第二章 北朝鮮の仏教事情(その七)
定陵寺
定陵寺は、高句麗時代の王陵、東明王陵の前方にあり、東明王の冥福を祈るために建立された寺だという。北朝鮮で訪れた中では最も立派な寺で(と言ってもこの寺も朝鮮戦争でアメリカ軍の爆撃で焼けたとかで、金将軍の命令で戦後に再建された建物で、京都や鎌倉の長い年代を経た寺院の建物から見ればチャチなものだったが)ちょうど俺が行ったときには結婚式をやっていた。結婚式と言っても記念写真を撮りに来られて居ただけで、新郎新婦と立会人がそれぞれ一人ずつという簡素なものだったが、久保田の突撃インタビューに照れながら答える様子は、初々しく感じられた。
日本でも浄土真宗のお寺では仏前結婚と言って、お寺の本尊の前で結婚式が盛んにおこなわれている様だ。<俺の友人の中には、東本願寺や西本願寺で挙式した夫婦が何組か居る。>タイではお寺で結婚式を挙げることも、比丘が結婚式に出席する事もまったくないが、結婚と言う特別の機会を利用して、徳を積む(タンブン)という考え(習慣)のもとで、式の当日に朝食や昼食の供養に比丘が招待され、食事と金銭や日用品の布施を頂く事はよくある。と言うよりこれがタイ人の結婚式の習慣であり伝統だ。
タイの結婚式では、日本のように式に宗教者(神主や牧師)が立ち会う事は無く、親族の中の長老や仕事関係の上司が式をとり仕切り、比丘は結婚式への出席を戒律で禁じられている。
定陵寺の住職はまだ若く、寺にきて七年という話だった。この住職から俺は興味深い話を聞くことができた。平壌市内に仏教学院という仏教を教える大学のようなものがあり、自分もそこに三年間通って仏教を勉強したというのだ。
タイでは地方によっては、子供の出家者(サマーネーン・見習い僧)のための学校(小・中・高)もあり、経済的な問題や交通の便などからの理由で、学校へ行けない子供達が勉強をするため出家し、卒業すると還俗し社会に出て行く子も多くいるし、仏教大学(と言っても、現在では佛教学部だけでなく、経済学部・文学部、等々と揃っていて一般の総合大学とかわらず、ここを卒業して還俗し、一般企業に就職したり公務員や教師の道を進む比丘も多くいる。バンコクの寺に居る二十代の比丘の半分は地方の故郷の寺で出家し、その寺の住職の推薦を得て、大学へ行くためにバンコクの寺に来ている比丘だと思ってもよいのでは。
またどこの県にも、仏教学やパーリ語を教える学校のある寺が一つや二つはあり、希望者は寺からその学校へ通い勉強している。
また各寺院内でも先輩比丘が後輩に戒律や仏法教義の指導を随時行っており、パンサー(雨安居)時には、タイ中の全ての寺院でその年の新人比丘に先輩僧が、戒律や仏法・仏教史など指導し、パンサー明けに県毎に一ケ所の寺に新人僧をあつめ、全国一斉に試験が行われる。
俺はと言うと、最初は日本人比丘の居られる寺へ半月ほど出向き泊めて頂いて、基本的なことを指導して頂き、日本語で書いた本や参考書(上座仏教の)を教えてもらい、日本の友人に購入をお願いし、寺へ送って貰って勉強した。その後も判らない問題に出会うたびに、その先輩比丘の寺へ教えを請いに通ったものです。
この定隆寺の住職は三年間も仏教を勉強したのなら、少しはまともな仏教談義ができるだろうと思ったら、大間違いだった。
『佛教は好きですか』
『はい、私は佛教が信奉しているし好きです。この国では憲法で信仰の自由が認められているので、佛教を信じてもキリスト教を信じても個人の自由で、佛教協会もキリスト教教会もあります』
『貴方はお釈迦様を尊敬し信じていますか?』
『はい、尊敬し信じています。』
『死ぬまで僧侶を続けますか?』
『お釈迦様は、良いことをした人間は死んだら極楽に行けるとおっしゃっています。なので私は死ぬまでお寺にいて死後は極楽に行きたいです』
“この坊主、あほちゃうか!この国の佛教学院って一体何を教えているのだ。お前は三年間もかかって何を学んだのだ。お前から見たら、俺はどうしようもない半端坊主に見えたかも知れないが、俺は少なくとも坊主の端くれだ。そんな佛教の素人に説くような子供だましの話を聞きたくって、ここまで来たのと違うぞ。もう少し僧侶らしい話が出来ないのか”と、さすがに俺も声には出さなかったが“もうこんな坊主と話したくもないよ”と、腹の中で一人毒づいてしまった。
“仏教は人間が極楽に行くためのものではない。ブッダの言っていることはそういうことではない。こんなド素人をだますような説法を、遠方から訪ねて来て教えを請う比丘にするなんて、俺がよっぽど何も知らない馬鹿坊主に見えたか、この坊さんは仏法なんて何も勉強して無い、いわば在家の信者より程度の低い偽坊主(アホ坊主)だ。”と。
北朝鮮に来て五日目。僧侶とはろくに話も出来ず、常に通訳から監視され、ことあるごとに『金日成将軍様が!金正日総書記様が!』と聞かせれ続けてきた俺は、いい加減疲れていたというか、いらついていた。
ようし、こうなったら開き直ってやろう。今まで少し遠慮していたがもう構うものか。
一番聞きたかったことをズバリ聞いてやろう。
『お釈迦様と金将軍親子と、どちらを尊敬していますか?』
『金日成将軍様と金正日総書記様です。朝鮮の仏教徒であれば、朝鮮の神様を信じなければなりません』
(オオーイ!!金さん親子って神さんなのか?一体何の神さんやネー!あーそうか、それで日本人を神隠し(拉致)したのか)
『出家』
眼ある人(釈迦尊)はいかにして出家したのであろうか、かれはどのように考えたのち
に、出家を喜んだのであろうか、かれの出家をわれは述べよう。
『この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが出家は広々とした野外であり“煩いがない”と見て、出家されたのである。
出家されたのちには、身による悪行をはなれ、言葉による悪行をも捨てて、生活をすっかり清められた。』
『諸々の欲望には憂いのあることを見て、また出離こそ安穏であると見て、つとめに励むために進みましょう。私の心はこれを楽しんでいるのです』
スッタニパーター 第三 大いなる章・出家より
『善良で血統の良い馬がつまずき倒れても、また立ち上がるように、正しく悟りを開いた釈迦尊の弟子であり正しい見解をそなえた私を釈迦尊の実子である、と見なしてください。・・・・・ラマニーヤヴィハーリン長老』
テーラガーター (一つずつの詩句の集成 第五章 四十五)
護経(パリッタ)より
{古くからスリランカ・タイ・ミャンマーなどの東南アジアの仏教徒に親しまれてきた護呪経の事で、現実の生活における『幸福(吉祥)』を願う、あるいは危険から『身を護る』ための、災厄から身を護るお経と信じられていて、タイでは比丘が信者の家に招かれた時やタンブン(徳を積む)の儀式などでは必ず唱える}
吉祥経(マンガラ・スッタ){こよなき幸せ}
私はこのように聞きました。
あるとき世尊は舎衛城のジュータ林にある、孤独な人に食を施す長者の精舎(祇樹給孤独園)に住んでおられました。そのとき一人の容姿麗しい神が夜半を過ぎたころジュータ林を隈なく照らして、世尊のところに近づいてきました。そして世尊を礼拝すると一方に立ち、世尊に詩をもって申し上げました。(吉祥経の序)
『多くの神々や人々は幸福を望み吉祥(最上の幸せ)考えています。最上の吉祥(幸せ)を説きください』
『賢者に親しみ、遇者に親しまず、尊敬すべきものを尊敬すること。これは最上の吉祥である』
『適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、身心を悪よりよく引き止めておくこと、これは最上の吉祥である』
『博い見聞、学識、生活の為の技術、よく身についた躾け、言葉がみごとであること、これは最上の吉祥である』
『父母につかえること、妻子を愛し護ること、秩序ある仕事、これは最上の吉祥である』
『施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ること、非難を受けない行為、これは最上の吉祥である』
『悪をやめ、悪を離れ、飲食をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、これは最上の吉祥である』
『尊敬と謙遜と満足と感謝と、適当な時に教えを聞くこと、これは最上の吉祥である。』
『耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の道の人(出家者)に会うこと、適当な時に理法についての教えを聞くこと、これは最上の吉祥である』
『修養と清らかな行いと、止観の修行(聖なる真理を観、涅槃をさとる)、これは最上の吉祥である』
『世俗のことがらに触れても心が動揺せず、憂いなく、穢れを離れ、安らかである、これが最上の吉祥である』
『このように行えば、いかなることに関しても敗れることなく、あらゆることについて幸せに達する、これは神々や人間にとって最上の吉祥である』
(南方仏教 基本聖典より ウ・ウエーブッツラ・大僧正<ミャンマー>著)
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