らされプラマート和尚はまだ戻られていないので、
副住職が読経の先導役となられた。
私は台座の下に座っていた。
読経の途中、気が付いた藤川さんは
私に手招きして台座に上がるよう促す。
場所がある限り、比丘は台座の上、
ネーンと俗人は台座の下のようだった。
途中爪先立ちの正座になるところがあった。
これが長いと足が痛くなって辛かった。
始まった頃は五〜六人しか居なかったが、
読経の途中から少しづつ比丘やネーンが集まり出す。
終わりの頃はかなり居た。三十分ぐらいで終ると急に緊張が解れ、
みんな帰って行く。
また外でネイトさんと話しているとネーンがいっぱい寄って来て
ネイトさんになついていた。
私には寄って来ない。
言葉が話せるかより人懐っこいかであろう。
ネイトさんは子供とも遊べるいいお兄さんだ。
夜遅くなってプラマート和尚が帰って来られた。
我々三人が二階の和尚さんの部屋に上がらせてもらって三拝し、
我々の滞在願いとネイトさんの得度のお願いをした。
すんなり承諾してくださり、
24日に得度式をやることは寺の都合次第でほぼ確定した。
何か運のいいネイトさんが羨ましく思えた。
この寺で得度出来るなら幸せ者だと思う。
私もこの寺に移りたいと思うぐらいだ。
比丘やサーマネーンの品格はいいし、
プラマート和尚も優しく物分かりがいいし、
メコン河が眺められる環境にはもうこの寺に惚れてしまっていた。
決してオカマちゃん和尚に惚れたのではない。

↑左:サーマネーン(少年僧)に囲まれるネイトさん。人気者である。
右:信者さんたちに加わってカーオニャオ(もち米)とソムタム(パパイヤ)を
食べるネイトさん。なれたものである。
※チーオン(衣)の着方ならこのサイト。
おなじみ、日本納骨堂の中原さんのサイトに
クルクル着付け教室があるので、それを参考にやって見ましょう!

<バックナンバー>
>第1回・藤川さんとの出逢い
>第2回・得度の決意
>第3回・修行に向けての準備
>第4回・人生最後の式典・得度式
>第5回・苦痛の日々
>第6回・バンコクへ初出勤
>第7回・慣れた頃
>第8回・ビザ取得へ緊張のラオスへの旅(前編)