囲む人々「一話一言」
|
| ユージ「DEEP ROOTS」 |
Deep Roots はじめに
アメリカン・インディアンやアボリジニーなどの民族が守ってきた
シンプルで深い、自然に立ち向かう知恵と畏れ、
大地への尽きない感謝の心が世界的に見直されています。
そこにあるのは人類がこの地球に誕生した時に感じた原初の感情。
カタチの無い世界の遺産だと言えると思います。
そしてその遺産は彼らに求めなくても
本当は自分達が住んでいる場所にかつて息づいていたこと、
今もただ思い出してもらうために地球上の各地に
息を潜めていることも確かに言えると思います。
日本で生まれ育ち、
そして土に帰っていった幾代もの祖先が
大切にし残していったもの。文字にはせずに、
僕等子孫に伝えようとしたメッセージは確かにあります。
太陽を神と仰ぎ、
星の下で語らい、
月のリズムに暮らし、
海・大地を母と慕う。
そして
聖なる木・石を祭りながら、
火、風、水を友として生活した。
その生き生きとした残像は確かに残っています。
神道と仏教の深層に今でも隆々と流れ続ける太古の日本人の思いと共に、
世界中でキラキラと輝きだした魂達と
全く新しい交流をしていく時代が 来ているような気がします。
それでは、僕達の旅の話を聞いてください。
そして皆さんの旅の話を聞かせてください。
Deep Roots石
スペインの巡礼道「カミーノ」が古代ケルト民族の道、あるいはそれ以前からの聖地だったように、
四国遍路の道やお寺も古代の聖地に作られたと聞いたことがあった。
遍路道は島全体の外側をぐるりと回る。四国の内部には何があるんだろう。
ということで、徳島の四国道の内部に入ってみました。
あったのは、石祭る民の幻影。
何とか神社、とか書いてあってただ石を重ねただけだったり。
二つの小さい石が大事そうに卑弥呼の墓と呼ばれる場所に置いてあったり、
不思議なカタチの岩が古代の遺跡とされて残っていたり、
巨大な石が信仰の対象になっていたり。
石という人間から見れば半永久的に変わらないものを神聖視し、
神を降ろすひもろぎとして、または日常の暦として使う。
あの世とこの世の境、媒体として使うこと。
巨石信仰も日本の根っこにある。
そしてその根っこも世界中とつながっています。
大泉神社(徳島市) 八倉比売神社(徳島市)
大粟神社(神山町) 天禺岩頂上(神山町)
焼山寺近く(神山町) 神通の滝近く(神山町)
立岩神社(神山町) 立岩神社の巨石
四国遍路の11番寺焼山寺のある神山町は、卑弥呼、邪馬台国、天照の伝説の宝庫で
それに関わる遺跡や地名が点在していた。全国に散らばる卑弥呼伝説の一つではあるけれど、
四国遍路で歩いた時には全く気づかなかったし、話も聞かなかった。
遍路道から外れるような形でそういった仏教、神道以前のものが隠れているのが四国の奥深さだな、と思いました。
神山町は 卑弥呼伝説を抜きにしても古代の「石祭る民」の名残りを実際に見て感じることの出来る貴重な聖地とは言えると思います。
そういえば、四国遍路で歩いている時に焼山寺の由来を聞いたことがありました。
「昔々、ある木こりがいつものように山に入って仕事をし、一服しようと丸太に腰かけて休んでいると、
その丸太が急に動き出した。なんと、その丸太は大蛇だった。その大蛇を退治する為に山全体を焼いて殺したのが、
焼山寺の由来で、今でもその大蛇は奥の院に祀られている」と、そんなお話でした。
神山町という名、そして焼山寺という由緒あるお寺。
そして ここも、蛇が退治されて鎮魂の為に祭られる、という伝説がある。
四国遍路として仏教の道となる以前の四国の面影があるような気がします。
蛇の民、石を祭る民。
ひのみこは あまごいのもりの ゆめうつつ
かがやきのいしに つたうみことば
ちょっと小話:
この旅の途中で訪ねた大粟神社の安部宮司にはいろんなお話を伺いました。
覚えている安部宮司 の話:
日本の古い神社には、それぞれの地で使われていた文字、祝詞があった。
明治政府は神社令により日本国中の神社に国家神道への一本化を強制した。
それぞれの神社や村落に残っていた独自の祝詞や護符、文字、神印などは無くなり、
神に奏上する祝詞も、今日すべての神社で神職が奏上する、
「イザナギ、イザナミの神以下の八百万の神々」に申し上げるという形に統一され、
地方色あふれた神社や神様もすべて「古事記」、「日本書紀」の系譜どおりに編成された。
この大粟神社独自の祝詞や神楽もあったはずで、それを地元の古老の口伝えや古い文献から掘り起こし、
その上に新しいものを築いていきたい。
一見すると伝統や儀礼に縛られているような印象がある神道だけど、
基本的に決まった教義や経典が 無い神道にはかなりの自由度があるように感じます。
奈良にある天河神社もそういう場でした。
宮司さんの話をお聞きして、Deep Rootsをたどることの大切 さを再確認させて頂きました。
神山町も、卑弥呼がいた聖地、天照がいた聖地 としてよりも、
そういった場所で「今」何を感じ、考え、これから、ここから、どう動くかが大事なんだろうと思う。
Deep Rootsの上に新しいカタチをつけていくのは僕達の世代
です。
<<バックナンバー>>
>>第1回 「Deep Roots 火」
>>第2回 「Deep Roots 鬼」
>>第3回 「Deep Roots 祭」
>>第4回 「Deep Roots 蛇」
>>第5回 「Deep Roots 米」
>>第6回 「Deep Roots 道」