[4]『この世に生まれて幸せを望まない人は誰もいない』というのは真実だと思うし、 私も人一倍幸せを望んでいます。 しかしブッタは『生きることは苦しみである』と説いておられます。 ブッタの仰る『苦しみ』とは『何事も自分の思うとおりにはならない』という意味です。 病気になったり、老いてボケたり、果ては死ぬことを望んでいる人は誰もいません。 でも生きている限りは、老いてボケ、病んで寝込み、 やがては死んでゆくことを避ける事はできないし、止める事もできない。 これは誰もが異論を挟む余地のない、この世の真実です。 ブッタは『ああこの身はまもなく地上に横たわるであろう。 意識を失い、無用の木片のように投げ捨てられて。 たとえ百歳まで生きたとしても、終には死に帰着する。 老いか、病か、または死が、人につきそって殺してしまう。 子も救うことはできない。 父もまた救うことができない。 死に捉えられた者を親戚も救い得る能力がない。 ましてや財や地位や名誉が、死に捉えられた者に何の援けになるというのだ』と 説いておられます。 皆さんは『この世に生まれてきた目的、生きる目的は何ですか』と聞かれたら、 なんとお答えになりますか? 私も『人生の真の目的』が何なのか、未だによくわかりません。 しかし、ただひとつ断言できることがあります。 それは『人は死ぬために生まれてきた』ということです。 ブッタは『"人生というのはとてつもなく空しく、 苦しい無意味なものである"という真理を正しく理解しなさい。 そして"生きることが苦しみであるということ、人生は空しいものであること"を、 正しくありのままに観て実感し、理解するならば、 そこにはなにものにも束縛されない真の自由な道が開けます』と説いておられます。 我々上座部仏教の比丘は、 この『なにものにも束縛されない真の自由の境地、解脱、悟り』を目指し、 修行をさせて頂いているのです。 ブッタが仰るように『人生は苦しみだ、生きることは苦しみだ』という この世の真理から言えば、 たとえ何処の国に住もうと『苦しみと不安』からは逃げられないのです。 そうでしょう? タイに住んだからといって『老、病、死』の苦しみ、不安から逃げられますか? 人間は、生きている以上はいつ病気になるか、いつ死ぬか、 誰にもわからないのです。 この中に『俺は何十歳までは絶対に死なない』と断言できる人が一人でもおられますか? 一寸先の自分の命さえわからないのが、この世なのです。 ブッタは『今の、この瞬間瞬間の事象をあるがままに見ようとしないで、 未だ来ぬ未来を憂いたり夢を見たり、 過ぎ去って今更どうにもならぬ過去を悔やむ人は、 今を観ていないのだから今を生きていないのと同じだ。死んだ人と同じだ』と 『現実を直視しないで甘い希望、夢を見ること』を強く戒めておられます。 ご存知のように仏教では、全てのものは瞬間瞬間に変化し、流れ去り、 やがては消え去って行く定め、『諸行無常』を説いています。 変化して流れ去るものを、誰が『これは我のものだ』と言えるでしょうか。 流れ去り、消え去って行くものは手に取ることができないのです。 砂や水が手でつかめないのと同じように・・・。 故に全ては『諸法無我』なのです。 死ぬときには妻子も財産も地位も名誉も、 何もあの世には持っていけないのです。 たとえ『俺は60歳を過ぎているが、まだまだ若い者には負けない。 身体の何処にも異常は無いし、健康そのものだ』と思っていても、 その健康は時間とともに消えていきます。 また『私の肌にはハリと艶が有る。60歳を超えているが、 40代だと言っても充分通用する』と容姿の美しさを自慢しても、 その美しさは一秒ずつ確実に消えていくものなのです。 そして、やがて死んで無に帰するのです。 それはどうしようもないことで、誰にも止められないこの世の真実なのです。 『一切皆苦』これが苦しみでなくてなんでしょうか。 我々日本人だけが苦しいのではありません。 タイ人も、アメリカ人も、 肌の白い人も、黒い人も、黄色い人も、 仏教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も皆苦しいのです。 我々人間だけではありません。 犬も猫も牛も植物も、この世に生きとし生きているもの全てが苦しいのです。 ブッタは『どの方向に心でさがし求めてみても、 自分よりさらに愛しいものを何処にも見出せなかった。 そのように、他人にとってもそれぞれの自己が愛しいのである。 それ故に、自分のために他人を害してはならぬ』と、説いておられます。 どうか『自分が他人にされて嫌なことは、他人には絶対しない』 『自分が他人にして欲しいと願うことは、まず自分が他人に対し、実行する』という 原則を自らに言い聞かせ、 たとえ『自分の考えが正しい、我々の常識では、日本の常識ではこうだ』と 思うことがあっても、 あるいはタイの人々や国に疑問を抱くようなことが起こっても、 ここは日本じゃない、私は他国に住まわせて頂いているのだ、ということを 忘れずにいてください。 タイの人々に優しく接して欲しいと願うなら、 『俺は金持ちの国、文化の進んだ先進国から来た日本人だ』という 思い上がった考えを捨て、 外国人を受け入れてくださったタイの国とタイの人々に感謝し、 まず我々日本人がタイの人々に優しく接し、 『全てを自分の身に置き代え、考え、判断し、行動する』ということを肝に銘じて、 有意義で、実りあるタイでのロングスティ生活をエンジョイしてください。 纏まりのない話を長々と聞いて頂き、有難う御座いました。 最後に皆さんと生きとし生きるものの幸せをお祈りさせて頂き、 今晩はこれで失礼致します。 『皆様が幸せでありますように』 『皆様の悩み苦しみがなくなりますように』 『皆様の願いことがかないますように』 『皆様にも悟りの光があらわれますように』 『生きとし生きるものが幸せでありますように』 合 掌。 仏暦 2546年11月12日 泰国 サムットソンクラム県 ポムケウ寺 比丘 藤川(チンナワンソ)清弘
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