「オモロイ坊主の北朝鮮托鉢行」
〜北朝鮮に果たして真の仏教はあるのか?
      よど号犯人に一言物申す!〜


前書き第一章第ニ章(その一)第ニ章(そのニ)第ニ章(その三)第ニ章(その四)
第ニ章(その五)第ニ章(その六)第ニ章(その七)第ニ章(その八)第ニ章(最終章)
第三章(その一)第三章(その二)第三章(その三)第三章(その四)第三章(その五)


第二章 北朝鮮の仏教事情(その二)

 朝鮮半島における仏教の歴史

朝鮮半島に仏教が伝わったのは、三七二年、中国の秦王朝から高句麗に仏像と経文が贈られたことがはじまりとされている。その後、新羅が高句麗、百済を統一した時期に朝鮮の仏教は最盛期を迎え、日本にも大きな影響を与えたという。九一八年に成立した高麗王朝の時代にも仏教は国教として定められて更に発展し、現在世界文化遺産に指定されている高麗版八万大蔵経(韓国の海印寺に現在も保存されている)もこの時代に作られた。
だが、一三九二年に樹立された李王朝は儒教を国是として仏教を弾圧、その後の日本統治時代も含め、朝鮮の仏教は停滞を余儀なくされた。

 韓国には、仏教の三宝「仏法僧」にちなんだ、仏の寺「通度寺(トンドサ)」、法の寺「海印寺(ヘインサ)」、僧の寺「松広寺(ソングヮンサ)」があり、俺はこの三大名刹を訪ねて行ったことがある。その時の詳細は「オモロイ坊主のアジア托鉢行」に書かせてもらったが、その際お世話になった「松広寺」の和尚は日本語がペラペラだったので、その時に韓国の仏教の歴史について聞くことができた。
李氏朝鮮時代、弾圧から逃れるため僧侶たちは山の奥深くに逃げ込んだ。そのため現在でも韓国の仏教寺院は平地には少ない。李王朝は仏像の首を切り落としてさらし首のように扱い、終いには武器に作り変えたという。
 また日本統治時代に日本語を使うよう強制されたことはよく知られているが、仏教も日本様式が強要され、その一例として僧侶が妻を持つことが許された。戦後(解放後)は日本仏教の支配から自立し、出家主義、独身主義の曹渓宗が現在の韓国の主要な宗派となっている。
韓国では妻帯し街里のお寺に住んで、在家の人と変らぬ生活をおくって居られる僧を見かけたが、そんな寺は何故か檀家さんや信者さんも少なく、お寺へお参りに来られる人もまばらでお寺に活気を感じず、如何にも寂れたと言う感じだった。
『たとい僅かであろうとも、
男の女に対する欲望が断たれないあいだは、その男の心は束縛されている。
・・・・・乳を吸う子牛が母牛を恋い慕うように。
自己の愛執を断ち切れ、
・・・・・池の水の上に出て来た秋の蓮を手で断ち切るように、
静かなやすらぎに至る道を養え。
めでたく行きし人(仏)は安らぎをときたもうた。』
ダンマパダ 第二十章 二八四・二八五

 李氏王朝時代からの長い辛い時期を乗り越え、独自の仏教を復活させた韓国。一方の北朝鮮で、仏教はどうなっているのだろう。

北朝鮮二日目の日、俺は早速平壌市内にあるお寺を訪ねた。

平壌市内のお寺(申し訳ないが寺名を書き込んだメモを紛失したため、寺の名前は不明)  

最初に訪れた寺は平壌都内のほぼ中心に近い、冬になると営業を休止してしまうという遊園地に隣接する小さな寺で名前は忘れてしまった。一見遊園地の飾り物のようにも見える、おもちゃみたいな仏像が置かれた本堂に上がり、住職は外出しているとのことだったので、俺は簡略したパーリ語のお経を唱えた。

お経とは、ブッタが在世中に弟子や在家信者に説かれた教え(仏法・ダンマ)で、ブッタがお亡くなりになった後、その教えに誤った解釈が加えられたりして、正しい教えが後世に伝わらないのを恐れた、ブッタの直弟子である阿羅漢が500人一箇所に集まり(結集)、ブッタに25年間付き添った秘書役的存在のアーナンダ尊者を中心に、ブッタの生前の教えを記憶に基づき編集され、口伝によって師から弟子へと今日に伝えられてきた『今を現に生きる者の為の教え、この生をより良く生き抜くための教え』で死後世を説いたり、死者に捧げ唱えるお経は存在しない。

この中の一部は護経(パリッタ)と呼ばれ、タイ・スリランカ・ミャンマーなどの東南アジアの仏教徒に親しまれ、一般の人々にとってこれは現実の生活における幸福(吉祥)を願う、あるいは危難から“身を護る”お経として、在家の信者の請いに応じる形で比丘が日常的に唱えている。

この他に比丘が毎朝夕本堂で唱える経として、ブッタの在世中に弟子達がブッタに唱えたとされる礼拝の詩、仏教徒としての条件である三帰依の詩、仏の十徳を示す詩・法の六徳を示す詩・僧(サンガ)の九徳を示した詩や、慈しみの心の修習の詩・比丘としての四つ(衣・食・住・薬の受容)の観察の詩などがあり、朝鮮のお寺の本尊の前ではこのなかのタイで寺の本堂で本尊に毎朝・夕に唱えているのと同じ、礼拝の詩・三帰依の詩・仏の十徳、法の六徳、僧(サンガ)の九徳を示す詩を短く簡略した経を唱えた。

                                                                                  ★ 朝鮮のお寺で唱えたお経(礼拝経)★

ヨーソー パカワー アラハン サンマーサムプットー
サワーッカートー イエーナ パカワター タムモー
スパティパノー ヤッサ パカワトー サーワカサンコー
タンマヤン パカワタン サタムマン ササンカン
イメーヒ サッカレーヒ ヤターラハン アーローピテーヒアピプーチャヤーマ
サートウ ノー パンテー パカワー スチラパリニップトーピ
パッチャマーチャナターヌカムパマーナサー
イメー サッカレー トウカタパンナーカーラプーテー パティカンハートウ
アムハーカン ティーカラッタン ヒターヤ スカーヤ

アラハン サムマーサムプットー パカワー
ブッタン パカワンタン アピワーテーミ

サワーッカートー パカワター タンモー
タムマン ナマッサーミ
スパティパンノー パカワトー サーワカサンコー サンカン ナマーミ
ナモー タッサ パカワトー アラハトー サムマーサムプッタッサ(3回)


本堂を出ると通訳が、寺の管理人なる人物を連れてきて説明を始めた。

管理人の話によれば、この寺も過っては大伽藍を擁した大寺院だったそうで、それが朝鮮戦争のときにアメリカの爆撃ですべて破壊炎上してしまい、戦後金将軍の手で再建されたそうで、京都で古い歴史を経て来た、立派な有名寺院の大伽藍や仏像を見慣れた私の目には、太秦の東映撮影村の映画セットよりチャチな本堂と仏像だった。
管理人によると北朝鮮には個人のお墓も仏壇も一般的にはないのだという。
遺体を焼いた後の遺骨は持って帰る人もいれば、その場へ捨てて行く人もおり、その遺骨はごく一部の金持ちだけが持って帰られ、共同墓地に埋め石碑を建てることもあるとのことだった。
 この遺骨に対する考え方はタイと同じだ。
そもそもタイでは「輪廻転生」という考え方が根付いているため葬式も日本とは異なり、死者との別れを悲しみ惜しむ別れの儀式と言うより、死者は遅くとも死後49日以内には、その生前の行いによって積んだ、それぞれの業(カンマ)に従って新しい世界へ生まれ変わると信じられていて、葬式と言うのは親しい親族との別れの儀式と言うより、むしろ死者のより良き輪廻を願い、より良き新しい生への誕生を祝う儀式・いわば誕生の儀式でもあるのだ。

『輪廻転生』とは、この生を終えたあとその生きていたときの業(行いの結果)の定めに従い、六道界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の何れかの界に再生すると信じるインド思想で、この思想では死は終わりではなく新しい生の出発点と言う事になり、葬式は死者との別れの儀式と言うより、家族や親族が修行者(比丘)を招き説法を聞き、布施をして徳を積みその徳を死者に贈り、より良き輪廻を願う儀式としての性格が強く、日本のように遺骨を大切に敬い墓を建て奉るという家も稀にあるが、一般的には遺体(遺骨)は蝉の抜け殻と同じように唯の物質と考えられている。
『ああ、この身はまもなく地上によこたわるであろう、
・・・意識を失い、空ろで、藁のように、投げ棄てられて』
ウダーナヴァルガ 第一章 三十五

『久しく旅に出ていた人が、遠方から無事に帰って来たならば、
親族、親友・友人たちは、かれが帰って来たのを祝う。
そのように、善いことをしてこの世からあの世に行った人を、善行が喜んで迎える。
・・・・・・愛しい親族が帰って来たのを、喜び迎えるように』   
            ウダーナヴァルガ 第五章 二十・二十一


死にたいする思いは、基本的にはジャータカ物語(ブッタの前世での物語として伝えられているもので、西洋に伝わり“イソップ物語の原型になったとされている)の中の『無常を見る者』の物語の中に出てくる詩によく表現されている。

『人は死に、蛇が脱皮するように。
己の身体を捨てて去り行く。
 招かれずして彼の地より来たりて、
告げることなくこの世を去る。
 来た時と同じように去る。

何の泣き崩れるべきことがあるものか。
 泣き悲しみてやせ細り、
何の得るものがあることか。
 
わが両親や親族たち、友人たちなど、
親しい人を煩い悩ますのみなれば。
 
死者を追い、縋り嘆くさまは、
月を追い泣く幼子と同じ、
得るものなどはなにもない。
 
壊れてしまった水瓶は、もう元には戻らない。
想い悲しんでも、益はなし。
 
 焼かれるものは親族の悲しみなど知りはしない。
 ゆえにわれは、嘆き悲しまず。
 彼は行くべきところに行けり(生前の行いから生じる業にしたがって)』  

 また、遺骨も小さい骨を少しだけ持って帰り、残りは遺体を焼いた時の消し炭や灰などとごちゃまぜになって処分される。 (ときには寺の庭の凹んで雨が降れば水がたまる場所に、砂などと一緒に埋められている) 持ち帰られた遺骨も、一応家の中の仏壇(ブッタ像が奉ってある)の横に棚を作り奉ってはあるが、常は引越しのときなどに紛失してしまう程度にしか扱われないのである。 (容器に収められ家に奉られた親指大の骨の欠片は、タイ正月に取り出され家族が水で洗う。どうもこれが水掛祭りの原型らしい)

拉致被害者の横田めぐみさんの遺骨がニセモノと鑑定されたそうだが、お墓もない仏壇もない北朝鮮であれば、遺骨が残されているのが不思議なくらいだと言えるのでは。 家族が遺骨の提供を求めたとき北朝鮮から「洪水で流された」と回答された拉致被害者もいたようだが、むしろこの話のほうに現実味がある。すぐにばれてしまうような嘘をつく北朝鮮当局の言動も理解に苦しむが、日本の外務省もこういった宗教観の違いを理解した上で遺骨の提供を要求しているのか、甚だ疑問である。

通訳兼・監視の男の内、一人の方のお父さんが昨年死んだと聞いたので
『お前、葬式どんな形式でやったんだ』と試しに聞くと
『私の家は儒教の家なので儒教の習慣に従ってやりました』と言うので
『儒教やったら先祖崇拝が大切に行われているから、当然遺体は焼かずに何処かへ土葬したのか』と聞くと
『いいえ儀式のあと焼きましたよ』と言うので
『ほんならその遺骨を持って家に帰り奉ってあるのか?』と聞き返すと
『いいえその場に置いてきましたよ。骨なんか持って帰って家に置いておけば幽霊が出るかも』と平然と言ってのけた。(続く)