藤川チンナワンソ清弘和尚略歴    
◆1941年 京都生まれ
 30歳には、営業マンとして好成績、高収入をあげ、
 38歳で会社を設立。
 不動産業、建築業などで成功を収め、タイで現地法人を設立する。
 その後バブル景気は翳り、日本での業績が悪化し会社を清算。
◆1991年 49歳で、タイでの再勝負に賭け、移住を決意。
 タイで、ショッピングセンター建設に着手。
◆1992年 50歳の時、出家の習慣のある、現地人スタッフに、
 「社長(に出家)は無理に決まっている」と言われ、対抗心から
 「丁度ショピングセンター完成までの3ヶ月」と軽い気持ちで出家。
 しかし托鉢修行中に、人間ブッダに惹かれ始め、結局5ヶ月に延長。
 還俗後、ショッピングセンター・オーナとしての仕事に戻るが、
 商売にも遊びにも興味がなくなる。
 僧侶の生活が思い出され、街中の僧侶を見て胸が締め付けられる。
◆1993年 51歳の時、ついに本格的に出家。
 現在もタイ・ポムケウ寺サムットソンクラーム県で生活を続ける。
    最近の活動    
1)シャカの生き方を、宗教ではなく、人生の実践哲学として日本の人々に伝えるために、定期的に来日し、全国辻説法の会「オモロイ坊主を囲む会」を開く。
2)ミャンマー・メイッティラーで 日本語学校の設立活動を行う。
2005年6月には、2つ目の日本語学校が完成予定。 世界の文亡を無くしたいという藤川さんの強い想いが学校設立へと向かわせる。 今回は、初めて日本語検定2級合格者のマ・ンゲーさんを日本に招聘。 2級合格者を、毎年一人づつ招聘したいと考えている。
2004年6月「オモロイ坊主のアジア托鉢行」(現代書館)刊行。
2003年5月「タイでオモロイ坊主になってもうた」(現代書館)を刊行。
2003年4月、日本上座部仏教協会顧問に就任。


    藤川和尚の日常    
京都生まれの63歳。
バブル時代当時、不動産業で成功し、金と女の生活を続けていたが、今は別人。
タイに来る日本人観光客が、日本語が上手ですねと声をかけると、「ワシ日本人やで。オバハンどっから来たんや?」と関西弁で答える。その驚く反応を見るのが好きらしい。 「外人のワシが、この国で食わせてもろてるんやから、タイ人以上にマジメに坊主やらなあかん。」「課題を抱える今の日本を作った責任がワシにもある。せめてその恩返しに、ワシはおシャカはん哲学のサンドイッチマンでええ。」と自ら言い切る。語りだすと、熱い想いは止まらない。


    藤川和尚ってどんな人?    
(『日本上座仏教協会』理事長 福本 誠也さん談)

・恐ろしいほどの食欲
・本人は酒は飲まないが、居酒屋などの酒の場が大好き。
・好奇心旺盛で、何でも見たがり、首を突っ込みたがり。
・社長時代の性格はいまだ抜けきらず、もたもたしていると、文句を言う。
・理屈だけ、口だけの人は大嫌い。
・良くも悪くもざっくばらんで適当。
・その反面、多くの人に実は気をつかう。
・関係者の、人生や仕事に気遣い、特に、ビジネスマンに悩みにはより真剣。
・バラエティー番組で、吉本興業のタレントにいじられる事で、
キャラが一層確立しそうな気がします。


    藤川さんより    

地上げ屋からタイ進出へ

十代の頃、札付きのワルだった私は長じては「地上げ屋」と呼ばれ、バブル経済の絶頂期には湯水のように金を使う生活をしていました。 そしてバブルが弾ける兆しが見え始めた1991年、私は日本とタイの合弁会社を設立しました。 タイではだれでも一度は出家します。日ごろからタイ従業員が「私は何ヶ月出家した、何年出家した」と誇らしげに言うので、「おまえらにできることが、日本人の俺にできないことはない!」とタンカを切ったのがそもそもの始まり。結局、タンカを切った手前、三ヶ月だけ出家することになったのです。92年も年の暮れの押し詰まったころのことでした。

一時出家のはずが・・・

こうやって一時出家者としての生活を始めたわけですが、私はなにぶんにも生まれてことかた、仏教というより宗教にまったく関心も興味もありませんでした。 ところが、お経の「オ」の字も知らない私が、黄色い衣を着ているだけで、見知らぬ人から食事の供養を受けたり、知らないお寺に大きな顔をして泊めてもらうのは、 なんだか詐欺ではないかという引け目を感じるようになったのです。せめて約束の3ヶ月だけでも、仏教の勉強をしようという気持ちになってきました。

そう思って、改めて周りの比丘たちを見回すと、不思議なことにかねも女も酒もまったく縁のない生活なのに、彼らは明るさに満ち溢れた顔をしていました。 私にとってはそれがないと生きていけない、というくらいウェイトの高いものなのに、 なんであんなに明るく楽しそうに暮らせるのだろうか? 一体ブッタは何を教えたのだろうか、と気になってきました。 そう思ったらいてもたってもいられず、早々に托鉢を切り上げ、日本語の資料が揃っている図書館で上座仏教の勉強を始めたのでした。

毎日、朝の五時から夜の十一時ころまで、それこそ生まれて初めて、 と言ってよいほど真面目に真剣に仏教の勉強をしました。 そのときのショックは大きく、仏教は死後の世界のためでも、死者のためでも、先祖供養のためでもなく、いま現に生きる人間のために、人生の指標や生き方を説いた教えであることを知り、目から鱗が落ちる思いがしました。 2500年も前に、こんなにも合理的でしかも誰にでも理解ができるように時、 みずからも実践した男がいたとは---。 私はその教えにすっかり魅了され、人間ブッダにひかれ、ほれ込んでしまったのです。 三ヶ月の出家の予定が五ヶ月になり、会社に戻ったときには、 あんなに好きだった酒を飲んでも、女の子を追い掛け回しても、金をもうけても、 心が浮き立つことはありませんでした。 どうしようもなく虚しく、のこされた短い人生をこのまま終わらせたくない、という思いがふつふつとわいてきて、とうとう会社も何もかもすべて捨てて本気で出家をしたのです。

日本の皆様へ

こうして私はタイ・上座仏教(テーラヴァーダ仏教)の僧院比丘にさせていただき、10年の月日が過ぎました。 おかげさまで今は出家する以前には考えられないような安らかで満ち足り充実した日々を過ごさせていただいています。 日本から離れ、俗世から離れると、今の社会の様子を耳にするにつれ、いつも心が痛んでいます。 人生の目的を見失い、将来の夢がもてなくて、目先の快楽や損得に走る若者たち。 仕事や老後の見通しがつかず不安におびえる人々。 大人世界の縮図のような子供世界のイジメ、少年凶悪犯罪。 仏教学者のひろさちやさんの言葉を借りれば、我々日本人は宗教という羅針盤を持たずに、スピードメーターだけで人生という大海を航海しているようなものです。そして、今、日本人は羅針盤のない不幸に気づいたのです。 現代人はそういう困難に唖然としています。今、宗教の必要性に気づいたのです。 しかし、葬式と先祖供養という儀式ばかりにうつつを抜かしている仏教では、私たちの羅針盤にはなりえません。 それは思想をもった仏教、思想としての仏教です。 つまり、<<仏教の思想>>が困惑する現代日本人を救ってくれる可能性があると、遠くタイの寺より日本に思いを馳せています。


『皆さんが幸せでありますように』
『皆さんの悩み苦しみがなくなりますように』
『皆さんの願い事がかないますように』
『皆さんがいつも元気で明るく健康でありますように』
『皆さんにも悟りの光があらわれますように』
『生きとし生きるものが幸せでありますように』 合掌。

泰国 ポムケウ寺比丘 藤川(チンナワンソ)清弘















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