第三章 『北朝鮮 やじ馬見聞記』(その四)
万景台
平壌郊外の万景台には、金日成主席が幼少時代を過ごしたという生家や、新潟に入港するあの有名な船の名前として使われている万景峰の丘がある。
どちらにも修学旅行らしいお誂えの制服を着た多くの子供たちや、恐れおおくも、金将軍がお生まれになり幼少をすごされたご生家を見学させていただくために、地方の街から選ばれて出て来たと言わんばかりの、お上さん丸出しの年頃の娘さんや青年達が、これも『今日の日のために党からありがたくも頂戴いたしました。』と言わんばかりのピッカピッカの制服を着て見学に来ていて、まるで進軍の順番でも待って隊列を整え、自分たちの出番を待って緊張している兵隊達のようにグループ毎に整然と隊列を組み、隊長ならぬグループ毎のリーダの指示に従い、現場に配属されている民族衣装のチョマゴリを着た、作った笑顔のガイドの綺麗な姉ちゃんの説明をいとも真剣な顔つきで聞きいっていた。
万景台の生家には当時使われていた、農機具や古い写真などが陳列されていて、そのひとつひとつについて女性ガイドが説明してくれるのだが、俺は全く興味が湧かなかった。
どれもこれも、金さん神話を裏付けるために用意されているように思えて仕方がないのだ。
しまいには、金さんが近所の子供たちと相撲を取ったと言う、周りをフエンスで人が入れないように囲まれ綺麗に整地された砂場まで紹介され、俺は開いた口がふさがらないというか、馬鹿馬鹿しいというか、とにかく呆れてしまい『ついでに何故コレが金将軍が幼少の頃使われていた便所です』厠にも案内しないのだと、一人でブツブツぼやきながらも、『そうか、伝説とはこうして作り上げられるのか。これだって何年にもわたって、毎日毎日このようにモットもらしく多くの人に説明され、何年にも渡って伝えていかれれば、嘘でも何年か後には本当の話になって仕舞のだろうな。戦前の日本人が天皇を神として疑わず、日本神国伝説を信じ疑わずアジア諸国へ侵攻したように』と、妙な所で感心し教えられたような気がしてきたものだった。
俺はそもそも、金さんに限らず亡くなった人の残したものだとか、使っていたものとかいうのを、あまり信用していない。こういったものは亡くなったあとに無理やり作り出されるケースが多いと思っているからで、これに関して言えば、ブッダ伝説もその例外ではない。世界にはブッダの遺骨だとか、歯だとかとされるものがあちこちにあって、どれが本物なのか全くわからないのである。
実は俺も以前にミャンマーのある寺で、その寺の高僧から『ブッタの遺骨の一部です』と言われ、なんだかパチンコの玉を二回りほど小さくしたような大きさの骨らしきものを、綺麗なガラスの箱に納めた物を貰った事があるのだが(その高僧の部屋をチラリと覗き見したら、大きなガラスの瓶の中に、そのブッタの骨と称するものが一杯詰まったのが奉ってあった)、根っからそんなものを信じない俺でも、それを捨ててしまうのもなんとなく気が引けるので、丁重に頭侘袋に収めタイへ持って帰り、熱心な仏教徒と自他共に認めるご婦人に差し上げたら真面目な顔で喜ばれ、そのご婦人は今でも仏壇の真ん中にそのブッタの遺骨(実際には誰のだかは定かではないが)らしきものを奉り、毎朝センコ・ロウソク・花を捧げ拝んでおられるそうだ。
ブッタがお亡くなりになった後、100年位過ぎた頃からブッタを偲ぶ人たちの間でブッタの神格化が始まり、今日巷に伝わるブッタ伝説や逸話が作り上げられ“これはブッタがこの地にお立ちになった時に残された足跡です”とか、いかにも作り物だとすぐ分かる足跡が丁重に祭られていたり、“ここにはブッタの髪の毛が奉られていて、この髪の毛はブッタがこの地で瞑想を楽しんで居られるところを通りかかった隊商のリーダが、ブッタに食事の供養をしたときに頂いたもの”ですとか、ブッタがいかにも髪の毛を伸ばされておられたような話が真実(まこと)らしく伝わっているが、仏典の何処を探してもブッタが髪の毛を伸ばしておられたなどとは出てこない、ブッタは現在の我々比丘と同じように頭の毛は剃っておられたのだ、最も古い経典でブッタの生に近い声が収められていると言われている経集(スッタニパーター)にも、『バラモンであるスンダリカ・パーラドヴァージャは、遠からぬところで尊き師(ブッタ)が或る樹の根もとで頭に衣をまとって座っているのを見た。見終わってから、左手に供物のおさがりを持ち、右手で水瓶を持って師のおられるところに近づいた。そこで師はかれの足音を聞いて、頭の覆いを取り去った。そのときバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは「この方は頭を剃っておられる。この方は剃髪者である」と言った』と記されている。
だけど実際には何処の国の佛教遺跡や僧院を訪れても、私は今までに剃髪のブッタ像など見かけたことが無い。
私はミャンマーが好きで年に何回は訪れ、あちらコチラに奉られているバコダや僧院・遺跡などへ、お参りに行かせて頂いているのだが、いつもそこでの説明を聞いてヘキへキするのはこの点だ、どこのバコダへ行っても『ここのパコダにはブッタの遺骨が収めてあります』とか、『ここには昔ブッタがお越しになったおりに頂いた品がお奉りしてあります』とか、あのテーラヴァーダ仏教教義の本山を自認しているスリランカーでさえも、『この地にはブッタが生前三度お越しになり、大衆に説法された』とか聞かされ、またかの地の人はそれを信じて疑わないのを見ると、エエ加減にしてくれと笑い出したくなるのだ。
史実ではブッタはその生涯を北インドのほんの一部の地方を遍歴され、教えを説いて回られたのにすぎないのに。
俺は、俺たちと同じように両足で歩き、その身体の中には俺たちと同じ赤い血が流れ、時には托鉢で何も頂けなかった日は空腹にたえられ、風邪を引かれたり下痢に悩まされたりしながら、『寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と・・・これらのすべてのものにうち勝って』生涯にわたり、我々凡夫を苦しみから救うために仏法を説いて歩かれた、人間としてのブッタを心から尊敬しているし、『ブッタの説かれた法・仏法』には全面的に帰依しているし、そのブッタの説かれた法を伝え広めてこられたサンガ(僧団)に帰依し、俺も次代に仏法を伝えるのに一役買える比丘になりたいと願ってやまない。でも作り上げられた神格化されたブッタ、佛教には帰依できないし好きにもなれない。
万景台の生家を始め、北朝鮮の観光地には必ず女性ガイドがいて、最初から最後までずっと案内をしてくれる。女性ガイドは揃って綺麗なチマチョゴリを身に付け、能面のような表情で作り笑いをするのだが、綺麗は綺麗だ。金さんの自慢話はうんざりだが、この綺麗な顔を見られるだけでも、北朝鮮に来た価値はあるかも知れない。不機嫌そうな俺に対して懸命に説明を続ける女性ガイドを見ながら、俺はそんなことを考えていた。これって坊主の言うこととちゃうけどな、“ブッタお許しください!”。
『まことでないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことでないなと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(まこと)に達しない。
まことであるものを、まことであると知り、まことでないものを、まことでないと見なす人は、正しい思いにしたがって、ついに真実(まこと)に達する。』
ダンマダ 第一章 11・12
『屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養してないならば、情欲が心に侵入する。
屋根のよく葺いてある家には雨の洩れ入ることがないように、心をよく修養してあるならば、情欲の浸入することが無い。』 ダンマパダ 第一章 13・14
『実に欲望は色とりどりであり、心の楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。
欲望の対象にはこの患いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。
これは私にとって災害であり、腫物であり、病であり、矢であり、恐怖である。
諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ
独り歩め』 経集 第一章 50・51
『もし汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得たならば、あらゆる危険にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。
われは実に朋友を得る幸せを讃め称える。自分より勝れたあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。』 経集 第一章 45・47
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