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第三章 『北朝鮮 やじ馬見聞記』(その八) ヘルスセンター蒼光院 ヘルスセンター蒼光院は、床屋や美容室、大浴場や五〇メートルの温水プールなどを備えた健康サービス施設だ。 元々は北朝鮮側のスケジュールに入っていなかったのだが、俺が『大城山革命烈士陵など、戦争に関連する場所の見学には宗教上行くことができない』と断ったところ(正直に言うと、別に宗教上の問題があるわけで断わったのではなく、これ以上この種の場所へ行ってまで何かに付け『金将軍が・・・』だの『昔、日本帝国が・・・』だの聞きたくなかったので)『では、ここはどうか』と通訳が勧めてくれたのだった。 そろそろ旅も半ばとなり、最初は遠慮していた俺もいろいろと要望を出し始めていた。 『普通の庶民の家に行ってみたい。普通の庶民が買い物をする市場を見てみたい』 通訳は『ヘルスセンター蒼光院は普通の庶民が集まる場所です』と俺に説明して連れていったのだが、実際に集まっている人たちは『どこが庶民や』という感じで、駐車場には外車だらけ、その運転手付き外車と言っても、ベンツ等の欧車だけが高級外車という訳ではなく、トヨタや日産の乗用車も高級外車なのだが、取りあえずここに停まっていた車は北朝鮮のどこで見た車より磨かれピッカピッカに光っていた。 それやそうだよな、よく見ていると奥さんや子ども達がヘルスセンターに入っているあいだ中、運転手は車を磨いて奥さんたちが出てくるのを待っているのだもの。 俺が『あの車の持ち主は誰やどんな身分の人や』と通訳に聞くと 『あの車はみな会社の車です。だから私達の乗っている車のNOプレートと同じ色でしょう。』と通訳が答えたので 『じゃあの奥さん達は経営者の家族という事か』と重ねて聞くと『そうです』と答えるので『この国は社会主義国で日本のように私企業があるわけではないのだろう』と言うと 『一応はそうですが、私達の会社のように外人観光客を扱う会社や、外国と貿易する会社は、設立や営業が特別認められているのです』とよく判ったような、判らないような事を言うので『その辺をもっと突っ込んで説明してくれ』と言ったのだが、口の中でなにやらもぐもぐ言うだけで詳しい事は全然聞き出せなかった。 そう言えば後日談になるが平壌駅に行ったときに、ホームですれ違ったビジネスマン風の30過ぎの男と、通訳が懐かしそうに挨拶を交わすので『誰や同じ日本語通訳か』と聞くと『3年ほど前までは、私と同じ会社で働いていた仲間です。彼は会社を辞め、今は観光で平壌へ来られた時に知り合った日本人と組んで、日本へ紳士服を輸出して儲けています』と言った事がある。 ともかくその高級車から降りてくる奥さん連中や、子供たちは日本に住む俺の孫よりも良い服を着ていて、今すぐそのまま新宿や渋谷の繁華街へ連れて行き歩かせても、最新流行の先端を行くようなフワッションに身を包んだ、東京の女性にも引けを取らない服装だった。 俺はそんな特権階級が集まるような施設を見学してもしょうがないので、散髪でもしようかと思い、通訳に聞いてみた。 『男の理髪師はおるか?』 テーラワーダ仏教では、女性に触れてはならないと戒律で定められている。これは、よく日本で言われているように『女性は不浄だから』という事ではなく 『俺たち比丘は欲望をコントロールし、身による悪行を離れ、言葉による悪行からも離れ、生活をすっかり清め、この世で安らぎ達し、苦しみに満ち溢れたこの世に二度と生を受けない境地〔悟り〕を得るために、自らの意思で“尊師よ、私は輪廻輪転の苦から解脱するために出家を乞い求めます”と出家を乞い“私に比丘としての完全な戒をお授けください”と師に戒を乞い戒を守ることを誓って出家した』のだから、比丘で居るかぎりその戒めを守るのは当然の事だ。 では何故佛教では、修行者に女性との接触を厳しく禁じるのかということだが、佛教の修行者だけではなく、男がなにかを目指し一つの道に励む時に、一般的に挫折し目的を中途半端で投げ出す原因の一番は女性〔性の欲望〕では? 俺は女性が、性欲が悪いと言うのではない、ただ聖なる道を求めて家を出た比丘〔出家者〕にとって、最大の関門は女性であることは事実だ。 俺はこの13年の間に、何人もの比丘として素晴らしい男達が、女ができ志し半端で還俗していったのを見てきた。 つい先日も俺が最も信頼し、また師や比丘仲間にも比丘としての将来を期待され見込まれ、信者さんにも尊敬され信じられていた、出家15年目を前にした35歳の比丘〔二年前に信者に乞われ、生まれ故郷の寺で住職をしていた〕が、ある日突然、師にも、同僚比丘にも、母親〔彼は片親だった〕にも、何の相談もなしに突然寺から姿をくらまし、10日ばかり経ってから彼が親しかった同僚比丘に『チェンマイの始めて訪れた寺の和尚にお願いし一昨日に還俗した。今は女と一緒に住んで仕事を探している。もう比丘には戻る積もりは無いので師に話しして、新しい和尚を任命してもらってくれ』と電話が入り、その比丘から人伝いに母親がその話を聞き、驚き『チェンマイへ探しに行くのでお金を貸してくれ』と、彼の下で一ケ月ほど前に出家したばかりの弟子に泣きついて来た、という事が実際にあったばかりだ。 俺は彼とは大方6年ほど同じ寺で修行していたのだが、俺が逆立ちしても真似られないほど根っから優しい男で、寺の近くに住む子供達が寺へ遊びに来ると、まず彼に挨拶に行くほど子供達にも慕われていて、頭も良く難しいパーリ語のお経や戒律も全て暗記していたし、『昔と違ってこれからは、タイも多くの若者が高等教育を受けるようになるだろうから、比丘も彼らに負けないように勉強しなくては、彼らを導いていけなくなる。』と言って国立大学の通信教育で学んだり日本語を勉強したりしていた。 何年か前に俺の友人が日本から来て、寺で泊まって居た時に『お坊さんはこのまま一生比丘を続ける積もりですか?お坊さんは何を目指して修行されておられるのですか?』と聞くと『私は阿羅漢〔悟った人の呼び名〕を目指し修行を続けているのです』と答えていたのだが。 そんな誰から見ても、比丘としても一人の男としても非の打ちところが無かった男でも、女が出来た途端に15年間も続けてきた修行をあっさり捨て、自分の師にも親にも事情も話さず、挫折し還俗してしまうのです。俺は何も還俗し俗世間へ戻るのが悪いと言っているのではない。俗世間へ戻り社会人として、夫として、親として、出家中に学び経験したことを生かし、人間として立派に生きていけば良いのだから。 私の言いたいのは、これほどの男でも女には弱い、硬かった意思もあっさり崩れ去る。その危険から自を守るため、比丘は女性とは出来るだけ接触を避けると言うことだ。 現に先日も10代で紗弥出家し、もう出家暦が40年にもなる長老と呼ばれる比丘で、自分が信者さんから頂いたお布施で貧しい人を援助したり、困ったり悩んでいる人の相談には進んで乗り、地元では福徳和尚・人格者として知られていた、北部タイのある寺の和尚が、なにに迷われたか女性を僧坊に連れ込みSEXされたのが発覚し、サンガから強制還俗を命じられる、と言う事件があったばかりだ。 俺はあれほど好きで、16の歳から出家の前夜まで毎晩欠かさず飲んでいた酒は、出家したその日からあっさり止められたし、それ以後は飲みたいとも思わないし、最近では酒臭い人が傍に寄ってくるだけで、その匂いで胸がムカムカしてくるし、タバコも5年ほど前に風邪で高熱を出して寝込んだときに『何の益も無いタバコなど今日限り止めよう』と思った瞬間から、今日まで吸いたいとも思わないし、酒と一緒で傍でタバコを吸われると煙たいは、臭いはで大変だが、正直言ってSEXの欲望には時には手を焼きます。 SEXがしたくなるとかと言う事ではなく、ミニスカートを穿いた若い女性や、身にピッタリフイットした洋服を着た女性を見かけると、頭では『見てはいけない』と己を制御するのですが、ついつい眼が追いかけてしまうのです。 『男の理髪師がおれば、剃髪するのに…』という俺の言葉を聞いた通訳は、どこからか知らないが、男の理容師を探し出してきた。冗談で言った積もりだったが俺も後へは引けず、鏡の前に座らされ頭に石鹸を塗りたくられ、剃髪する羽目になって仕舞ったのだ。 久保田も『俺も頼みます。だけどあまり短く刈らないで下さいね!あーそれからバリカンを使っては駄目ですよ、ハサミでカットお願いします』とか散々注文をつけ鏡の前に座り散髪していた。 散髪が終わったあと、久保田が二人分のお金を払ってくれたのだが、一万円払って六十ユーロほどのおつりがきたそうだ、だけど1ユーロが日本円で幾らか全然知識の無い俺には、一体剃髪代金は幾らだったのかは全然分からなかった。 『たとい僅かであろうとも、男の女に対する欲望がたたれないあいだは、 その男は束縛されている。・・・・・乳を吸う子牛が母牛を恋い慕うように。』 ダンマパダ 第十章 284 『愛欲に駆り立てられた人々は、罠にかかった兎のようにばたばたする。 束縛の絆にしばられ執著になずみ、永いあいだくりかえし苦悩を受ける。 この世において極めて立ち難いこのうずく愛欲を断ったならば、 憂いはその人から消えうせる。・・・・・水の滴が蓮の葉から落ちるように。』 ウダーナヴァルガ 第三章 6・10 『欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もし欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。』 スッタニパーダ 第四章 767 |