「オモロイ坊主の北朝鮮托鉢行」
〜北朝鮮に果たして真の仏教はあるのか?
      よど号犯人に一言物申す!〜


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第二章 北朝鮮の仏教事情(その五)

 普賢寺

 普賢寺は平壌から百五十キロほど離れた妙香山の麓にある寺で、事前に旅行社からもらった「朝鮮 魅力の旅」というガイドブックでも四ページが割かれているような有名なところだ。俺はどこの国に行っても基本的にはガイドブックを頼りにいろいろな寺を訪ねていくのだが、残念ながらガイドブックに載っているような、特にページが多く割かれているような寺には、ろくなところがない。そういう寺のほとんどは、観光客を目当てにしており、誰々が造った建物だの由緒ある茶碗だの、そんなものが並べられているだけで、まともな仏教の話ができる人間と出会えることはほとんどないのだ。俺はこの手の寺をいつからか「観光寺」と呼んでいる。

 普賢寺も観光寺だろうか。だが、通訳が私達をこの寺に案内する時に車の中で『この寺には73歳の偉いお坊さんが居られ、この住職は南(韓国)の僧侶と頻繁に交流しておられます』と言う意味の説明をしていたのだが、俺の期待は見事に裏切られた。
一番お会いしたいと思っていたその住職には会えず、案内の女性に後で聞いた話では『あいにく今日は体調を崩し朝から臥せて居られる』と言うことだった。

取りあえず本尊さんにご挨拶させて頂こう、と山内に一歩足を踏み入れると、何処からともなくチマチョゴリを着た若い女性ガイドが現れ、(北朝鮮で外人用観光地に指定されているよな所へ行くと、事前に連絡が入っているのだろうが、この手の日本語を話すチマチョゴリを着た“喜び組”のような綺麗な姉ちゃんが必ず案内に現れる。この手の姉ちゃんが居るところでは通訳はただの付添い人で、発言する事は許されていないようだった。だが俺たちについている通訳の一人はいたって女好そうで、こういうところでは俺たちには何の説明も案内もしない代わりに、何処へ行ってもしきりにこの手の姉ちゃんの歓心を得ようと、アレやコレやと嬉しそうな顔で姉ちゃんに話しかけていた。朝鮮語で話しかけるので、俺にはなんと言って口説いているのかさっぱり判らなかったが“何処の国にも俺のように女好きの・女と見れば目じりを下げ鼻の下を延ばす助平男はいるものだなと”と思わず我が身を振り返る事が度々だった。)「この門は、何年に再建された」だの「この塔は何とかいう石で作られていて高さは何メートル」だのという説明が始まったのだ。

 確かに今まで行った北朝鮮の寺の中では最も立派な寺だ。
高麗王朝時代に建てられたという、本堂や門はすべてアメリカ軍の爆撃で焼かれ、金将軍の指示で再建されたものだと言うことだが、当時のなごりを感じさせる釣鐘や塔が残されている。 この寺の名前は、仏教において文殊菩薩とともにお釈迦さまに最も近い人とされる普賢菩薩の名から付けられたそうだ。

この寺には、韓国の海印寺に保存されている、ユネスコの世界文化遺産に指定(1996年に指定)されている、“八万大蔵経”の版木で刷った経典が大事に保管されいて、その保管と修復・維持のための専門の職人がおられ、ちょうど俺が行ったときには、その経典を保管倉庫から出し、風通しの良い日陰に並べ虫干しをやっておられた。

俺は以前に韓国へ行ったときに、海印寺の和尚さんの好意で版木の修復作業現場を見せて貰っただけに、虫干しのために並べられた経典を見て、この二つは例えて言えば親子のような関係。それが38度休戦ラインと言う人為的壁に阻まれ、版木(親)は南に、その版木から印刷された教典(子)は北に。南ではいくら版木があるからといって、今・刷すればそれはあくまで新しい歴史的価値の無い教典。北では時代を乗り越えて大切に保存されてきた、教典の痛みが激しいからと新たに復元するにも元の版木はないし。この二つは望むときに何時でも誰でもが見られ、必要な時には二つを並べて研究できる・比較検討できてこそ、始めて人類の貴重な世界遺産としての価値があるのでは。

俺はこの普賢寺に保管されている、遠い昔に南の寺の海印寺で刷られたと言う教典を見ていて、朝鮮半島の同じ歴史と文化を持つ同一民族の人々が、人為的に南と北に分断され
親族・親子であっても自由に行き来もできない、悲劇の一面を垣間見たような気がした。

(大蔵経とは、佛教の経典・論書などを総集したもので、海印寺の八万大蔵経<高麗大蔵経>は、現存する多くの大蔵経のなかでも世界の最高峰とされている。この版木から刷られた経典は日本にももたらされ、東京の増上寺、京都の東本願寺に完本に近いものがあるそうだ。この大蔵経は11世紀初頭に高麗は契丹軍撃退祈念のため高麗大蔵経の彫造を行うが、1232年の蒙古軍侵入によりすべて焼き払われてしまった。それを1236年に高麗の高宗は、蒙古軍の侵入に対抗すべく仏の加護を得るため、これの復刻を決意し、莫大な労力と費用をかけ、現在、海印寺にある八万大蔵経を作らせた。

この教本は3年間海水に浸した白樺材を、さらに3年間乾燥させ、角材と銅の金具で補強した版木の上にうすく漆をひき、23行14字詰、300有余文字の経文を画面に精巧な技術で彫り込んだもので、細心の注意を払い、一字一句の間違いも許されない正確な作業を経て完成した版木は、全部で81,258枚、刻まれた経文は5,000万〜6,000万文字に及ぶという。
1251年、王都のあった江華島で完成し、1398年に海印寺に納めらたとのことで、現在は世界的に貴重な文化遺産として海印寺の蔵経閣で保存されているので、機会があったら訪れられる事をお勧めします。)

『容姿を見ては、愛らしいすがたに心を向け、心の落ち着きは失われる。
愛染の心をもってそれを感受し、それに執着したままでいる。
迷いの生存の根元に導く彼のもろもろの汚れは増大する。
・・・・・・アパヤ長老』
テ−ラガーター (一つずつの詩句の集成)第十章 九十八

『もろもろの欲望は苦しみである。
エーラカよ。もろもろの欲望は安楽ではない。
エーラカよ。もろもろの欲望を求める人は、実は苦しみを求めるのである。
エーラカよ。もろもろの欲望を求めない人・・・かれは苦しみを求めないのである。
・・・エーラカ長老』
テーラガーター (一つずつの詩句の集成)第十章 九十三

『情欲にひとしい火は存在しない。
不利なサイの目を投げたとしても、怒りにひとしい不運は存在しない。
迷妄にひとしい網は存在しない。妄執にひとしい河は存在しない』
ダンマパダ 第十八章 二百五十二

『欲情から憂いが生じ、欲情から恐れが生じる。
欲情を離れたならば、憂いが存在しない。
どうして恐れることがあろうか?
快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる。
快楽を離れた成らば、憂いが存在しない。
どうして恐れることがあろうか?』
ウダーナヴァルガ 第三章 二・三

『出家者の四つの観察』

一、衣類の観察
 私は正しく考察して衣を受用します。 ただ寒さ暑さを防ぐため、 虻・蚊・風・太陽の炎熱・蛇の害を防ぐため・ ただ陰部を隠す為に受用するのです。

ニ、施食の観察
 私は正しく考察して施食を受用します。 楽しみの為ではなく、強い力・良い体格のためではなく、美容のためでもなく、 ただこの身体の存続のため、維持のため、飢餓(空腹)の病気を静めるため、 最勝行(聖典を学ぶ・教える・修行をする)ために受用するのです。 この施食を受用することのよって、 前の苦痛(飢餓・空腹)はなくなり、新しい苦痛が興らず、 私は存続することが出来、安楽に過ごせるであろう。

三、住の観察
 私は正しく考察して住居を受用します。 ただ寒さ暑さを防ぐため、虻・蚊・風・太陽の炎熱・蛇の害をふせぐため、 ただ季節の危険を除き、禅思を楽しむために受用するのです。

四、薬の観察
 私は正しく考察して病気の必需品である薬を受用します。 ただすでに起こっている病気の苦痛を除き、悩害をなくするためにだけ受用します。

    南方仏教基本聖典より(ウ・ウエープッラ著・中山書房仏書林発行)