センレック赤血球の宇宙旅行 〜地球編〜

 

新連載はナゾのペンネーム「センレック赤血球」がかく、
大きなタイトルで些細なことを描きます。
ごぶさた!のセンレックです。


「第六号:焼肉思索

 



第4号で「焼肉の話で景気良く行きたい」と宣言したが、
読者は「バーカ」と思った に違いない。
なら証明してやる。ということで、今回は本当に焼肉の話だ。

最近いろんな店内で「ハード・バップ(ジャズの種類)率」高くないですか?
このあ いだ「牛角(庶民の味方、焼肉チェーン)」でブリブリと
ハンク・モブレイがトラン ペットを吹いていた時には驚いた。
あのガーリックと醤油のマリネ臭の立ち込める空間で、
そんなカッチョイイの聴きたいか?
だいたい焼肉屋に行くときの精神状態を考えていただきたい。
「喰らう」これだけだ。
キメ!たスーツもビニール袋に入れて、
紙の前掛けをするオトコマエや、
髪を束 ねてジョッキガブ飲みする美女が居るのだ。
そんなところで、ハードバップでは決し てない。

では何が考えられるか?
まず、焼肉気分を邪魔してはならない。
よって「クラシカル ・ミュージック(オペラも含む)」も省かれるだろう。
焼肉食いながら「透明感と重 圧感の混在する、
限りなくヒエラルキー的体現を試みた牧歌的情緒」などは邪魔なのだ。

ではロックか?
ウーム、焼肉はかなりロック的ではあるが、
しかし好きな焼肉を食ってる上にさらにロックまで好きだったりしたら
「人間失格」の烙印を押されているようで、
庶民はきっと落ち着かないだろう。
焼肉屋って所はできることなら人目を忍んで裏通りを入り、
世間からは隠れて密かに、
しかし貪欲に「オノレの食欲だけ」を満たす自我空間でなくてはならない。
そこでロックは、
「ヤギを血祭りにあげて、心臓 に鉄槌を打った後に
その活き血を皆で分け合って狂喜する儀式に参列した」みたいな
「積極性感」が重いのだ。

では、もちょっと軽い感じ?
ボサノバ?
赤面!違うよね!理屈抜きに!
つまり「ワールドミュージック」的なモノでは無いということだ。
「ようこそ焼肉・コパカバーナ」みたいな感性は、
刺身をチリで喰らうくらいにナンセンスである。
そういえば「刺身をチリ」で思い出した。
韓国人がそうする(韓国で食べると美味しい)のだが、
「焼肉」は韓国がルーツ!
では「韓国音楽」はどうだろうか?
韓国の演歌みたいなもの。
かなりいい線に来たように感じる。
が、しかしこれも落ち着かない。
「アイリッシュパブに入ってアイリッシュ・カントリー」とか、
「テックスメックス(テキサス、メキシコ料理)に入ってバンジョー・カントリー」
のような居心地の悪さ。
わかるかしら?
天国に行って「サティ」がBGMだったらもう一回死にたいくらいのわざとらしい感じ。
つまり、このわざとらしい「演出」を感じて、韓国音楽は

ダメだ。そもそも焼肉は完璧に日本化しているのだ。
そこで或る事に気が付く。
何も「音楽」というのは、楽譜に表せるモノのみとは限らない!ということだ。
「イルカの声」がCDで出ていたりするのだ。
「月の音」なんかは詩的で良さそうだが、月に音は無い。
自然環境から採取した音では無さそうだ。
エコロジーをチラつかせた偽善的な気持ちで牛を喰らいたくはないのだ。
せめて牛をぶっ殺して、それを喰らっている時くらいは、
正直に謙虚にいきたい。
では「牛の声」?
ウーム、ゲシュタポならシガーを吹かし残忍な笑みを浮かべながら焼肉を食うだろう。
しかし我々は日本人。俳句を生んだ知的な心の旅人だ。
で、究極的に行き着く知的情緒の彼岸とは、
ごく自然に、ナチュラルに、そう、すごく自然に素直に、、、
「ジュージュー」という焼肉を焼くサウンドがBGMだ!
これしか残っていない。
そう、女子トイレにある「ジャー」音姫と同じ雰囲気、
その空間で一番自然なサウンド。
これだと、例えお客さんが半分しか入ってなくても、
「お?繁盛してるねー。」って事になるし。。。と、思う。。。
アレ?自信ない。。。
何で自信ないん だろう?こんなにじっくり考えたのに。。。
「消去法」で選んだからかな?やっぱ消去法って問題あるのかしら?

次号は、「臨時号外」でお伝えした検査結果の報告だ。



<バックナンバー>
第一号 接触事故 


第二号 黄金魂(ゴールデン・ファンク)

第三号 プラチナム・プライドの葛藤

第四号 プールサイドの憂鬱

第五号 幾何学の虜