第二章 北朝鮮の仏教事情(その一)
テーラヴァーダ仏教とは
北朝鮮の仏教について語る前に、俺の帰依するテーラヴァーダ仏教について少し触れておきたいと思う。
テーラヴァーダ仏教とは、上座部仏教ともいわれ、パーリ語(古代インドの言葉)で「テーラ(thera)」は「長老」、「ヴァーダ(vada)」は「教え」を意味することからもわかるように、ブッダの教えをそのまま後世に伝えている仏教だ。
およそ二五〇〇年前にインドで生まれた仏教は、様々な流派に分かれて世界に拡がっていったが、その流れは大きく、中央アジアから中国、朝鮮半島を経て日本に伝わった北伝の仏教(いわゆる大乗仏教)と、スリランカ、タイ、ミャンマーなどに継承されている南伝の仏教(テーラヴァーダ仏教)に分けられる。つまり俺は日本人でありながら、日本に伝わった仏教とは違う流派の僧侶なのである。
俺は元々宗教なんてものは信じていなかった。
京都に生まれた俺は、それこそ日本の仏教の中心を担う地域で育ったわけだが、否、だからこそ日本の仏教に対する嫌悪感が根付いてしまったとも言えるだろう。
そんな俺がなぜタイで出家したのか。そのあたりの細かい事情は「タイでオモロイ坊主になってもうた」に書かせてもらったが、一言で言えば「ブッダに惚れた」からだ。テーラヴァーダ仏教を学ぶことで、真の仏教とはブッダの教えそのものであり、亡くなったものに対する供養ではなく生きている人間に対する分かりやすい人生の手引書、哲学だと知った俺は、ブッダの弟子として生きていくことを決意した。
ブッダの教えを拡大解釈することなく、そのまま伝えているテーラヴァーダ仏教の戒律には矛盾も少なくないし、時代にそぐわないものも多い。
たとえば水溜まりに向かって大小便をしてはならぬ(今の時代どこへ行っても水洗便所<タイをはじめ東南アジアの国々では水洗と言っても、便器の横にある水貯槽から小さな柄杓のようなもので水をくみ上げ自分で流すだけだが>のため水の溜まっていない場所で用を足すのは不可能)、比丘は金銭を所持してはならぬ(今の時代比丘とは言え、遠出しようとすれば交通費も必要だし、体調を崩した時には医者へも行かねばならず、またなにしろ暑い国のことチョットした傷でも化膿する恐れがあるし、時には下痢もすることもあるので薬を買う必要もあるし、また我々外人比丘の場合はビザ更新に金銭が必要だし)
日本の大乗仏教でも“妻帯をしてはならない、酒を飲んではならないなど”の戒は決して無いわけではないのに、比丘(僧侶)が妻の事を台所を守る『大国さん』とか、酒の事を『般若(智慧)水』とか呼び拡大解釈し、妻帯したり飲酒するのを当然とするようになったときから,日本仏教が本来の仏教から外れだしたのでは?と俺は思っているのだが。
にも関わらず、タイやスリランカ・ミャンマー・カンボジヤ・ラオスなどの東南アジアの佛教国で、テーラヴァーダ仏教僧団(サンガ)がブッダの教えを忠実に守っているのは、古代からインドの人々は輪廻を信じており、その果てしなく永遠に繰り返される輪廻の輪から開放される事を最大の願いとして、いろいろの宗教を作り上げてきた、ブッタも『生・病・老・死』の永遠の繰り返しである“苦しみの輪”すなわち『輪廻の輪』を断ち切り“再びこの世に生を受けず、この生を最期の生とするため”に出家され、悟りを開かれブッタ(真理に目覚めた人)となられ、輪廻に苦しむ多くの人々のためにその解脱へ道を説かれたのが仏教の始まり(ブッタの教え・真理に目覚めた人の教え)でブッタと同じ解脱への道を求めて出家し、ブッタの下へ教えを請うって集まった修行者(比丘)の集団(サンガ)が、その教えに一切の自己の解釈を加えず、ブッタの教えを忠実に後世に伝えて来たのが上座部仏教(テーラヴァーダ仏教)で、我々上座部仏教の比丘はブッタと同じ解脱を求め出家したのだから、ブッタの教えとブッタの定められた戒を守るのは至極当然の事である。
阿羅漢とは、そのブッタと同じ(再びこの世に生を受けない、この生を最期の生とする境地)悟りの境地に至った修行者の呼称で、上座部仏教の出家式では、出家希望者は『阿羅漢に至るべき道を求めて修行する』事をブッタ像と先輩比丘(すなわち上座に座するもの)に誓い、比丘としてのサンガへの加入を請い出家するのです。
『この世でもろもろの愛執を捨てて、移りかわる生存に対する愛執を離れたならば、
その人はもはや輪廻しない。その人には愛執が存在しないからである』
ウダーナヴァルガ 第三章 十三
俺が、朝と昼しか食事を食べないのも、酒を飲まないのも、女性に触れないのも、すべてブッダに少しでも近づきたいからだ。
だが現実として寺から一歩外に出ると、戒律を固持していたら成り立たないことも多い。テーラワーダ仏教があまり知られていない日本のような国にいるときは尚更である。北朝鮮も然りで、この旅でも何度か戒律違反とならざるを得ないような状況に見舞われた。
(続く)
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