鬼ってどういう存在なんだろ〜。
小さい頃から昔話とかでもたくさん見てきた鬼。
鬼は怖いものというよりも、とても身近な存在な気がします。
人智を超えた力を持つ存在として時には神のようにあがめられ、
そして時には征伐され、また民衆を助けたりもした鬼。
深い山の中で、酒盛りをし、歌い、踊る鬼達のイメージ。
「○○の鬼」と人を形容する時、例えば「ゴルフの鬼」などと呼ぶ時、
そこにはなんともいえない愛嬌もあるなぁ。
旅先でいくつか鬼達の話に出会った。
@ 自然界の脅威としての鬼
A 山の民、産鉄の民としての鬼
B 朝廷の抵抗勢力としての鬼
@ 自然界の脅威としての鬼
高千穂の鬼八伝説
鬼八は高千穂の二上山に住んでいた鬼で、
神武天皇の兄、三毛入野命(ミケヌ)に退治された鬼。
ミケヌは里に降りては悪事を繰り返す鬼八の討伐を決意し四十四人の家来を率いて退治した。
でも鬼八はそんなにやわじゃなかった。何度も何度も蘇った。
そこで、ついに亡骸は三つに切り分けられて別々に埋葬された。
今でも高千穂には、首塚、手足塚、胴塚がある。
僕は高千穂神社近くにある首塚を参拝することが出来た。
三つに切られた鬼八は、さらにその後も祟り、早霜を降らせ農家に多大な被害があった。
そして、今でも行われる慰霊祭が始まった。昔、この慰霊祭は処女を人身御供として捧げたが、
時を経てイノシシを代用することになり今にいたる。
新しい勢力(大和朝廷の前身)に退治される存在ということ。
それでも、何度も何度も蘇り自然現象としての祟りをなす:冬、夜、寒、霜、飢え、死。
そして、そういった脅威は人身御供(生贄)によって鎮魂される。
この伝説には、鬼という存在の様々な面が表現されている。
でも、自然の脅威を祭るとても縄文的で、最も古いタイプの鬼伝説になるんじゃないかな。
鎮魂された鬼は「聖」となる。
A 山の民、産鉄の民としての鬼
天河神社の前鬼・後鬼
彼等は、修験道の創始者役小角に仕えたといわれる鬼。
禰宜の方に聞いた話によると、今でも天河神社では
節分の日の前日二人の鬼が帰ってくるのを迎えるために寝床を二つ用意して待ち、
当日には「福は内、鬼は内」と鬼を呼ぶのだという。
「鬼は内」と鬼を招く風習は鬼を祭る神社や鬼と名の付く地方にあるのだという。
弘前の鬼神社、埼玉の鬼鎮神社、つくば市の鬼ヶ窪地区など。
また、この天川村には昔から驚異的な力持ち達が住んでいた場所だと伝えられているとも聞いた。
役小角のお供となった鬼は、この山奥に昔から住んでいた、異形の山の民なのかも知れない。
そして、力が以上に強いというだけでなく、山の民ならではの技術(鉱山の発見と鉄作り*)
または自然界と交流する呪術も持っていたのだと思う。
そういった力を修験道として最初に昇華させていったのが役小角という天才なんだろうか。
役小角はもともと陰陽師の家系に生まれていることも知られている。
陰陽道と山岳宗教の融合。その伝統は受け継がれ、弘法大師空海はさらに修験道を密教とも融合し、
さらなる高みへを持ち上げていった。今でも日本という国は「鬼の呪術」の壮大な仕掛けの中にあるのかもしれない。
*宮崎駿の「もののけ姫」の中にも出てきたように、古代の製鉄法は「蹈鞴製鉄(タタラセイテツ)」
と呼ばれ片足でタタラを踏んで風を起こし、その風を使ったという。
そのタタラを踏んで鉄を作る人々は、年を取ると片方の足が利かなくなり、
また鉄の加減を見るために溶鉱炉を覗くうちに片目が見えなくなったり、
灼熱に顔が焼けただれることもあったという。
里のものから見たら、その姿は異形のもの、鬼と見えたのかもしれない。
実際に刀を作ったり、鉄による土木工事をしたりする存在としての鬼は日本全国に散らばっているらしい。
岩手県弘前に伝わる長者の娘をめとろうとした鬼の話:
長者は一晩で10本の刀を作ってきたら娘をやってもよいと鬼に難題をだした。
鬼は徹夜でも9本しかつくれなかったので、長者は鬼を攻め、鬼は山に逃げ帰ったという。
長者の住んでいた場所を「十腰無い」そして「十腰内」と呼ぶようになったとのこと。
B 朝廷の抵抗勢力としての鬼
戸隠の鬼女紅葉伝説
能や謡曲、歌舞伎や浄瑠璃の「紅葉狩り」に描かれる伝説。
土地によって伝説は微妙に違っているらしいけど、
あらすじは下記:
平安時代中期の会津の地に「呉葉」という女の子が産まれ、呉葉は美しく才知あふれる女性に成長した。
やがて「紅葉」と名を変え上京し、源経基(つねもと)に見初められ、寵愛を受けることになる。
そして子をもうけるが、経基の正妻に妖術を使って病にしたことがばれ、
その罪により今の戸隠近くの水無瀬の里に流された。
紅葉は水無瀬の里で、京都のいろいろな話を教えたり、妖術によって病を治すなどし、
村人達に慕われた。しかし、その間にも紅葉の京の都への思いはつのり、
都へ移り住む資金を集めるため、山に入り盗賊集団のようなものを形成するようになった。
今でも拠点となったといわれる場所が「紅葉の岩屋」として残っている。
その事は都に伝わり、朝廷は平維茂(これもち)」を討伐に向かわせた。
山深いこの地で、維茂は大苦戦を強いられるが、ついに紅葉を追い詰め、「龍虎が原」で鬼の姿を表した紅葉を討伐した。
そして、水無瀬の里は、「鬼無里」と呼ばれるようになり今にいたる。
鬼無里では、紅葉は貴女として慕われている。本当に紅葉のしたことは悪事だったのか。
鬼無里村。鬼が去ったのか貴が去ったのか。
征服者や為政者にとって悪である鬼は、民衆にとっては愛すべき存在であることもある。
ちょうど戸隠にいる時に、テレビで西部劇が流れているのを見た。
ネイティブ・アメリカンが極悪非道な民族に描かれている。
これは侵略を受けた際に抵抗した日本の先住民族が、
鬼として恐れられ伝説や昔話となっているのと同じことだろうと思った。
この場合の鬼とは、弾圧され征服された土着の民族や、
山に住むしかなかった異形の民や移民達のことだと思う。
人智を超えた力を持ち、国
を治める者達と相容れなかった民族が確かにいた。
山の奥に・・・・。
ふきすさぶ やまとのくにの あれのには
なわめもようの おにがでるらし


囲む人々「一話一言」
|
| ユージ「DEEP ROOTS」 |
アメリカン・インディアンやアボリジニーなどの民族が守ってきた
シンプルで深い、自然に立ち向かう知恵と畏れ、
大地への尽きない感謝の心が世界的に見直されています。
そこにあるのは人類がこの地球に誕生した時に感じた原初の感情。
カタチの無い世界の遺産だと言えると思います。
そしてその遺産は彼らに求めなくても
本当は自分達が住んでいる場所にかつて息づいていたこと、
今もただ思い出してもらうために地球上の各地に
息を潜めていることも確かに言えると思います。
日本で生まれ育ち、
そして土に帰っていった幾代もの祖先が
大切にし残していったもの。文字にはせずに、
僕等子孫に伝えようとしたメッセージは確かにあります。
太陽を神と仰ぎ、
星の下で語らい、
月のリズムに暮らし、
海・大地を母と慕う。
そして
聖なる木・石を祭りながら、
火、風、水を友として生活した。
その生き生きとした残像は確かに残っています。
神道と仏教の深層に今でも隆々と流れ続ける太古の日本人の思いと共に、
世界中でキラキラと輝きだした魂達と
全く新しい交流をしていく時代が 来ているような気がします。
それでは、僕達の旅の話を聞いてください。
そして皆さんの旅の話を聞かせてください。